お嬢様との模擬戦 上
「お前、本当に、何考えてんだ?」
俺は小声のまま、薄く目を開いてルイジと視線を合わせると、自分のこめかみに指を当てながら言う。
もはや怒るというより、呆れるような気持ちの方が大きかった。
ルイジはいったい何のつもりでそんな適当なことを言ったのだろう。
「まず、そもそもだ。俺は手荒なことに慣れてない。むしろ苦手な方だし、つーか、お前も知ってるだろ。俺が誰かと喧嘩したことなんか、片手で数えるくらいも――」
「いいえ。喧嘩をしたことがなくても、身を守る術を学んだことはあるはずです。これは喧嘩ではなくて模擬戦ですし、僕の兄と一緒に学校で習った通りに動いてもらえれば大丈夫なはずですよ」
また学校に通っていた頃の話か。
ルイジはそう簡単に言うが、あの講義で受けられた指導など、おそらくその道の初歩の初歩に過ぎなかったはずだ。
武器を持たずに腕の振り方から始まるような訓練を受けたくらいで、まして腕に覚えがあるなどとは口が裂けても言えないはず。
「なあ。お前やっぱり俺のこと、ほかの誰かと勘違いしてるんじゃ」
「いいえ。オウルさんで合ってます。ですので、突然の話ですみませんが、まあここはひとつ模擬戦をお願いします。それに大丈夫です、僕の知っているオウルさんなら彼女になんか負けませんから」
俺の口調が崩れたことにつられたのか、ルイジの口調も昔に近くなっている。
しかし何にしろ、そんな根拠もない理屈を一方的に押し付けられても困るのだ。
明らかな面倒事を前に、しかしなんとか俺は頭をめぐらし、
「なら、あれだ。お前の顔を潰すために、俺がわざと負けることだって」
その途端、ルイジは冷たい口調で言った。
「……僕は今、オウルさんと対等の立場のつもりで話してます。だから、もし本当にオウルさんがそうしたいなら僕は止めません。ですがその場合、間違いなくこの世にひとつ不幸な家庭が生まれます。そうなったらオウルさん、よほど恨まれますよ」
もちろん、ルイジが何を言いたいのかはわかっている。
その一言に、俺は小さく舌打ちをして顔を半分歪ませた。
思い出さねばならない。俺に最初から判断の余地は与えられていない。
「だから、お願いします。それに一度彼女と向かい合ってもらえれば、僕が負けないと言った意味がオウルさんにもわかるはずです」
俺としては、その思い込みの根拠を問いただしたいところだった。
が、急にはうまい方法も思いつかず、加えて急に立ち止まった俺たちを伯爵が不思議そうな顔で見つめている。
いつまでもこのままではいられない。
俺はルイジにだけ嫌な顔を見せながら、ただただうなずくほかはなかった。
まもなく俺たち三人が広場にたどり着いても、彼女の方から挨拶などをしてくることはなかった。
伯爵はもちろん俺たちへの体裁から、せめて挨拶くらいはするように娘に言いつけたが、代わりにこちらに向けられたのはただただ一方的な敵意である。
その態度には俺も、おっと思った。
少なくとも、結構な家柄を持つお嬢様にとって好ましい振る舞いではないと。
まあ、彼女にすれば「自分より弱い男」など、まだ誰とも結婚したくなくて言い出した条件なのだろうし、こうした状況設定が彼女の意に沿っていないのは理解できる。
俺にしても、ルイジに脅されてここまでやって来たのだ。
どちらかといえば、悪者はこちら側なのだろうとも思えなくはない。
ただ、それでも。俺は覚悟を決めねばならなかった。
なぜなら今日の自分の役割に妹の幸せが掛かっているのだ。
彼女には彼女の捉え方があるように、こちらにはこちらの立場がある。
つまりは、相互の利益のぶつかり合い。
そして、どちらか一方が不都合を背負うことを避けられないのなら――。
申し訳ないが、向こうにすべてを押し付けて済ませるほかはない。
「どちらかが動けなくなったり、あるいは気絶などしたら負けです。もちろん『参った』と自己申告をしてもかまいません」
ルイジはその場にいる全員に聞こえるように、淡々と事務的に話を進めていく。
この何とも軽やかさのない空気の中で、まったくぶれずにその態度を保てるのはもはや見上げたものでさえあった。
そして手渡される。木刀。
おそらく彼女が持っているのと同じつくりのものだろう。
細身の刀身の割に中身が詰まっているのか、ずっしりとした重みを感じる。
それは俺にとって心強くもあり。
またこれで躰を打たれたら大怪我するなという思いもあり。
「それでは、早速始めましょうか」
と、そんな俺の感傷的な態度などは気にもとまらないようだった。
ルイジの一言にゆったりと足取り重く、俺は前に一歩踏み出した。




