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梟の境域  作者: おんたま
一章
9/10

本当の依頼 上

 自分の娘が失神する場面を見せつけられて冷静でいられる父親はそうはいない。

 ルイジの決着を告げる言葉とともに、伯爵は飛び出すように動いて娘のそばに駆け寄った。


 ふらふらとしている俺の横でしゃがみこみ、伯爵は娘の躰に手を伸ばそうとして――動きを止める。下手に触って良いものか、判断に迷ったのだろう。


 困った様子の伯爵は、一瞬迷った後でその顔を俺の方に向けた。

 娘を心配する父親としての表情。言いたいことはすぐにわかった。

 そうして急かされるようにして活を入れ、俺が彼女の意識を回復させてからもしばらくは、伯爵は悲壮な顔つきのままで娘に声をかけ続けていた。


「エリィ! 大丈夫なのか、エリィ!」


 ずいぶん大きな声で呼びかけているが、彼女はそんな父親の声に一切反応しようとしない。

 聞こえていないわけではないはずだった。

 単に無視している、というより、意識がよそに逸れているのだ。


 ひとまず上半身だけを起こした彼女は、ただただ自分の手のひらを見ていた。

 その目の色には怒りや悲しみなどはない。

 なぜ自分が負けたのかわからないという戸惑いだけがあるようだ。 

 あそこまで有利に進めたはずの立ち合いで負けてしまったことが、彼女には信じられないことだったのだろう。


 実際、相手の俺からしても、立ち合いの内容では彼女の方が勝っていたと思う。

 少なくとも、剣同士の勝負なら間違いなく負けていた。まるで腕が違ったからだ。

 それでも俺が勝つ結果になったのは、無手戦に持ち込んだこと、あるいは仕掛けたからめ手がうまく成功したから以外にはない。


 まもなく伯爵は使用人を呼んで娘の躰を起き上がらせると、ゆっくり屋敷の部屋に連れて行くよう命じた。

 同時に、部屋に医者も呼んでおけと。

 躰に異常がないか、よほど確かめたいのだろう。


 一方、俺にしても結構な怪我をしているはずである。

 打たれた肩はもちろん、腕を掴まれた時に思い切り爪を立てられてしまったようだ。

 右の二の腕数カ所に血が滲んでていて、結構な痛みもある。

 医者を呼ぶならついでに俺も消毒だとか、包帯のひとつも巻いてほしかったのだが、なんとなく伯爵にそういう対応を求められるような場の雰囲気ではない。


 ともかく腕の傷自体はさほどに深いわけではないから、二三日もすればとりあえず気にならなくはなるだろう。

 ただ肩の方は……割としばらく痛みそうだが、それ以上のことは家に帰ってから悩むことにする。


「それでは約束通りにお願いしても?」


 一方、ルイジは娘が屋敷に戻ったことでようやく伯爵が落ち着いたと思ったのか、その横に歩み寄って話しかけた。

 

「……ええ、ええ」


 半ば放心していた伯爵もルイジに呼びかけられて、意識を現実に引き戻されたようだ。


「娘も、ああして正面から対峙した上で見事に負けては、文句を言えないでしょう」


 そうは言っているが、伯爵はその額に脂汗をかいている。

 おそらく想定とはまるで違う光景を見せられてしまったからだった。

 もう少しお互いに見せ場があるような、それでいて美しい立ち合いを期待していたのだろう。

 その証拠に、さきほどから俺の顔をまともに見ようとしていない。


「そこさえ確かなら結構です。ではあとは、申し合わせておいた通りに」


 そう言って、ルイジは俺の方を向くと、


「お疲れ様です。期待した通りの働きでした。それでは、一度家まで戻りましょうか」


 明るく俺に向かって笑いかけた。




 帰り道の馬車の中、一応、俺が怪我をするかもしれないとは考えていてくれたらしい。


「これは打ち身、すり傷と効くはずです」


 白い包帯と黒い塗り薬。

 乗り込んですぐに手渡された二つを俺は遠慮なく使うことにした。

 上着を脱ぎ、黒みがかった肩のあざにべっとりと薬を塗る。次いで、右腕。

 傷口に染みるのを我慢して、くるくると包帯を巻いていく。


「今日の試合については本当に見事でした」


 俺が服を着直したのを見て、ようやくルイジは模擬戦の感想を言った。

 その表情は昨日今日と見た中で一番明るい顔つきだった。


「……かなり危なかったけどな」

「いえいえ、僕は信じてましたよ。昔からオウルさん、ここ一番の勝負は本当に強かったですからね。そうだ、覚えてますか? 一度僕も見に行った――」


 俺の戦いぶりに何か当時のことを思い出して、少し興奮もしているらしい。

 勢いのままに思い出話をしようと話しかけてくるルイジを、俺は手のひらで自分の視線を隠すようにして遮る。


「……それよりもだ。俺はお前の『お願い』を聞いて叶えた。つまり約束は果たした。これであとはもう俺に関わらないでくれるな?」

 

