五年ぶりの邂逅 上
気がついて辺りを見回せば、店内に客は一人もいなかった。
俺が受け身な妄想に浮かれている間に、全員が店から出ていってしまったらしい。
(それとも――)
まさか、こいつが仕組んだことだろうか。
突然のことに何の反応もできないでいる間に、隣の椅子にするりと座った男。
その顔を俺はまじまじと見つめる。
ルイジ。かつていた俺の友人の――弟。
重ねて言えば、こいつは『トリアル家』という名家の息子でもある。
つまりは『権力者の息子』だった。
そんな立場を持つこの男がその気になったのなら、酒場をひとつ貸し切りにするなどそう難しいことではないはずだ。
しかし、仮にそうだったとして、わざわざルイジがそんな手間をかける理由は?
……わからなかった。
なにせ最後にルイジに会ったのは何年も前のことだったし、その別れ方もまたあまり気持ちの良いものではなかった。
「僕にも、オウルさんと同じものを」
そんな俺の思いとは裏腹に、ひょうひょうとした声でルイジが店員に声をかけた。
すぐに酒の入ったグラスが差し出される。
それを手に取り、ほんのわずかほど口をつけると、ルイジはこちらを向いて言った。
「おかわりはいいんですか?」
目の前にあるグラスがほとんど空なことに気づいたらしい。
その言い方には、俺の懐事情に比べてよほどの余裕が透けて見えた。
「いや……まあ、金ないからな」
イェルトさんが相手ならともかく、ルイジを前にして見栄を張っても仕方ない。
とはいえ、自分でも驚くほどぶっきらぼうな言い方になってしまった。
歳上上司への妄想という、さきほどまでの甘い気分もすっかり霧散している。
「はは。結納金のために頑張りすぎるからですよ」
対してルイジは、ほがらかに笑って言った。
あからさまな軽口にしか聞こえない口調。
だがこの一言で、俺は気付く。
この場所にルイジが現れたのは、絶対に偶然ではない。
ひと月前に決まったばかりの妹の結婚について。
しかも結納金の額までこいつが知っている様子なのはなぜなのか。
「……お前に招待状なんか出した覚えないけどな」
そこまで考えたところで、俺はルイジへの対応の仕方を決めた。
古い知り合いに対する親しげな態度ではもちろんない。
喉に力を込めてまるっきり喧嘩腰に、脅しつけるような声色で尋ねる。
「なんで、俺が今日この店にいることを知ってる? まさか俺の家からここまで後でも付けてきたのか?」
まずはそこからだった。
俺の質問に、ルイジは笑みを崩さず答える。
「そんな怖い声を出さないでくださいよ。それより――せっかく久しぶりに会ったんですから、まずは思い出話でもしませんか。あとはオウルさんの近況についても聞きたいですし」
「ふざけるな。ちゃんとこっちが訊いてることに答えろ」
俺は問い詰めるように言ったが、ルイジはどこ吹く風といった表情だった。
こちらの質問に答える気はないようで、会話に埒が明かない。
「……第一、おまえと話すことなんか思いつかない」
実際、それが俺の本音だった。
しかしルイジは不思議そうな顔をして言う。
「そうですか? 昔、同じ学校に通っていた頃は、いろんなことをよく話して教えてくれたじゃないですか。たったの一年間だけでしたが、あの頃僕は本当に楽しかったんですよ?」
「……そんなこと言い出すような歳じゃないだろ、まだ」
ルイジは俺より一つ歳下だから、今は十七歳のはずだ。
しかし、その口調や横顔を見る限り、俺よりずっと大人びても見える。
……おそらくここ五年の違い、お互い生きてきた環境の違いだろう。
あの兄貴の後ろを追いかけるだけだった気弱な弟も、五年も経つとここまで成長する。
「いやいや、今と比べたら本当に楽しかったですよ、あの頃は。まだ、兄さんもいましたし」
その一言に、俺はルイジから視線を外した。
思い出したくない過去をほじくられる感覚。
ルイジもまたそんな俺の様子に気づいたようだった。
「……まあ、いいです。本題に入りましょうか。実は今日僕が来たのは、昔みたいにオウルさんにお願いがあって――」
「断る」
ほとんど即答だった。
