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梟の境域  作者: おんたま
プロローグ
2/10

妹の結婚 下

 住んでいる町の北側、大通りから一つ外れた裏の細道。

 今日会う相手に指定されたのは、あまり人通りの多くない、ずいぶんひっそりとした場所にあるお店だった。


「いらっしゃいませ」


 俺が扉を開けて中に入ると、落ち着いた渋みのある声に迎え入れられる。

 薄暗く、どこかしっとりとした雰囲気のある店内。

 見回せば、カウンター席とテーブル席がそれぞれ左右に並んでいた。

 客は二三人しかおらず、そのうちのどこに腰掛けようか俺が迷っていると、カウンターの内側にいるバーテンダーが「こちらへ」と手で示してくれる。


「お待ち合わせですか?」


 背もたれのない椅子にぎしと腰掛けると、再び声をかけられた。


「あー、はい。連れが一人、あとで来ます」

「かしこまりました。それではお待ちの間、何かお出ししましょうか」

「……えーと、じゃあ、あまり強くないものを」


 慣れない場所に、こちらが緊張していることに気づいたのかもしれない。

 どこか型通りっぽいやりとりをすると、店員は軽やかな笑みを浮かべてうなずいた。

 すぐ後ろにあった瓶に手を伸ばし、用意したグラスの半分ほどまで静かに注ぐ。


「どうぞ」


 そっと目の前に差し出される。

 ……匂いからすると、かなり強い酒のようだった。

 不思議に思って店員の顔を見てみたが、まずは試してくださいとうながされる。


 それで一口舐めてみたら、なるほど、度数の高い蒸留酒を水で薄めてあるらしい。

 しかし味にぼやけたような印象もなく、鼻に抜ける大麦の香りが妙に心地よかった。


 それで満足した俺がいつものように懐から金を出そうとすると、その動きに気づいた店員が小さく首を振る。

 

「当店では、最後にまとめてお支払いただきますので」

「……あっ、すいません」


 気遣って小声で教えてくれたが、それでもちょっと恥ずかしかった。

 俺がいつも通っているような酒場とは、どうも根本からルールが異なるらしい。

 一杯ごとに支払うのではなく、最後にまとめて金を支払うシステムのようだ。


 つまりは高級店、ということなのだろう。

 念のため、よそ行きの服を着てきて正解だった。

 まさか酔っ払って右も左もわからなくなるような客など、この店は最初から相手にしていないのだ。


(ってことは……)

 

 店員がよそを向いているところを見計らって、俺はテーブル手前に置いてあった品書きをまじまじと見つめる。すると案の定というか、ざっと眺めた限りで一番値段の安い酒でも、いつも行く店の三倍から五倍程度の値段で出されているようだ。


『最悪、ここで三杯飲むつもりなら違う店で十五杯飲める』


 その事実に気がついてしまうと、俺としては力なく下を向くしかない。

 正直、今からでも店を変えられないかと思ってしまう。


 情けない話をするようで恥ずかしいが、妹に持たせてやった結納金。

 その金額がかなり懐に響いていた。

 しかるに、これまでの蓄え何もかもを吐き出して、次の給料が入るまでは非常に厳しい状況。

 とはいえもちろん、精一杯背伸びをした支度で妹を送り出したことに、まったく後悔はないのだけれど。


(それに、まあ)


 そもそも、向こうに指定された店なのだから仕方ない。

 最悪明日からは、さらに財布の紐をきつく締めればいい。


 一度ため息をつき、それからゆっくりと店内を見回して俺は思う。


(しかし、イェルトさんって……いつもこういう場所で飲んでるんだな)


 率直な感想として、この全体的に洗練された空間も、物の置き方ひとつとっても何かしらの意味合いがありそうな配置も。

 正直、全ての用事を近場で済ませるような自分からすると、若干居心地の悪さすら感じるようだった。


(そりゃ、仕事場以外で見かけるわけないか)