 意識して言ったつれない口調に、ルイジはめっきり気分が削がれたようだった。

 しかしこちらにすれば、この内容の確認こそが重要なのだ。

 せっかくの空気も、これを避けて通るわけにはいかない。


「そうですね、すみません」


 俺の言葉に、ルイジは一度自分を落ち着かせるようにそう言うと、


「ただ、もしよろしければ――もうちょっとお付き合いいただけると」

「それは話が通らないだろ」


 都合よく言い放つルイジに、俺ははっきりとした口調で反論する。


「俺はお前が押し付けてきた『お願い』とやらをやり遂げたんだ。だったら、一度した約束くらいは守るべきじゃないのか? お前は俺と対等のつもりでいるんだろ?」

「……約束ですか?」


 ルイジはとぼけた顔をする。


「もちろん、僕はオウルさんと対等のつもりで話していますよ。ただ約束と言うか、そもそも僕は一度も『模擬戦をしてもらうことがこちらのお願いの全てです』と言ったつもりはないのですが……」

「……分かってて言ってるんだろうが、その言い方は詭弁きべんだ。それを言うなら、こっちだって『ほかにもまだお願いはあります』とは聞いてない」


 ここは互いに化かしあいの感があった。

 そもそもルイジははっきりと俺の合意を取らず、半ば勢いのままに話を進めてきた。

 おそらく俺が割り込む機会を極力なくそうと考えたからだろう。

 だが、総じて曖昧さというものは、細かな議論を成立させる余地を生む。


「それにだ。そういう主導権の取り方は、少なくとも自分と同等に扱いたい相手に対して使っていいものじゃないだろ。お前ならその辺の機微きびも分かるはずだよな?」


 互いに対等な関係であると前置きできるなら、曖昧な物言いがどちらか片方だけに利することはない。

 逆にその曖昧さでどちらかが得をするならば、それは対等な関係とは言えない。


 これまでの言動からすると、ルイジは俺と対等であることにこだわっているところが見える。

 つまりそれは執着であり、いわば欲望だ。

 そのように相手が強く思い込んでいる部分があるのならば、それはうまく利用してやるべきだった。


「もしお前がそういう理屈でくるなら、こっちもこっちでそれなりの対応を考える。お前は最初から俺を騙すつもりでいたし、今後もこっちの話は通じないってことだからな」


 するとルイジはすぐに俺とこのやり取りを続ける面倒さを悟ったらしい。

 一瞬嫌な顔をして、それからふぅと息を吐く。

 

「まあ、そうですよね。――じゃあ、その辺りはひとまず置いておいて。オウルさんの家に着くまでまだ時間がありますから、ちょっとだけ別の話を聞いてもらえればと思います」

「別?」


 それ以上俺の言葉を待たず、ルイジは続ける。


「オウルさんは、『クロド先生』のことを覚えてらっしゃいますか?」


 それはまったく予想だにしない名前だった。

 俺はオウム返しをして尋ねる。


「クロド先生?」

「ええ、あの学校の先生だった。オウルさんも習ったことがあるはずです」


 そこまで言われて俺が思い出す顔はひとつしかない。


「ああ。思い出した。『クロド・レヴィ』。あそこにはいろんな先生がいたけど、あの人はいい先生だったな」


 あの学校では、倫理学の講義を担当していた先生だ。

 いやたしか本来の専門は、神学のほうと言っていたか。

 講義を受けている時に、一度そんな話をされた気がする。


 あるいはもう一年待って上級生に上がればもう少し難しいことを習えたのかもしれないが、俺は最後まで倫理学以外を習う機会がないまま、学校を出てしまった。


「覚えているのであれば、話は早いです」


 ルイジは言う。


「あの先生なんですが、今現在ちょっと……行方不明になっています」

「行方不明?」


 いきなり物騒な話だった。

 俺は眉をひそめながら繰り返す。


「はい。実は二年ほど前に、先生は学校を退職しました。その後、ご自身の研究を続けるために隣国のミネルヴァに向かわれたのですが、その際に金銭的な援助をしたのが僕の家なんです」


 それはつまり、ルイジの家がクロド先生のパトロンに付いたということか。

 なるほど、なんとも名家らしい話だと思いながら俺は先をうながす。


「それで?」

「ええ、こちらからは向こうの国に渡るための費用と、さらに毎月定期的に生活費を送金していたのですが、二月ほど前から先生がそれを受け取りに来なくなったとのことで、しかも一切連絡も取れなくなったと。もしかしたら先生に何かあったのかもしれません」

「……だから、俺に探しにいけと?」

「ええ。是非お願いしたいんです。家の立場で言えば、先生への投資が無駄になることは避けたいですし、個人的にもお世話になった先生なので心配なんです。その点は、オウルさんも同じかと思いますが」

「……いや、たしかに俺も世話にはなったが……」


 俺はやはり疑問に思って尋ねる。


「どうして俺なんだ?」

「それはもちろん、僕がオウルさんに期待しているからです」


 ルイジは真正面からはっきり言い切った。

 対して俺は、頭をかきながら難しそうな顔をして訂正する。


「……いや、そういうことじゃない。人探しを頼みたいってことなら、もっと慣れたような奴をいくらでも用意できるだろう、お前なら。いや俺みたいな素人すら入れて、大勢で調べたいってことなのかもしれないけど」

「もちろん、できることならそうしてます。でも、僕が今頼めるのはオウルさんだけなんです。というより――」


 ルイジは俺の顔色を少し引いて眺める。


「オウルさん。今の言い方は、隣国ミネルヴァの情勢を知ってて言ってるわけじゃないですよね?」


 その言い方には多少、こちらを疑うような部分があった。


「ああ」


 対して俺は正直に答えた。


「国同士の話なんか規模が大きすぎて俺の生活には関係なかったからな。何か問題があるのか?」

「……そうですか。いえ、端的に言うなら、経済的な問題です」

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