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三題小説

三題小説第四十九弾『女王』『パレード』『吐息』タイトル「女王のつがい」

作者: 山本航

 どこまでも広がる染み一つない蒼穹の下にその庭園はあった。色鮮やかに咲き誇る異国の花が蓮の浮かぶ池の周りを囲む。幾本かの木には瑞々しい果物がなっている。庭園から見渡される王都の全景は干し煉瓦の黄色の家屋に満たされていた。遠く横たわる大河の縁は空に交わり溶けている。

 カウィーという近衛騎士が鷹を模した仮面のような兜の奥から鋭い視線を周囲に投げかけている。何も異常がない事を何度でも確認し、他の近衛騎士の配置に気を配る。


 その庭園には近衛騎士達の他に幾人かの女がいる。三人の王族と、十五人の召使だ。女王マリカは物憂げな表情で敷物に座って、蓮の花を眺めていた。マリカの妹達たるシュラ姫とナウラ姫は池の周りを甲高い声を上げながら追いかけっこをしている。十人の召使達は二人のやんちゃな王女達を心配そうに無礼にならないように追いかけている。残りの五人の召使達は、ただただ寂しそうにため息をつく女王マリカの後ろに控えていた。

 シュラ姫がカウィーのもとへ駆け寄ってくる。


「カウィー! わたくしたちと遊びましょう? あなたが鬼よ!」

「申し訳ございません殿下。私には仕事がありますので持ち場を離れる訳には行きません」


 続いてナウラ姫も駆け寄ってくる。


「やめなさい。シュラ。カウィーが遊んでくれたことなんて一度としてないんだから。こういうのを何ていうか知ってる?」

「何ていうの? お姉さま」

「カタブツって言うのよ」


 二人は堅物堅物と繰り返しながらまた庭園を駆けていった。

 近衛騎士カウィーはあらためて女王の方を見やる。相変わらず同じ姿勢同じ視線で吐息を洩らしていた。

 カウィーは女王マリカの笑顔が失われた時期を覚えていた。それは父王によって決められた相手と結婚した頃だった。王宮にいるほとんど全ての者が口々に噂をしている。


 女王陛下には恋人がいた。敵国の王子だった。否、身分の違う恋だった。否、単に王配殿下が気に食わないだけだ。片思いらしい。両思いだそうだ。恋人と王配殿下が決闘をしたという。そして負けた? 追われた? 殺された? それとも生きていて今でも密会している? 


 様々な噂に種々の尾鰭がついて、真実は煙に巻かれるばかりだった。カウィー自身も女王の笑みが失われた理由は知らなかったが、王配殿下に関わるのだろう、という事は予感していた。


 近衛騎士達が何度かの配置転換と交代、休憩を挟む。最後まで残った女王もそろそろ宮廷に戻ろうかという頃、日の沈みかけた夕暮れにどこからか野太い悲鳴が聞こえてきた。

 すぐさま召使達は女王を鎧の如く取り囲み、その場にいた近衛騎士達の半数のカウィーを含む五人が抜刀し、女王と召使達を守るように囲む。残りはカウィーの指示に従い、悲鳴の聞こえた方へ駆けつけていった。心燃え立つ近衛騎士達は周囲を警戒するが目に見える異常は見当たらない。

 姿は見えなかったが召使の壁の向こうから女王が言う。


「カウィー団長。今のはサブールの声ではないですか? どうか彼の元へ行ってやって下さい」

「お言葉ですが女王陛下。ここを手薄にするわけにはいきません」


 カウィーの忠誠心は女王を守る事を命じていた。


「どうか。お願いします」


 しかし優先されるのは女王の命じる言葉だ。


「……分かりました」


 カウィーは宮廷の中へと走り出す。宮廷は一体何事かと召使達が騒ぎ立てている。声の聞こえた正確な位置はカウィーには分からなかったが、男達の勇猛な声が聞こえてくる方向へとひた走った。