お願いという単語が聞こえた瞬間、先回りして俺は言った。
「はい?」
「ほかに用事があって忙しいんだ」
もう俺はルイジとの会話に見切りをつけていた。
だが、そういう優しい言い方では、ルイジには伝わらなかったらしい。
「えー、またまた。こうやって飲みに来れるくらいには余裕があるじゃないですか」
「……ここには酒を飲みに来たわけじゃない。約束があったから来ただけだ」
「ああ、そうですよね、すみません。ですが、この店はもう貸し切りにしてあります」
やっぱり、そうか。
ルイジの言葉を聞いて俺はすぐ席を立った。
それなら店の前で待ってイェルトさんと合流すればいい。
その後で、また別の店に行けばいいだけだ。
と、そんなふうに俺が急に動き出したので慌てたらしい。
ルイジは口で何か言うよりも先、俺の肩を掴んで引き留めようとした。
「オウルさん」
その手には、意外なほどに強い力が込められていた。
しかしそんなルイジの意思を肩で振り払って、俺は言う。
「悪いが、また今度な」
語尾に力を入れたので、今度こそこちらの意図も伝わったようだ。
ルイジはひどくつまらなそうな顔をして答える。
「……そんなに、僕がする話には興味ありませんか?」
「ない」
もはや振り向きもせずに言い、そのまま俺は店を立ち去ろうとする――が、具合の悪いことに。
まだ二杯分の酒の代金を支払っていないと思い出してしまった。
まさかこの勢いのまま、食い逃げをするわけにもいかない。
なので仕方なく一度足を止め、俺は懐から金を取り出そうとして――。
「妹さんに関わる話、と言ってもですか」
背中にぶつけられた言葉の響きに、俺の中で時間が止まった。
(……妹?)
そう頭の中でつぶやいた瞬間、躰にびりりと電気が奔る。
次の瞬間、振り向いた俺は跳ねるように躰を動かすと、ルイジに駆け寄り、その胸ぐらを乱暴に掴んで引き上げた。
「……お前。お前、俺の妹相手に何かするようだったら、本気でぶっ殺すぞ」
冷静でない頭に反して、口から出たのは冷え切った声色。
しかし、思うまま口をついた言葉に嘘はなかった。
文字通りの意味で、そうするだけの覚悟があった。
相手の顔を寸前まで引き寄せて、俺はよほどの表情で凄んでみせる。
だが、こんな俺の態度にもルイジの目に怯えが浮かぶことはない。
それどころか、こちらの視線を真正面から受け止めたまま、
「だったら、まずは僕の話を聞いてください。とりあえずは聞くだけでもいいので」
その言葉の後も、俺はルイジの顔をしばらく睨み続けていた。
しかし、一度視線を外して手を離した俺は、大きく舌打ちして先ほどと同じ席に座る。
すると、ルイジは何事もなかったかのようにその表情を柔和なものに戻し、
「そうだ。言い遅れてしまいましたが、妹さんのご結婚おめでとうございます」
「……」
毒気を抜くような一言に、いまさら何をと俺は思った。
だが、いちいち突っかかっていては話が進まない。
「……早く本題に入ってくれ」
「ええ、そうですね」
ルイジは答えて、顎に手を当てながら正面を向く。
しかしまたすぐにこちらに目を向けると、
「その前にすみません、ちょっとこれだけ確認なんですが、オウルさんって今まで大きな病気とかしたことなかったですよね?」
このルイジの態度。
だいぶだいぶ、悪ふざけが過ぎるようだった。
俺はいらついていると十分伝わるよう、低い声色で答えた。
「ないな」
「それはよかった。あとはそうですね――。今でも運動はされてますか?」
「……なあ、お前、ふざけんなよ。本当に何を」
「いえ、昔より体力が落ちていないようならそれで大丈夫です。それじゃあ」
と、そこまで言った後、ルイジは急に黙り込んで俺の顔を見つめる。
ここにきてまた何かを思いついたらしい。
その視線を俺がうろんな目つきのままに見返していると、
「すみません、やっぱりちょっと段取りを変えることにしました」
「ああ?」
「今日は思い出話が少しできたことだけで満足しました。その代わり、明日改めてもう一度時間を頂きたいのですが」
ここにきて、ルイジがずいぶん勝手なことを言い始めた。




