普通の公立幼稚園で伸びた
娘は二年保育の公立幼稚園に通った。
選んだ理由は単純で、家から近かったからだ。
あの頃、私はまだ、娘が発達障害だとも、ギフテッド傾向だとも考えてもいなかった。
だから、特別な教育方針があるわけでもない、支援が充実しているわけでもない、ギフテッド教育をしているわけでもない、普通の幼稚園を選べた。
ただ近かった。
けれど、普通の公立幼稚園が、娘を伸ばした。
年長時、園児の減少から年中と年長が一緒だった。
園児の人数は9人。
少なすぎず、多すぎず。
娘にちょうどいい人数だった。
全員の顔が見え、自分に合う相手も見つけられた。
興味の合う子と遊び、面白いと思った相手に近づく。嫌だと思ったら距離を取り、他の子とも遊べた。
幼稚園では、お昼ご飯以外はあまり時間が決まっていなかった。
もちろん一日の流れはある。けれど、園児の自主性が何より尊重され、やりたいことが、思う存分できた。
みんなが外に行っても、中で遊びたい子は、外に出なくていい。
思いついたことを途中で終わらせなくていい。
教室が余っていたので、片付けたくない、続きをやりたい遊びは、その部屋に置けば続きができた。これは、見えていないとやりたいことでも忘れてしまう娘の特性にとって、どんなにありがたかったことだろう。
興味が続く限り、続けられる。
時間に追われない環境は、娘にとても合っていた。
工作の材料もいつも身近にあった。
廃材、画用紙、段ボール、折り紙、テープ、ペン、木の実、葉っぱ、花。
工作の時間だから使うのではない。作りたいと思ったらいつでも使える。
娘は毎週金曜日、作ったものをたくさん持って帰った。
少人数なので、遊具も使い放題だった。順番待ちもない。ほとんどのものは人数分あるので、「かわって」「いいよ」のやりとりが多くない。
けれど、娘の大好きなブランコは、一度に4人までしかできない。ここで娘は、「かわって」「いいよ」のルールを覚えた。
園のブランコは、色がそれぞれ違った。年中の時、好きな色のブランコに拘った。「かわって」と言われても、「いいよ」できなかった。
最初は赤だった。いつの間にか、いつものブランコが青になったころには、「いいよ」ができた。
娘はブランコで、ある女の子とは毎回しりとりをし、他の女の子とはお天気や雲の話をし、ある男の子とは毎回レースをした。
隣に座る子によって、遊び方が変わった。
滑り台の複合遊具は、屋根がロケットみたいな形だった。
みんなはおうちごっこをしながら、いきなり宇宙旅行に連れて行かれたりもした。娘の独特な提案を、当たり前のように普通に受け入れてくれた。
複合遊具には、雲梯、吊り輪、鎖のはしご、滑り台があった。
娘は雲梯が苦手だった。けれど、吊り輪にぶら下がるのは好きだった。
よく、鎖のはしごに足をかけ、吊り輪を持って、ブリッジのように頭を逆さまにした。
今思えば、この行動で刺激を入れることで、娘は自分を整えていたのだと思う。
思いついたことをすぐ形にできる環境。途中でやめなくてもいい環境。
多すぎず、少なすぎない刺激に、適度に、目についた順にやりたいことが浮かんだ。そして、それが全部できた。
自然も身近だった。
どんぐりを拾う。虫を探す。葉っぱを集める。木の実を並べる。
時間や季節によって変わる、物の温度に触れる。影の長さを比べる。
娘はそこで、自然で遊びながら、自然を観察していた。
違いを見つける。分類する。不思議に思う。
娘は幼稚園で、たくさんの虹を見つけた。
春、空に虹を見つけ、夏、プールの前のシャワーで虹を見つけ、秋、窓ガラスから差し込む光に虹を見つけ、冬、氷を日光に当てて虹を作った。
日常に、たくさんの不思議があった。特別なカリキュラムなどいらなかった。
そして何よりありがたかったのは、娘の個性が受け入れられていたことだった。
娘は少し変わった子だったと思う。
興味の向く方向も独特だった。知っていることも多かった。
でも周りの子たちは、
「なんでそんなことするの?」
ではなく、
「〇〇ちゃんだからね」
という感じで受け止めてくれていた。
もちろん娘自身の性格もあっただろう。周りの子どもたちの優しさもあっただろう。少人数だったこともある。
娘は、「変わった子」ではなく、普通にそこにいられた。
私は以前、娘が好きな子を「お友達」と呼べるようになるまでのことを書いた。
娘は人に興味がないわけではなかった。
ただ、人との距離の測り方が少し独特だった。
年中と年長が一緒の9人のクラスで、毎日同じ子どもたちと過ごした時間は、その距離を少しずつ調整していく時間でもあったのかもしれない。
娘は自由な環境が好きだ。けれど、自由だけでは、たまに何をしたらいいのかわからなくなった。
そんなときは、みんなが何をしているか観察して、混ぜてと言えた。
幼稚園は自然すぎもしなかった。
自由すぎもしなかった。
好きなことに夢中になれる時間がたっぷりありながら、運動会や発表会もあった。
みんなで何かをする経験ができた。
発表会や運動会は、子供が少ないので出突っ張りだった。だから、苦手な暇な待ち時間がなかったのも、娘に良かったと思う。
発表会では葛藤もあった。年中の時、恥ずかしくて、劇で大きな声が出せなかった。年長の時はできた。
運動会の練習では、辛いこともあった。走るのが遅い娘は、いつも負けることが悔しくて、かけっこをしたくなくなった。
年中の時の合唱は、声が小さかった。年長になってすぐは、大きすぎる声になった。
卒園式。娘は校歌と、「さよならぼくたちのようちえん」を、ちょうどいい大きさの声で歌った。
少しずつ、みんなと一緒に何かを作り上げる経験をしていた。
娘はそこで、自分の世界に閉じこもることもなく、集団に飲み込まれることもなく過ごしていた。
今振り返ると、そこにはいくつかの条件が重なっていた。
時間に追われなかったこと。
思いついたらすぐ作れたこと。
自然が身近にあったこと。
年齢の違う子どもたちがいたこと。
少なすぎず、多すぎない人数だったこと。
少し変わっていても受け入れてもらえたこと。
そんな条件が、たまたま重なっていた。
近いから選んだだけの幼稚園だったのに、不思議なくらい娘に合っていた。
年長になる直前、娘は発達障害だと言われた。
私は戸惑い、もっと特別な環境が必要なのではないかと思ったこともある。
けれど、娘に合っていたのは、どこにでもある公立幼稚園だった。
自然だけでもなく、集団だけでもなく、自由だけでもない。
そのどれもが、ありすぎない環境だった。
もしかしたら娘に必要なのは、特別な教育ではないのかもしれない。
思いついたことを試せること。
好きなことに夢中になれること。
少し変わっていても、「〇〇ちゃんだからね」で済むこと。
そして、みんなと一緒に何かをすること。
そんな、当たり前のことでいいのだ。
どこにでもある普通の幼稚園が、娘を伸ばしてくれた。
幼稚園でのびのび育つ我が子を見た。
この土台があるから、私は、娘の将来を悲観することはない。
娘が崩れそうになっても、このしっかりとした土台が支え続けてくれるはずだ。