 そこはサブール王配の居室だった。絢爛な家具や美術品が林立し、鮮彩な幾何学文様の壁で目の眩むような一室だ。


 そこで旋毛からつま先まで白布に身を包んだ男が獅子の仮面の近衛騎士達相手に大立ち回りを演じている。曲刀一振りをエモノに近衛騎士達の長剣をさばき、家具の陰に隠れては調度品に飛び乗り、寝台の天蓋に飛び移ったと思うと、遮光帳を滑り降りる。軽やかな身のこなしで近衛騎士達を翻弄していた。


 厳しい顔つきの王配は壁を背にして近衛騎士の一人を盾にしていた。カウィーは王配に駆け寄り、襲撃者との間に立ちはだかる。サブール王配は既に斬り付けられていたようで肩に血を流していた。白布の襲撃者が猫のような俊敏さで近衛騎士達の間を縫うように近づいてくる。カウィーを避けるように王配に一太刀浴びせかかる。しかしカウィーの長剣が曲刀を弾き飛ばし、返す刀で襲撃者の肩を切りつけた。傷は浅かったのか、血に濡れた白布の襲撃者は呻き声も出さなかったが実力差を理解したようだ。襲い掛かった時よりも素早い身のこなしで翻り、窓から飛び出していった。


 近衛騎士の幾名かが後を追ったが既に日が沈み、町の方へと逃げていった襲撃者は闇夜に溶けるように消えてしまった。




 それからサブール王配の今まで以上に苛烈な執政が始まった。サブール王配に怪我をさせた事で王配麾下の近衛騎士団の生き残りは全て処刑され、二十八の獅子の仮面が新たな騎士達に与えられた。襲撃者捜索のために王都には戒厳令が敷かれ、疑いをかけられた者が次々に投獄された。そして女王麾下の近衛騎士団長カウィーもまた王配の下へ召喚された。


 遥か高みの玉座からサブール王配は仮面を外したカウィーを見下ろしている。片膝立ちで頭を垂れるカウィーは最悪の場合を考えていたが、後に残す者がいないだけ自分はまだ良い方だと思っていた。ただ女王マリカの事だけが気がかりだった。


「カウィーよ。お前は朕を救ってくれたな。まず礼を言おう」

「勿体無きお言葉です」

「しかし朕は怪我をした。お前がもっと早く駆けつけていれば怪我をする事もなかったはずだ」


 理不尽な言葉だがカウィーは同意するだけだった。


「はい。申し訳もございません」

「故に死刑に処しても良いのだが、朕の一存で女王陛下の近衛騎士団の編成を変えるわけにもいかんだろう。良かったな。死刑は免れよう」

「ありがたきお言葉にございます」

「しかるに襲撃者を取り逃がすという失態もある。何も罰せぬでは示しがつかぬというものだ。分かるな?」

「はい」

「そこで一つの命令をお前に下す。知っての通り次の女王聖誕祭において女王はパレードの際に臣民の前に姿を現し、その威光を内外に示さなくてはならぬ。だがマリカ女王は心労がたたってか毎日毎日吐息を洩らすばかりだ。故に聖誕祭までに宮廷道化師としてマリカに笑みを取り戻せ。なに、一時のものだ。任務を完了すればまた近衛騎士団団長として働いてもらおうぞ」


 そこから後、どうやって己の寝室へたどり着いたのかカウィーには分からなかった。知らぬ間に鎧兜も鷹の仮面も失っていた。




 サブール王配に与えられたラクダを模した外套を身に纏ったカウィーが空中庭園に現れるとあちこちから失笑が聞こえた。召使ばかりでなく、他の近衛騎士の間からも嘲りの声が聞こえた。カウィーは屈辱に心を燃やしていた。しかしこれほど間抜けな格好であればマリカ女王を笑わせるのも容易かろうと思ったのだった。実際はただ一瞥に付しただけで彼女の表情は凍りついたままだった。


 日傘の下のマリカ女王は足を池に入れて涼んでいた。カウィーはいざ何をすれば良いのか分からず立ち竦んでいる。彼は王配に付き従っている宮廷道化師のことを思い出す。普段彼は何をしていただろうか、と。笑い話をしたり、詩や物語を歌っていた。時には手品やナイフ投げのような事もしていたし、とても無礼な事を王配に言っていた事もあった。王配殿下は笑っていたけれど、俺は肝を潰すばかりだった、とカウィーは思い出しただけで冷や汗をかいた。


