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梟の境域  作者: おんたま
一章
5/10

伯爵の屋敷 上

 昨晩の出来事は、本当に起こったことだったのか。

 朝になり、目が覚めた俺は寝ぼけ頭でそんなことを考えていた。


 が、しかし、少し遅れて襲ってきた二日酔いの頭痛と同じく。

 本当にルイジはわざわざ我が家のある町外れの一区画までやってきたようである。

 玄関の戸を叩かれ、半ばぶすっとした表情で出迎えた俺に、ルイジは明るく声をかける。


「おはようございます。今日は柔らかな日差しで気持ちのいい朝ですね」


 文字面どおりの、爽やかな口調。

 昨日の今日で、よくそんな口がきけるものだった。

 俺もそろそろ目の前にいる男の神経を疑い始めたところで、


「行きましょうか」


 ルイジは言い、ぱっと後ろを向いて歩き出した。

 それ以上は何の説明もする気はないらしい。


 一応このまま仕事に向かう場合も考えていたので、出かける準備だけは整えていた。

 俺は先を歩くルイジに続いて、家の前に停められた馬車に乗る。

 その光景に、たまたま外に出ていた近所の人たちがどういうことかと質問したそうにこちらを見ていたが、俺は最後までその視線に気づかないふりを貫いた。

 まずもって説明しようにも、どこからどう話せばよいのか。

 考えるだに面倒だった。


 そうして二人ともに乗り込むと、ルイジはこんこんと窓を叩いて合図を送る。

 まもなくゆっくりと馬車が動き出した。


「どこに向かうつもりだ?」

「ええ、今日はあるお屋敷に」


 質問してみると、割り合い簡単に答えが返ってくる。


「お前の父親に、会わせるつもりじゃないよな」


 続けて俺は尋ねた。

 それは昨日一晩考えた中で、思いつく限り一番最悪の想定だった。

 

「……会いたいんですか?」

「いや、まったく。できればもう二度と会いたくない」


 そう言うと、ルイジは笑って答えた。


「心配いりません。父は今躰の調子が悪く、地元の屋敷で療養しています。この町まで連れてきて会わせるような真似はできませんよ」

「……もう結構な歳だろ。危ないのか」

「いえ、ただの神経痛みたいですね。今も変わらず、頭ははっきりしていますよ。まあ、最近はそこに躰が追いつかないみたいですが」

「想像がつかないな」


 俺は昔見た記憶のままの、ルイジの父親の顔を思い出す。

 母親に似たらしいルイジとは異なる、その無骨な顔つき。

 苛烈な光を放つ目に、まるでとがっているようにも見える鷲鼻。

 そして口元に豊かに蓄えられた髭。

 その容姿は、まさしく自身の立場をありありと物語っているようだった。


 パクセル。ルイジの父親の名前である。

 もしかしたら、俺が住んでいるこの町の有力者の、そのまた上の、案外そのまた上くらいの有力者。


 いや正直に言うと、その正式な役職は今の俺にはわからない。

 ましてどのくらい権力があるのかとも簡単には言えないだろう。

 が、少なくとも気に入らない相手を指示一つで社会的に葬り去れるほどではあるはずだ。


「じゃあ今日はどこの屋敷に、何の用件で行くつもりなんだ?」

「すみません、細かい説明はあと少し待ってください。一度でまとめてやってしまいたいので」


 ここに来て、急に自分勝手な言い草だった。 

 とはいえ、すでに馬車に乗ってしまっている以上逃げられはしない。

 俺はそれ以上何も言わず、黙って窓から外の景色を眺めていた。


 見慣れた町の光景。

 朝から家の周りを走り回る、元気な子どもたち。

 その様子を横目で眺めながら、連れ立って井戸端会議をしている奥さまがた。

 あるいは今日の食い扶持を稼ぐために職場へ向かう、あんまりやる気の見えない顔ぶれ。


 それでも少し高い位置から眺めると、なんとなく印象が違って見える。

 こういう視点で周囲を眺めていられる人間もいるのだと俺はふと昔の記憶を思い出す。


 と、さらに気づいたのはルイジの馬車に揺れがほとんどないことで、おそらく見えないところにずいぶん金が掛かっているのだろう。

 いや気を付けて触ってみれば、腰掛けの下にもみっしりと綿が詰まっている。

 柔らかく、ふかふかとした感触は心地いいが、必要以上に快適過ぎる気もしなくはない。


(なんというか、勘違いしそうになるよな)


