表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

普通の公立幼稚園で伸びた

娘は二年保育の公立幼稚園に通った。


選んだ理由は単純で、家から近かったからだ。


あの頃、私はまだ、娘が発達障害だとも、ギフテッド傾向だとも考えてもいなかった。


だから、特別な教育方針があるわけでもない、支援が充実しているわけでもない、ギフテッド教育をしているわけでもない、普通の幼稚園を選べた。


ただ近かった。


けれど、普通の公立幼稚園が、娘を伸ばした。


年長時、園児の減少から年中と年長が一緒だった。


園児の人数は9人。


少なすぎず、多すぎず。


娘にちょうどいい人数だった。


全員の顔が見え、自分に合う相手も見つけられた。


興味の合う子と遊び、面白いと思った相手に近づく。嫌だと思ったら距離を取り、他の子とも遊べた。



幼稚園では、お昼ご飯以外はあまり時間が決まっていなかった。


もちろん一日の流れはある。けれど、園児の自主性が何より尊重され、やりたいことが、思う存分できた。


みんなが外に行っても、中で遊びたい子は、外に出なくていい。


思いついたことを途中で終わらせなくていい。


教室が余っていたので、片付けたくない、続きをやりたい遊びは、その部屋に置けば続きができた。これは、見えていないとやりたいことでも忘れてしまう娘の特性にとって、どんなにありがたかったことだろう。


興味が続く限り、続けられる。


時間に追われない環境は、娘にとても合っていた。


工作の材料もいつも身近にあった。


廃材、画用紙、段ボール、折り紙、テープ、ペン、木の実、葉っぱ、花。


工作の時間だから使うのではない。作りたいと思ったらいつでも使える。


娘は毎週金曜日、作ったものをたくさん持って帰った。



少人数なので、遊具も使い放題だった。順番待ちもない。ほとんどのものは人数分あるので、「かわって」「いいよ」のやりとりが多くない。


けれど、娘の大好きなブランコは、一度に4人までしかできない。ここで娘は、「かわって」「いいよ」のルールを覚えた。


園のブランコは、色がそれぞれ違った。年中の時、好きな色のブランコに拘った。「かわって」と言われても、「いいよ」できなかった。


最初は赤だった。いつの間にか、いつものブランコが青になったころには、「いいよ」ができた。


娘はブランコで、ある女の子とは毎回しりとりをし、他の女の子とはお天気や雲の話をし、ある男の子とは毎回レースをした。


隣に座る子によって、遊び方が変わった。


滑り台の複合遊具は、屋根がロケットみたいな形だった。


みんなはおうちごっこをしながら、いきなり宇宙旅行に連れて行かれたりもした。娘の独特な提案を、当たり前のように普通に受け入れてくれた。


複合遊具には、雲梯、吊り輪、鎖のはしご、滑り台があった。


娘は雲梯が苦手だった。けれど、吊り輪にぶら下がるのは好きだった。


よく、鎖のはしごに足をかけ、吊り輪を持って、ブリッジのように頭を逆さまにした。


今思えば、この行動で刺激を入れることで、娘は自分を整えていたのだと思う。


思いついたことをすぐ形にできる環境。途中でやめなくてもいい環境。


多すぎず、少なすぎない刺激に、適度に、目についた順にやりたいことが浮かんだ。そして、それが全部できた。



自然も身近だった。


どんぐりを拾う。虫を探す。葉っぱを集める。木の実を並べる。


時間や季節によって変わる、物の温度に触れる。影の長さを比べる。


娘はそこで、自然で遊びながら、自然を観察していた。


違いを見つける。分類する。不思議に思う。


娘は幼稚園で、たくさんの虹を見つけた。


春、空に虹を見つけ、夏、プールの前のシャワーで虹を見つけ、秋、窓ガラスから差し込む光に虹を見つけ、冬、氷を日光に当てて虹を作った。


日常に、たくさんの不思議があった。特別なカリキュラムなどいらなかった。



そして何よりありがたかったのは、娘の個性が受け入れられていたことだった。


娘は少し変わった子だったと思う。


興味の向く方向も独特だった。知っていることも多かった。


でも周りの子たちは、


「なんでそんなことするの?」


ではなく、


「〇〇ちゃんだからね」


という感じで受け止めてくれていた。


もちろん娘自身の性格もあっただろう。周りの子どもたちの優しさもあっただろう。少人数だったこともある。


娘は、「変わった子」ではなく、普通にそこにいられた。


私は以前、娘が好きな子を「お友達」と呼べるようになるまでのことを書いた。


娘は人に興味がないわけではなかった。


ただ、人との距離の測り方が少し独特だった。


年中と年長が一緒の9人のクラスで、毎日同じ子どもたちと過ごした時間は、その距離を少しずつ調整していく時間でもあったのかもしれない。


娘は自由な環境が好きだ。けれど、自由だけでは、たまに何をしたらいいのかわからなくなった。


そんなときは、みんなが何をしているか観察して、混ぜてと言えた。



幼稚園は自然すぎもしなかった。


自由すぎもしなかった。


好きなことに夢中になれる時間がたっぷりありながら、運動会や発表会もあった。


みんなで何かをする経験ができた。


発表会や運動会は、子供が少ないので出突っ張りだった。だから、苦手な暇な待ち時間がなかったのも、娘に良かったと思う。


発表会では葛藤もあった。年中の時、恥ずかしくて、劇で大きな声が出せなかった。年長の時はできた。


運動会の練習では、辛いこともあった。走るのが遅い娘は、いつも負けることが悔しくて、かけっこをしたくなくなった。


年中の時の合唱は、声が小さかった。年長になってすぐは、大きすぎる声になった。


卒園式。娘は校歌と、「さよならぼくたちのようちえん」を、ちょうどいい大きさの声で歌った。



少しずつ、みんなと一緒に何かを作り上げる経験をしていた。


娘はそこで、自分の世界に閉じこもることもなく、集団に飲み込まれることもなく過ごしていた。


今振り返ると、そこにはいくつかの条件が重なっていた。


時間に追われなかったこと。


思いついたらすぐ作れたこと。


自然が身近にあったこと。


年齢の違う子どもたちがいたこと。


少なすぎず、多すぎない人数だったこと。


少し変わっていても受け入れてもらえたこと。


そんな条件が、たまたま重なっていた。


近いから選んだだけの幼稚園だったのに、不思議なくらい娘に合っていた。


年長になる直前、娘は発達障害だと言われた。


私は戸惑い、もっと特別な環境が必要なのではないかと思ったこともある。


けれど、娘に合っていたのは、どこにでもある公立幼稚園だった。


自然だけでもなく、集団だけでもなく、自由だけでもない。


そのどれもが、ありすぎない環境だった。 


もしかしたら娘に必要なのは、特別な教育ではないのかもしれない。


思いついたことを試せること。


好きなことに夢中になれること。


少し変わっていても、「〇〇ちゃんだからね」で済むこと。


そして、みんなと一緒に何かをすること。


そんな、当たり前のことでいいのだ。



どこにでもある普通の幼稚園が、娘を伸ばしてくれた。


幼稚園でのびのび育つ我が子を見た。


この土台があるから、私は、娘の将来を悲観することはない。


娘が崩れそうになっても、このしっかりとした土台が支え続けてくれるはずだ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 御子様、よいご環境とよい御母堂に恵まれて良かったです。  私がこういう事を許されたのは進学校にすすめた高校生のときで、幼稚園、周りの顔色をみたり、それでも先生を泣かせてしまったりでして、皆お外で遊…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