「女王陛下。よろしいでしょうか?」


 カウィーは片膝をついて女王の返答を待つ。カウィーにはとても長い時間に感じられた。


「何でしょう?」

「今日より陛下付きの宮廷道化師と相成りました。よろしくお願いいたします」

「私はそんな事を命じた覚えはありませんよ」

「王配殿下のご命令です」


 女王が吐き捨てるように何かを言ったが、カウィーには聞き取れなかった。


「よろしい。お下がりなさい」

「いえ、その……」

「今はあなたの芸を見るような気分ではありません」

「申し訳ございません」


 カウィーはすごすごと引き下がり、空中庭園の端の端まで後退した。それを目敏く見つけた王女ナウラとシュラがカウィーのもとやってきた。悪戯っぽい笑みを浮かべてカウィーの両脇から挟む。


「カウィーってそんな顔だったかしらね。仮面を外している姿は久々に見た気がするわ。似合ってるわよ、カウィー」と、ナウラが言った。

「一体何をすればお義兄様からそんな罰を受けるの?」と、シュラが言った。

「うふふ。私は知っていてよ。シュラ。カウィーが何をしでかしたのか」と、ナウラが言った。

「カウィーは何をしたの? ナウラお姉さま」

「この元近衛騎士団団長はね。シュラ。王配殿下の危機にいち早くというには遅い速さで駆けつけて、無事に救ったと言うには怪我をさせ過ぎる形で守ったのよ」

「そこそこの早さで駆けつけて、そこそこ安全にお救いしたのね。それでなんでラクダなの? お姉さま」

「それは簡単よ。シュラ。カウィーは罰として宮廷道化師に任じられたのよ」

「宮廷道化師? それってジャバードと同じ宮廷道化師?」

「そうよ。王配殿下をいつも笑わせているジャバードと同じ宮廷道化師よ」

「でもカウィーに宮廷道化師なんて務まるの? お姉さま」

「勤まるわけがないでしょ。何たってカウィーは……」

「何たってカウィーは……何? お姉さま」

「カ・タ・ブ・ツよ」


 二人の王女は言いたい事をひとしきり言うとけたたましい笑い声を残して立ち去った。確かにカウィーは面白い冗談の一つも思い浮かばなかったし、心ときめく物語一つ歌えなかった。こんな事で女王マリカに笑顔を取り戻す事など不可能だという事は分かっていた。




「それで僕の所に来た、と」


 カウィーはジャバードの寝室に押しかけた。就寝を前にして全く道化じみていない寝巻きのジャバードは、にもかかわらず道化のような化粧をして道化のように甲高い声で話す。カウィーはジャバードの手を懇願するように掴む。


