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梟の境域  作者: おんたま
一章
8/10

お嬢様との模擬戦 下

 ルイジと伯爵が後ろに下がったのを確認した後。

 俺は右手に持った木刀を正面に構えた。

 同時に左足を引いて、半身の姿勢に。軽く腰を落とす。

 かつて学んだ通りの、型通りの構え方だ。

 むしろそれ以外に、俺が動ける術はない。


 対して、相手側も構えを取った。

 あちらはこちらとまったく違う思想の構え方。

 背筋は真っ直ぐ。左足を引き、両手で持った木刀の切っ先を喉に差し向けられる。

 緊張。交差する視線が絡むように、相互にぶつかり合っていた。

 しかし、そうして静かに対峙できていたのは、ほんの一瞬限りのこと。


 先に動いたのは、彼女の方だ。

 構えた姿勢から上段に振りかぶると、まさしく跳ねるような足さばきで一気に距離を詰めてくる。

 素人目にもわかった。

 どこにも偏りのない、流れるような躰の動き。

 その速さにまさしく意表を突かれて、こちらの反応が遅れる。


 再び一瞬だけ、彼女と視線が合った。

 そして素早い振り下ろし。頭。狙いすました一撃。

 なんとか俺は木刀を横に構えて、その攻撃を正面から受け止める。


「……っ!」


 互いの木刀の刃先が触れ合い、跳ねて、乾いた音が周囲に響いた。

 同時に、びりびりとした手応え。熱。両手にじかに伝わってくる。

 俺はとっさに後ろに引いて、彼女から少し距離を取った。


(……マジかよ)


 たったの一合、打ち合っただけ。

 それなのに、俺ははっきりと悟らされていた。


 ルイジの助言通り、間違いなくこの相手には武芸の心得がある。

 しかも、はるか想像した以上に。少なくとも、俺より確実に腕が立つ。

 彼女のそれは、ただ独学で覚えたような力ずくなだけの攻撃ではないのだ。

 その動きには腕の振り方ひとつとっても、並大抵ではない鍛錬の跡が感じられた。


 しかも、さきほどの一振りを受け止めた両腕。

 ことさら支えに使った左手に、じんとした痺れが残っている。

 彼女の容姿からしてそこまで筋力はない。

 だから、この衝撃こそ間違いなく技術によるものだろう。

 剣先に彼女の全身の力が乗っているからこその威力。

 ルイジの助言を聞かず、お嬢様相手と舐めてかかっていたら、間違いなくさっきの一撃を受けて大怪我をしていた。

 

 一方、きちんと当たらなかったとはいえ、向こうも今の打ち込みには手応えがあったらしい。

 また俺の受け止める動き、身の逸らし方を見て、大した相手ではないと判断したようだ。

 だから、ますます積極的に攻め込んでくる。


 左右から上段への、断続的な攻撃。

 それを木刀で受け止めたり受け流したりしながら、俺はようやくさばいていく。

 相手の圧倒的な手数の多さに、なんとか対応している状況だった。

 たったの一太刀ですら、こちらが攻撃を挟む機会などない。

 まさしく防戦一方の戦い方。


 それでも一呼吸分の連打をどうにか俺は乗り切った。

 ……乗り切ったつもりだった。

 しかし最後の一合に、知らず隙を見せていたらしい。


 左肩。気付いたときには、思い切り強く打たれていた。

 瞬間、まず感じたのは、太い針を打ち込まれたような鋭い痛み。

 遅れて、じんとした鈍く重い痛みが躰の隅々にまで広がっていく。


「……っ」


 俺の歪む表情を見て、一度距離を取った彼女はルイジの方に視線をやった。

 

『まだ続けるのか』


 彼女がそう言いたいのは、俺の目にもわかった。

 すでに力量の差は見えていると。

 しかしルイジは彼女に向けて首を振る。

 まだ続けろと。

 もちろん、俺もそのつもりだ。

 肩口の痛みを堪えて、木刀を構え直す。


 対して彼女は、いくらかでも温情を抱いたことを後悔したようだった。

 それが少し悲しそうな表情に見えたのは、俺の勘違いだろうか。

 と、気づけば構え直した彼女が再びこちらに向かってきている。


(このままだと)


 負ける。何もできないまま、負けてしまう。

 そのほんのわずかな合間に、頭が働いた。

 そしたらどうなる? 俺は? 妹の結婚については? 


 ……許されない。それは受け入れられない。

 不都合を(・・・・)押し付けられるべきが(・・・・・・・・・・)こちらであって(・・・・・・・)はならない(・・・・・)


 だから俺は一息に覚悟を決め、彼女と同じく前に出た。

 木刀の切っ先を彼女の喉に向け、その圧力に負けないよう思い切り奥歯を噛みしめる。


 彼女もまた、防戦一方だったこちら側が攻勢に出てくるとは思わなかったようだ。

 しかし次の瞬間には気を取り直し、木刀を大きく振りかぶる。

 そしてしっかりと狙いを定め、俺の頭に向かって振り下ろす。

 