 思えば、イェルトさんが誰かと一緒に飲みに行ったという噂も聞いたことがない。

 考えてみれば、イェルトさん自身の背景を俺はほとんど知らないのだ。

 その点ひとつとってみても、今日の約束には何か思わせぶりな感じもある。


 いや、さしあたってそもそもだ。

 今回、イェルトさんに二人でお酒を飲もうと誘われた件について。

 イェルトさんはいったいどういうつもりで、こちらを誘ったものだろう。


 より正確に言えば、


『二十八歳の大人びた女性が』

『十も歳下の世間知らずの男をつかまえて』

『二人きりでお高い格式高い酒場に誘う時』


 というのは、客観的に見てどういう意味合いを持つだろう。


 もちろん正式なお題目としては、妹の結婚話が無事実を結んだことにあたってのお祝いだ。

 いや八割以上の確率で、それ以外の意味はないに違いない。

 たとえば大仕事の成功を祝う時のように、優しい上司が部下のめでたい祝い事を一緒に喜んでくれているだけなのだろうとは俺も思う。

 実際、イェルトさん自身も少なからず関わっている話なのだ。


 ……だが、しかし。残りの一割か、二割。

 耳元でささやかれた時に感じた、ほんのちいさな可能性。

 手元のグラスで手遊びをしながら、ゆっくりと俺は息を吐く。


 今日巣立っていった妹の幸せな表情や態度。

 間近に見せつけられて、それに当てられた面もあるのだろうが――。

 俺はイェルトさんとの約束に、どこかでちょっと期待しているのかもしれない。


 すなわち、


『まじかー、初めては年上かー』


 と。


 いや、あらたまって考えてみれば、俺はイェルトさんのことが嫌いではない――と思うのだ。

 それこそ、直接仕事を教えてもらったことこそないものの。思えばこの一年あれこれ回ってくる業務のうち、やりやすいと感じた仕事のほとんどにイェルトさんは関わっていた。


 その感覚を言葉で説明するのは難しいのだけれど、無理やりでも俺の言葉で言えばだ。

 彼女が関わる仕事はまず間違いなく全体が綺麗に整理されていて、しかも明確な目標をこちらの立場に翻訳してくれた上で指示されることが多かったから、今自分が何をするべきなのかが理解しやすかった。

 これがまた、信頼関係もないのに「いい感じにやっといて」とだけ投げてくる人だと、何度も質問に行く手間も含めて、いろいろギクシャクはする。


 だからその、個人的に仕事をする上では好きと言って良いような人だったし、さらによくよく気付いてみれば、仕事をしている最中のあのきりっとした目つきだとか、長い髪を後ろできっちり縛ってまとめている感じのあの雰囲気だとか、誰か人を叱った後にちょっと疲れた表情をして見せるところとか。


 そういった何気ないひとつひとつの仕草や態度に、俺が感じ入る部分はあったはずなのだ。

 ……はずなのだ、とそこまで考えて俺は再び大きく息を吐く。


(いやいやいや)


 まあ、ここまでのはほとんど妄想に違いないけれど。

 なんとなく、イェルトさんは俺に何か新しい世界を見せてくれようとしているのではないか。

 そんな気がしたのは確かだった。


 と、そうして愚にもつかないことを考えている間に、約束の時間も迫ってきた。

 散々迷って頼んだおかわりも、そろそろ半分飲み終わった頃。

 ひときわ大きく、ぎぎと店の扉の開く音がした。

 その鈍い音に反応して俺は視線を向ける。


 すると、店に入ってきた相手は、残念ながらイェルトさんではなかった。

 おそらく俺と同世代の、若い男。

 いやもしかしたら、俺よりも若いくらいかもしれない。


 そんな歳でこういう店に来るだけあって、見たところずいぶん身なりも良いようだった。

 しかも小憎らしいことに、その顔立ちまでがひどく整っている。


 彼もまた待ち合わせでやってきたらしい。

 誰かを探すように店の中を見回した。

 自然、俺とも目が合う。

 すると、男はその顔に笑みを浮かべ、こちらに近寄ってきた。


(うん?)


 その動きに俺は、自分が誰かと勘違いされているのではと思った。

 よくよく見ても、その顔には覚えがなかったからだ。

 だが向こうは、完全にこちらのことを知っているようで、


「お久しぶりです、オウルさん(・・・・・)


 ついに声をかけられた。

 しかも間違いなくこの男は、俺の名前を呼んだ。


「……え?」

「覚えてますか? もうずいぶん会ってなかったから」


 覚えている? 前に会ったことがある?

 いや、確かにその声には、前に聞いたような響きがあった。

 しかしどこで――。何か懐かしいような――。


「あっ」


 ようやく、思い出した。

 自分に向けられているその笑顔。

 当時より成長した、その声。

 五年前の出来事。

 かつて何度も忘れようとした記憶が徐々に蘇ってくる。


「お前……は」


 今、俺の目の前に居る男の名前は、ルイジ。

 こいつは俺のかつての友人、いや、一番の親友だった男の弟だった。

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