かえるさんと僕。
さわさわと、木々が風に揺れる音。さらさらと、川の水が流れる音だけが聞こえてきます。
あまりにも静かな空間に、僕は1人横たわっています。もっとも、人としては1人なのですが、別の生物は、僕の下にいるのですが。
日の光が顔に当たり、あまりの眩しさに起きてしまいます。起きるとともに、お腹の虫が可愛らしくもきゅうとなってしまいました。
「ひかるちゃん、お腹空いたか?ほら、これでも食べり?」
怪しげな関西弁を使い、僕を背に乗せて泳ぐその生物は、舌を器用に操り、川から魚――のような見た目をしているが、角が生えていたりと、絶対食用にしてはいけない色をした生物――を捕まえて僕に差し出しました。
「わーありがとーかえるさん」
僕はその魚をそっと川にリリースしつつ、僕を背に乗せ泳ぐ生物にお礼を言います。きっと、その僕の顔は目が死んでいるに違いないでしょう。
「ふふふ、礼なんていらへんで。お嫁はんのお願いを聞くなんてこと、旦那にとっては当然やからな!」
「僕は男だから。かえるさんのお嫁さんにはなりません」
「えーてえーて! 謙遜せんでも、ひかるちゃんはめちゃめちゃかわいいお嬢さんやがな! それよりも、そんな『かえるさん』なんて他人行儀な呼び方やのうて、フーロッグさん、とか、旦那様、とか、あなた、とか呼んでくれてええねんで?」
「話を聞かないかえるさんですね。100歩譲って、フーロッグさんと呼ぶのはいいですけど、それ以外は却下です」
「げーろげろげろ!恥ずかしがり屋さんやのう、ひかるちゃんは!」
大笑いをするかえるさんを尻目に、僕はまた横になります。悔しいけれど、このかえるさんの背中やお腹はぷよぷよで、慣れるとちょっと気持ちがいいです。10分に1回ぐらい、表面から発せられる油のような粘液を洗い流せばですが。桶のようなものもないので、それも叶わないですが。
どうしてこんなことになってしまっているのでしょうか。
僕は元々、日本のそんなに大きくない町の男子高校生だったのだけれど、運が悪いとでもいえばいいのか、猛スピードで突っ込んできたトラックに轢かれて死んでしました。
それで死んでしまうこと自体が、神様の手違いだったらしく、お詫びという形でこの異世界、『ヒキトゥナ』に転生させられました。姿形が、幼い女の子になってしまうという、これまた神様の手違いのおまけつきで。
さらに運が悪いことに、転生してすぐに野盗の様な集団に捕まり、後からかえるさんに聞いた話だと、奴隷として売られる寸前だったらしいのです。外せなくなってしまった首輪が、その事実をありありと僕に示してきます。
そこをかえるさんに助けてもらってから、かえるさんと2人旅、いや、かえるさんに一方的に連れまわされているわけなのですが。
かえるさんは、名前の通りカエルの獣人――獣人というよりは、どう見てもオークとかモンスターの仲間のような見た目ですが、獣人でいいらしい――で、もう顔がカエルそのままです。カエル自体は嫌いではないけれど、自分よりも巨大なカエルの顔が近づいてきたら、ぶっちゃけ気持ち悪いです。しかもそのカエルが、結婚しようとほざいてくるのです。それも毎日のように。僕じゃなくても、気持ち悪いと思うでしょう。
助けてもらった手前、気持ち悪いとは言わないけれど、結婚だなんて絶対に、死んでも嫌です。第1、普通の男だったとしても、男と結婚だなんてまっぴらごめんです。
「なーなー、ひかるちゃん」
「なんですか、かえるさん」
「式はいつにする?」
「死んでください」
やっぱり、このど腐れカエル嫌いです。
華麗な平泳ぎをしながら、式はどんな風にするだの、勝手な妄想をぶつぶつと呟く気持ち悪いかえるさんは放っておいて、そんなことよりもお腹が空きました。
かえるさんはさっきの魚のような何かや、虫のような何かを食べているので、ぴんぴんと元気にしていますが、僕は人間なのでもっとちゃんとしたご飯が食べたいです。この辺りを考えても、結婚は無理ですね。食文化が違いすぎます。食文化が同じでも、結婚なんてしませんが。
野盗が持っていた食料も、昨日で底をついてしまって、いよいよ僕の食べるものがありません。
「かえるさん」
「なんや?ドレスは王都でいっちゃん綺麗なのを買うで?」
「そんなものは着ません。次の街まで、あとどのくらいですか」
「そうやな、もう、1日もあれば着くんとちゃうかな」
あと1日。現代社会で生活してきた僕にとって、1日何も食べないというのは結構な苦痛ではあるけれど、耐えられないほどではないです。かえるさんの背中で寝ていれば、すぐ着くはずです。
川の水でも飲んで、空腹を紛らわすとしましょう。川の水を手で救うと、ぬちゃっとした感覚が手を包む。無論、かえるさんの体液です。本当に、死んでくれないでしょうか。
「あ、でも次の街はなー。カエル獣人だけ入れない街だからなー。そうなると向こうの街やから、3日ぐらいか?」
「いますぐ別の獣人に生まれ変わってください。さぁはやく。はりーはりー」
「急に辛辣やな!?」
「生きるか死ぬかの瀬戸際なんです。かえるさんがかえるさんなので、僕はお腹が空いて死んでしまいます」
「なんやて!? さっきの魚じゃ足りひんか! ちっこいのによく食うな!」
「いえ、魚の問題じゃないです。いや、ある意味魚の問題ですけど。次の街で食料補給しないと、僕の食べるものがありません」
これはもう本当に一大事です。欲を言えばお風呂にも入りたいです。
「そや! こっちの森を突っ切れば、半日かからないで街につくで!そこで休憩や!」
そう言うとかえるさんは川から上がり、ぼくをお姫様抱っこで抱えると、大ジャンプをしました。
まるで飛んでいるかと勘違いしてしまいそうなほどに、先ほどまで泳いでいた川が、森の木々が、どんどんと小さくなります。って、高い高い高い! 落ちたら死んじゃいます!
かえるさんの腕は、がっちりと僕を包み込んでいますが、僕としてはそれだけでは不安なのでどこかに捕まりたく、かえるさんの腕や服を掴もうとします。……しかし、このクソカエル、もう何度も話していますが、全身からぬるぬるとした体液が発生しており、どこも掴めそうにありません。
けれど、僕がかえるさんを掴もうとしていたのがわかったのか、かえるさんは何故か興奮し始めました。
「おほぉ! ひかるちゃんがわしの腕をぎゅっとしたで! そんなんされたら、惚れ直してしまうやろ! よっしゃ! かっこいいとこ見せたるで!」
何を勘違いしたのか、かえるさんはさっきよりも高く、そして早く大ジャンプを繰り返しました。
不思議なことに、風の抵抗などは感じませんでしたが、それは魔法とかファンタジー的なものではなく、寝ているときに全身に纏わり付いたかえるさんの体液の効果でした。ありがたいことではありますが、はっきり言って納得はできません。
10分足らずで街につき、ようやく休むことができましたが、まるで生きた心地がしません。未だに浮遊感が身体を襲い続けています。
しかも、かえるさんがさっきよりも増して、結婚しようだのとウザいです。
やっぱり、いつか処分しましょう。このクソカエルは。