「ああ、何とか女王陛下に笑っていただきたいのだ」

「女王陛下、ね。そうは言ってもね。道化を教授した事などないよ、僕は」

「そこを何とか頼む」

「女王陛下を笑わせなければ殺されるらしいな。君は襲撃者から女王のつがい・・・を救ったというのに」


 カウィーの表情が険しくなる。


「いや、そこまでは言われていない。成功すれば近衛騎士に戻れる、と。しかし王配殿下ならそう言いそうだ。いや、至極当然ともいえるな」

「悪いね。失言だった」


 大の男が無理して高い声で喋っているので謝った所で誠意を示す事は出来ていなかった。


「いや、構わない。むしろまだ覚悟が出来ていなかったことを自覚した。宮廷道化師という任務をしっかり全うしなくては」


 寝台に座るジャバードは呆れた様子でカウィーを仰ぎ見る。


「道化にしては力みすぎだね。もっと力を抜く事だよ」

「あ、ああ。こうかな」


 カウィーは脱力し、表情も虚ろになって生きた死体みたいにぼうっとジャバードを見ていた。


「さっきまでの方がマシかもしれないな。小難しい表情でラクダの格好をした騎士は中々に面白いよ」


 カウィーは頭を抱え込む。


「一体面白いとは何なのだ。どうすれば良い!」

「何か他に芸はないのか?」

「生まれてこの方、俺が身に着けたのは武芸だけだ」

「武芸も悪くないさ。上手く使えば立派な芸になるだろう」

「そういうものか?」

「さあ?」


 カウィーはため息をついて長持ちに腰掛ける。


「俺は真剣に話をしているんだ」

「君が真剣なのと同じくらいに僕は道化じみている自覚があるよ」

「例えばジャバードさん。君はどういう芸を見せているんだ?」

「例えばナイフ投げが出来る。これなんか君の武芸に通じるものがあるんじゃないか?」

「長剣を投げるわけには……」

「今分かった。道化に大切なのは柔軟な思考だね」

「俺には分からない」

「面白い、じゃなくても人が感心するような技を見せれば笑みに繋がるって事だよ」


 堅いカウィーの頭にも何かが見えてきた気がした。




「僕も付き合わなくてはならないのかい?」と、ジャバードが甲高い声でぼやく。


 カウィーとジャバードは空中庭園にいた。今のジャバードは豚の姿を模した服を着ている。多くの召使と近衛騎士、二人の王女と女王もいる。


「ならないって事もないが助けてくれると助かるのだ」

「そりゃそうだ」


 マリカ女王を始め。皆の視線が集まっている。誰もが好奇心に満ちた表情だが、女王だけは物寂しげでいた。

 カウィーは長剣を抜き、ジャバードはナイフを取り出した。カウィーが一歩前に進み出て、朗々とした声で話し出す。


「お集まりの皆様方! 本日は真に、えー、真に良いお天気で……」


 そこまで言うとカウィーは押し黙ってしまった。


「おいどうした?」とジャバードが声を潜めて言う。

「何て言うか忘れた」

「用意していたのか。適当で良いんだよ適当で。嗚呼見目麗しくも賢明なる女王様におかれましては、その威光が国の隅々まで照らさんとして……ああ、ちょっと曇ってきましたね。まあとにかく少しくらい薄暗くとも我らが近衛騎士団団長様の……」

「元よ!」と、ナウラ姫が言った。

「ああ、ええ、そうですね。ナウラ殿下。『元』近衛騎士団団長様の剣技の曇る事ない閃きをとくとご覧入れましょう。ああっとシュラ殿下、もう少し後ろに下がって、危険ですからね。そうそうあと少し右、そう、そうです。あと一歩前にお願いします。いいですね。そこでくるっと回って歌いましょう」

「やらなくていいのよ、シュラ」と、ナウラ姫が言った。

「さあ、どうだ兄弟。緊張はほぐれたかい?」


 ジャバードがカウィーの肩を叩き、やはり甲高い声で言った。


「ああ、ありがとう」


 カウィーは打ち合わせた通りの距離を開け、長剣を構えてジャバードに対峙した。

 ジャバードが気合の声を発したかと思うと、手に持つナイフを次々に投擲する。そしてカウィーがそのナイフを端から叩き落していった。ジャバードのナイフは服のあちこちから無限に出てくる。袖から、靴の裏から、口の中から、次々と。様々な形、装飾のナイフが地面に散らばってゆく。ジャバードは時に投げる速度を強めたり、弧を描いて投げる事でリズムを作っていた。音楽隊がその場にいれば即興で演奏できるだろう。

 ジャバードが全てのナイフを投げつくしてしまうと空中庭園の観客達にお辞儀をした。王女シュラは嬉しそうにカウィーの元に駆け出したがジャバードに止められる。


「危ないですよ、殿下」

「地面に落ちたナイフなんて危なくないわ」

「その通りです。しかし空から落ちてくるナイフというのはとても危ないんですよ」


 その時、鋭い金属音が一つ鳴った。それはほぼ真上に投げられていたナイフが今落ちてきて、カウィーが長剣で弾いたのだった。さらに三つを弾いて、それで全てだった。

 空中庭園で拍手が巻き起こる。二人の王女も、召使達も、近衛騎士の何人かも微笑を浮かべて拍手をしている。ただ女王だけは変わらず寂しげな表情を浮かべて二人の宮廷道化師を見ていた。




 その夜カウィーは女王に呼ばれ、居室へやってきた。王配に勝るとも劣らない調度品の数々が部屋のあちこちに据えられている。幾つもの燭台や壁付きの灯篭が光り、壁や家具に埋め込まれた貴金属に反射して部屋を煌びやかにしている。だが、どこか影の落ちたような空室のような雰囲気をカウィーは感じた。