 ――――俺と彼女の間には、間違いなく大きな差があるようだった

 それは互いの力量についての話だけではない。

 経験。それも、自分より強い相手に打ち負かされた経験。

 ルイジが何度もこの戦いを『模擬戦』と強調した意味がここにきてようやくわかった。


 俺は彼女が振るった攻撃を防ごうとしなかった。

 代わりに狙われた頭の位置を、躰を少しだけ横にずらしてやる。

 その結果、再び俺は肩を打たれた。


 衝撃。今度は鋭い痛みと鈍い痛みがほとんど変わらない速度でやって来る。

 それらは累乗して、先ほどとは比べ物にならないほどの痛みになった。

 まるで雷に打たれたように全身がひどく強張る。


 しかし。

 しかしまだ、耐えられる。

 これくらいの痛みなら、今までに何度も経験したことがある。

 彼女より強い相手に打ち据えられた経験が俺にはある。

 そして彼女は本気で立ち向かってくる相手と戦った経験がない。

 おそらく互いの差を分けたのはそこだった。


 これ以上ない手応えがあったからだろう。

 安堵し、しかしそれゆえ驚く彼女の表情が見えたのと同時に、俺は木刀を手から放していた。

 そして目の前にいる彼女の胸襟を掴むと、その両足の合間に片足を差し込み、引っ掛け、前へ出る勢いのままに押し倒す。

 

「……っらぁ!」


 浴びせ倒し。

 足を絡ませたまま倒したので、俺の躰がちょうど上から覆いかぶさるような形になった。

 支えもなく、宙に浮く感覚。

 その体勢での、地面との接触。


「っ、くっ!」


 瞬間、彼女の喉奥から息が漏れた。

 ちょうど横向きになって倒れた彼女は、二人分の体重でしたたかに脇腹と肩を打ち付けたはずだ。


 静寂。遅れて全身で感じる、柔らかな感触。

 気がつくと、互いの息がかかる距離まで顔が近づいていた。

 自然、視線も合っている。


 軽く日に焼けた肌に、きれいな瞳。

 そうそう日常の生活では見かけない、美しく整った顔つき。

 美しいものは人の意識を奪う癖がある。

 どうして俺はこんな見目の良い相手と戦っているのか、一瞬その意味がわからなくなる。


 そういう部分(・・・・・・)が俺の駄目なところなのだ。

 衝撃。脇腹。遅れて鈍い痛みが全身に広がっていく。

 彼女は押し倒された後でも、握りしめた木刀から手を離さなかったようだ。

 つかの頭の部分を、思い切り俺の横腹に叩きつけていた。


 当たりどころが悪かったのかもしれない。

 一気に呼吸ができなくなる。

 痺れで横隔膜が働かず、本能的に少しでも息を吸おうと俺の躰がのけぞった。


 そしてまさにその動きこそ、彼女の狙いだったのかもしれない。 

 互いの躰の間に出来た隙間から細い手が飛び出る。

 掌底。角度のない鋭い攻撃が、顔の下をかすめていった。


 それもかろうじてまともには当たらなかったようだ

 ほとんど痛みは感じない。

 が、その癖、自分の視界が大きく揺れ始めたことに俺は気づく。

 一瞬、気を取られる。


 その隙に、続けてもう一撃。

 今度は綺麗にあごを打ち抜かれた。

 がちんと歯が組み合わさり、衝撃で目の前に火花が飛ぶ。

 もはや堪えきれるものではなかった。

 俺は視界が揺れるままに躰を倒して、彼女の脇に転がった。


「……!」


 俺の躰がどいたことで、すぐに彼女は自分の上半身を起こそうとした。

 しかし、彼女の動きはひどく鈍く、なかなか起き上がることができない。

 想像していた以上に強く左肩を打ち付けていたようだ。

 痛みはさほどでなくとも、頭で思うようには躰がついてこないのだろう。


 そうして一瞬、彼女の意識がよそを向いた。

 これがおそらく最後のチャンスだった。

 彼女が必死に動こうとしている横で、俺は思い切り歯を食いしばって上半身を起こす。

 身の回りの、あらゆることへの執着。


 すぐに横を向いた。ちょうど背を向けている彼女の姿。

 もはやためらっている場合ではなかった。

 俺は自分の躰を転がして移動し、その無防備な背中を目指す。

 そうして彼女の背中に自分の腹をくっつけると、勢いのままにその細い首に腕をまわした。

 彼女は一息遅れて気づいたようだが、もう遅い。

 躰が反応しようとした時には、すでに彼女の首周りにぴたりと俺の腕が絡んでいる。 


「っ!」


 そのまま、一気に締め上げた。

 頸動脈けいどうみゃく。首締め。

 喉の左右両側、頭部への血の流れを塞ぎ止める。

 それは昔、俺自身が訓練で何度も何度も仕掛けられた技。

 どこをどう締め付けられたら失神するかは、まさに自分の躰が覚えていた。

 

 もちろん彼女は俺の腕を掴んで暴れようとした。

 が、やはり躰の仕組みには勝てない。

 すぐにその力は弱くなり、まもなくその全身から力が抜ける。

 教科書通りの対応。それでもしばらくは締め続ける。

 そうして彼女の反応がほとんどなくなったところで、俺はようやく腕から力を抜いた。


 彼女は、動かない。

 俺は静かにその躰を地面に寝かせると、よろよろと起き上がってルイジの方を見る。


「勝負あり、ですね」

 

 その一言がいささかぶれて聞こえるほどには、まだ頭が揺れていた。

 ものすごく、あごが痛い。肩の痛みも気を抜くと叫びだしそうなほどである。

 こちらの被害は割と大きい――というか、だいぶ結構かなり辛い。


 とはいえ、間違いなく勝利は勝利――なのだが、そういえばこんな勝ち方で良かったのだろうかと今更ながら俺は思った。


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