 そんなことを考えながら時間を潰していると、時間が経つのは早かった。

 目的の場所に到着したらしい。


「着きました。ここです」


 声をかけられ、俺は窓の外を見たままうなずく。

 どうやらここは、俺が住んでいる場所からちょうど町を挟んで反対側。

 地価の高い、いわゆる富裕層が住む町の東区画の地域まで連れて来られたようだ。


 そしてすぐ目の前にある屋敷の外観を俺は眺めた。


「確かに、お前のとこの屋敷じゃないな」


 その大きさを見れば、ひと目でわかる。

 昔俺が学校・・に通っていた頃、誘われてルイジの実家まで遊びに行ったことがあるが、その時見た土地と建物の大きさは、まるでこの程度の比ではなかったはずだ。

 少なくとも目の前の屋敷に比べて、二倍ほどはあったように思う。

 だからたとえ別荘であろうと、こんな視界に収まる程度の手狭な土地にわざわざ屋敷を建てようとする感覚はこいつの家系にはないはずだ。


「ええ、そうですね。オウルさんがおっしゃるように、ここはエイナントという伯爵の屋敷です。十年ほど前まではこの辺りでも権勢を誇っていた方なのだそうですが、最近は……」


 鳴かず飛ばずということだろう。はっきりと言われずとも理解はできた。

 ここ数十年の間の、時代の趨勢すうせい

 その変化に追いついていくのがなかなか難しいことは知っている。

 それでも俺が住んでいる小屋のような家と比べれば、この屋敷の豪華さは天と地ほどの差があるが。


「中に入るのか?」

「はい。もちろん正面から。まさか僕が泥棒でもさせると思いましたか?」


 そのよくわからない冗談には笑わない。

 馬車から降りた俺とルイジは、目の前の門に向かって歩いて行く。


 玄関の呼び鐘を叩いて鳴らすと、すぐに屋敷から使用人が飛び出してきた。

 どうやら前もって約束してあったらしく、その使用人はひどくかしこまった態度である。

 ややあって門が開かれ、案内のまま、俺とルイジは屋敷の敷地に足を踏み入れる。


 外観から想像したよりも手狭な庭を通り、屋敷の玄関口へ。

 すると、わざわざ玄関の前まで出迎えに出てきていたらしい。

 

「これはこれは、ルイジさま! ようこそ我が屋敷に、よくいらっしゃいました!」


 その恰幅の良い見た目からして、この屋敷の主人だろう。

 壮年の男性がルイジに向かって親しげに言った。


「こちらがエイナント伯爵です」


 そう小声で俺に言ってみせた後、


「ええ、伯爵。数日ぶりですね。今日はお招きありがたく」


 そう言ってルイジもまた大げさな身振りをしながら伯爵に歩み寄り、彼と握手をした。


「ああ、本当にこうしてルイジさまを再びお迎えできるとは! 今日はなんと素晴らしい日なのでしょう!」


 ずいぶん大げさな伯爵の口調だったが、事実まるで次の瞬間には、喜びで全身が震えだしそうな顔つきをしていた。

 そしてまもなく俺の存在にも気づいたらしい。


「……して、そちらの方が?」


 ルイジはええ、と振り向いて答える。


「こちらは僕が信頼する友人のうちの一人です。いや、僕にとっては『頼れる兄のような存在』とでも言いましょうか。今日は僕が無理を言って付いてきてもらいました」

「ああ、そうなのですか!」


 その説明に、俺のことをどこか高貴な出の人間と思ったのかもしれない。

 伯爵からのルイジへの信用は並々でないようで、俺も握手を求められた。


「これはこれは、お会い出来て光栄です」


 とりあえず場の空気に合わせて俺は手を伸ばし、適当なことを言う伯爵とがっちり握手をした。

 また名を尋ねられたので、オウルとだけ名乗る。

 すると伯爵は俺が家の名前を出さないことに、また身に付けている安っぽい服装にひどく不思議そうな顔をしたが、それ以上問いただしてはこなかった。


「それで、今日はお嬢さんは――」


 互いの挨拶が終わったところで、さっそく本題とルイジは言った。


「ええ、お約束の通り、中庭の方でルイジさまをお待ちしております。本来であればドレスでも着て、私と一緒にルイジさまを出迎えるべきなのですが……」

「いえいえ、こちらからお願いしたことですから」


 ルイジが言うと、伯爵は少しだけ戸惑ったような表情をした。

 示される態度をなんと受け止めていいのか、反応が難しいらしい。


「それで最後の確認なのですが。お嬢さんは今回の話を、本当に受け入れてくれているのですね?」


 そこに続けてルイジが尋ねる。


「……ええ。娘も納得はしております。つねづね自分から語ってもいましたから」


 伯爵はそう言いつつ、ルイジの顔を見つめる。


「ただその、ルイジさまを疑っているわけではありませんが……。本当に、先日おっしゃられた内容を信じてもよろしいのでしょうか」

「ええ、もちろん。今日の結果にかかわらず、伯爵家への支援は私が責任を持って行います。だから安心してください」

「……そうですか。どうぞよろしくお願いいたします。では、こちらへ」


 伯爵が後ろを向いて歩き出したところで、俺はこっそりとルイジの背中をつつく。


「……おい、どういうことだ」


 まったく事情がわからない。

 確認のため尋ねたが、ルイジは首を振るだけだ。

 そしてルイジも歩き出したので、仕方なくその後をついていく。

 そのまま玄関の扉を通って、俺は屋敷の中に足を踏み入れた。


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