「お召しによりまして参上つかまつりましてございます」


 片膝をついて面を下げたカウィーが言った。


「面を上げてください」


 椅子に座った女王陛下はいつもより一回り小さく見えた。


「とても道化の所作とは思えませんね」と、女王はカウィーを真っ直ぐに見つめて言った。

「申し訳ございません。近衛騎士としての振る舞いが骨の髄まで染み込んでおりまして」

「理解しています。この王宮にいる全ての者があなたという近衛騎士の忠臣ぶりを理解しています。それはサブールも例外ではないでしょう。にもかかわらずあなたに道化をさせるなどと」

「これは、単に罰です」

「それはただの横暴です。聞いていますよ。私を笑わせれば赦免するなどと言われたのでしょう? 本当にそんな言葉を信じているのですか? 私が笑ったとしても、また難癖をつけて、場合によっては王配の近衛騎士のように処刑されるのですよ」

「元より王配殿下の命令です」

「あなたは私の騎士です。こうなっては最早微笑むべき理由もない。サブールに勝手はさせません。二度と……」


 カウィーは何も言葉が出てこなかった。


「宮中でも噂になっていますが、サブールとの婚約前に恋人がいたというのは事実です。しかし突然持ち上がった婚約と同時に彼は行方不明になってしまった。確かに身分違いの恋でしたし、何もかも上手くいくと信じられるほど私達は子供ではありませんでしたが、突然私の前から姿を消すような人ではないのです。今頃どこで何をしているのか。何の根拠もありませんが、その行方不明にサブールが関わっていると、私は確信しています」


 王配が関わっているのだとすれば、女王の恋人はもう亡き者にされているのだろう。カウィーはそう思った。


「しかし私は女王陛下には健やかに、笑っていただきたいと存じ上げます。道化としてではなく、女王陛下の騎士として」


 女王は窓の外に立ち込めた夜の闇を見つめている。


「そうですか。今宵はここまでにしましょう。とにかく下手な考えを起こさないようにしてください」




 カウィーはその足でジャバードの元へ向かった。他に相談できそうな者がカウィーには思い浮かばなかった。薄暗く肌寒い宮中を一人歩く道化の姿というのはかなり妖しく見えるかもしれない。道中出合った近衛騎士は鷹のような仮面の奥でいぶかしんでいる様子だったが、むしろ王配の居室から離れる方向だったからか呼び止められる事はなかった。


 ジャバードの部屋の前に着くとノックをした。しかし返事がない。扉を開けてみるもジャバードはいなかった。カウィーは待たせてもらおうと長持ちに腰掛けようとしたが、ほぼ同時に遠くから悲鳴が聞こえた。同じ者の二度目の悲鳴のように思った。

 カウィーはジャバードの部屋を飛び出す。前回ほどの混乱はないが、起きていた者達が慌てふためいている。それらを押し退けるように王配の居室へ急ぐ。


 僅かな蝋燭の明かりの中、新たに任命された王配の近衛騎士と襲撃者が対峙していた。しかし前回と違って王配は床に倒れたまま大量の血を流して身動きせず、襲撃者は近衛騎士の鎧を身につけていた。その鷹の仮面はどこかに預けられているはずのカウィーの物だった。しかしエモノは変わらず同じ曲刀のようだった。獅子の仮面の近衛騎士達は剣を構えるも怖気づいていた。精鋭たる本来の王配麾下の近衛騎士達は全て処刑されたのだから当然だ、とカウィーは肉塊となった王配サブールを見て思った。

 倒れている近衛騎士の一人から長剣を借りて身構える。


「全ての扉と窓の外に待機させろ。こいつは俺がやる」


 道化の言葉に騎士達は素直に従った。腐っても女王麾下の近衛騎士団団長と認められているようだった。

 襲撃者がカウィーに曲刀を浴びせかける。曲刀は舞い落ちる木の葉のように翻り、蝋燭の明かりを何度も反射させる。長剣で受けきるには手数が多すぎるからか、カウィーは後退りさせられる。王配の部屋に刃のぶつかり合う音が何度も響く。とうとう壁際まで追い詰められたカウィーは捨て身の覚悟で剣を構えると襲撃者の突進が止まる。その虚をついてカウィーは言う。


「曲刀の扱いも上手かったんだな、ジャバード」


 一瞬の怯みをカウィーは見逃さなかった。首元へと突き出された刃は、しかし身軽な襲撃者の後跳に追いつく事ができない。襲撃者は五、六歩下がり、そして蹴躓いた。自ら殺めた男の肉体に足を取られ、付けていた鷹の仮面が転がり落ちた。その仮面の奥から出てきた顔はジャバードの顔だった。カウィーが見慣れた道化の化粧ではなかったが、間違いなくジャバードだと確信した。


 カウィーは一気に追い詰める。ジャバードは曲刀を投げるが弾かれた。懐から取り出したナイフを次から次へと投げるも弾かれ、カウィーの足は淀むが少しずつ近づいていく。とうとうナイフが尽きるとカウィーはジャバードの首元に刃を当てる。


「いつから気づいていたんだ?」と、ジャバードが震えるも甲高くない声で言った。

「気づけなかったからこんな事態になったのだろう。先ほどすれ違った時に気づいていれば」


 ジャバードが微笑む。


「あれは緊張したよ」

「何故王配殿下を殺した」

「何故も何もないだろう。彼は多くの者に憎まれていた。つい最近も近衛騎士団たちを処刑し、その家族を路頭に迷わせたばかりじゃないか」


 カウィーには返す言葉もなかった。


「ま、君が気にする事じゃないさ」

「何か言い遺す事はあるか?」

「そうだな。女王陛下に伝えてくれ。つがい・・・を離してすまない、と」

「伝えておく」

「あ、あと君の鎧を着ているけれど別に濡れ衣を着せたかったわけじゃないんだぜ?」

「そうか」

「うん。それだけだ」


 剣がジャバードの喉笛を貫いた。




 改めてジャバードの部屋が調べられた。長持ちの中に血に濡れた白布があった事以外には何も得られなかった。カウィーにとっては、そのような証拠を残していた事が「濡れ衣を着せたかったわけではない」という言葉の証左になった。事は狂気に陥った道化の凶行として片付けられた。その粗雑さが王配への敬意の無さを表していた。


 カウィーはジャバードとの約束通り、女王に最後の言葉を伝える為に空中庭園に向かった。女王が王配をつがい・・・などと思っていない事は明らかだったし、単なる皮肉だったのかもしれないがカウィーはそうせずにはいられなかった。


 人払いをされた空中庭園は心地よい静謐さに浸されていた。優しく吹く風に揺れる木の葉のさらさらという音に女王は耳を傾けている。


「道化になっても近衛騎士に戻ってもあなたは相変わらず小難しい顔をしているのですね」

「申し訳ございません」


 女王もまた凍り付いた表情は解けていなかった。


「良いのです。笑っていなくても心は常に動いているのですから。私なんてとても清々しています。嫌な女でしょう?」

「いえ」

「確かにサブールは私のことを愛してくれているようでしたが、私のほうはついぞ愛する事ができませんでした。つがい・・・にはなりえませんでした」


 カウィーの心臓が強く鳴る。


つがい・・・?」

「ええ」


 女王は当りを見渡して誰もいない事を確認した。


「よく例の恋人と言い合ったものです。お互いがこの先誰と結婚したとしても私達が真のつがい・・・なのだ、と。おかしいでしょう?」


 そう言う女王はとても微かに柔らかな笑みを浮かべていた。


「いえ、おかしくなど」


 カウィーは目を伏せた。何を見る事もできなかった。


「そう、ありがとう。彼が今どこで何をしているのかなんて分かりませんが、それでも遠く離れていても私達はつがい・・・なのだと思います」


 ひとしきり話してもジャバードの最後の言葉をカウィーは女王に伝えなかった。その場をどうやり過ごしたのかも分からない。女王聖誕祭もそのパレードも恙無く終わった後、カウィーは鷹の仮面の奥で永遠に笑わない事を誓った。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

ご意見ご感想ご質問お待ちしております。


久々に時間切れを覚悟しました。

一週間のうち今日だけで三分の一を書いたのでやる気の問題かもしれません。

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