第36話 勇者 VS 狂気のメイド
――とある世界で気分のままに殺人を犯す女が居た。その女は国を渡り歩き、ターゲットにした屋敷にメイドとして雇われると、1週間もしない内にそこに住まう住人を殺し尽くし、何食わぬ顔でまた次の街へと旅に出る。
そんな事を繰り返して辿り着いた平和な国では王宮に仕えるメイドになる。そこではその女にみんな優しく接してくれて、汚れた心が浄化されていくようだった。
女も真面目に働き、いつしか国1番のメイドと評されるようになる。そこで出会った王宮の兵士とも恋に落ち、家族もできて女には沢山のかけがいのない絆が生まれた。
王宮に仕えて5年経ったある日、国は滅亡を迎える事になる。
たった一夜にして女は王宮の人間を皆殺しにし、逃げ惑う国民もできる限り殺した。
燃え盛る王宮の前で、血で真っ赤に染まった鉈を2本持って女は狂ったように笑い続ける。
ただ女は実験をする感覚で人との繋がりを持った。心から愛し、心から愛され、心から仕えて、心から友を作った。
そして、そんな大切な全てを無に帰すように狂気に身を委ねたらどうなるのか。単純にその結果が気になっただけの実験だった。始めから女はそれが愉悦の極みに達する事も分かっていた。
逃げ延びた人は、一夜で国を滅ぼしたその女を畏怖の思いを込めてこう呼んだ…『亡国の切り裂きメイド』と…。
その後女は何者かによって一本橋へと連れて来られる事となる。
――聖剣を向けられたハルは、怒りを忘れてガタガタと震え出している。
(ななななんだ!僕が恐怖してるの!?こんなメイド服を着て勇者とか言っちゃってるアホに!?ないないないない!絶対にない!大丈夫!いつも通り切り刻んじゃえば良いんだ!)
そしてハルは『カクン』と首を後ろに倒して空を見ながら狂ったように笑い出す。
突然ハルが取った奇妙な行動にラヴィは困惑の色をみせる。すると、その隙を狙ったかのようにハルが鉈を振り回しながらラヴィに飛び掛かった。
「ギャハハハ!!!死ねよ!!!」
「私は死なない。お前じゃ私を殺せない。」
アクロバティックな動きで突っ込んできたハルの動きを見切ったラヴィは、そこから一歩も動かずに相手を一刀両断するように聖剣を振り下ろす。
振り下ろされた聖剣は、ハルの顔面から1cmほど手前でピタリと止まり、剣の勢いで生まれた風が少し遅れてハルの服を巻き上げる。
青ざめた顔でそこから動けなくなったハルは徐々に怒りの表情へと変わっていく。
「なんで…止めた…?」
「殺し合う必要はないだろう。お前の負けだ。」
「は?意味分かんないんですけど…。僕が負け?は?どこが?ピンピンしてますけど。は?」
ハルの胸から『ドクン』という一際大きな鼓動が鳴ると、ハルの表情はみるみる内に狂気に支配されていく。目は大きく見開かれ、眼球の血管は赤く浮き出てピキピキと音を立てているようだ。口角は上がりきって耳まで裂けているような錯覚に陥る。
「僕が見せてやるよ…。狂気の真髄を…。」
ハルはそう言うと、寸止めされた聖剣の刃に自ら額を当てる。そのまま刃に頭を擦り付け、額からは血が流れ始めた。
どんどん深くなっていく傷など気にする事もなく、不気味で狂気じみた笑顔でラヴィの目を見つめながら前へと進んでくる。
「キャハハ♪痛くないから大丈夫だよ〜!ほら!ほら!君が少し力を入れれば僕は真っ二つなんだから!早くパカッと僕をはんぶんこにしてよ!ねぇ!?ねぇ!?」
「お前は…!くそっ!」
ラヴィはハルの狂気に圧されて、思わず後ろへ退いて距離を取ってしまう。
「あ…?何逃げてんだよ…。僕が楽しんでるのに。何逃げてんだよ!?!?お前勇者なんだろ!?逃げんなよ!!」
「逃げてなどいない!無駄な殺生はしたくないんだ!」
「無理無理無理無理!僕は死ぬまで止まらないに決まってんじゃん!分かってんだろ!?おい!」
一瞬で空気を逆転させたハルの駆け引き、それを見ていたルルは、狂気への恐れから全身から汗が止まらなかった。
「そんな…ラヴィちゃんが圧勝すると思ってたのに…。」
「これは…マズイでござるな…。」
「ガイアスさん!?意識が戻ったんですね!大丈夫ですか!?」
「ルル殿の素晴らしい治癒魔法でなんとか動けるまでにはなったでござるよ。さては…隠し味に愛を混ぜたでござるか…?」
「あー…それはないです。キツイです。」
「照れ隠しでござるな!」
「そんな事よりラヴィちゃんが危ないんです!」
「うむ、拙者も今の空気はマズイと思っていたでござる。ラヴィ殿は覚悟を決めねばならんでござるな。」
「ラヴィちゃん…。」
心配でどうしようもないルルとガイアスだったが、自分達が出ても同じ結果になるのは見えていた。殺さなければ終わらない戦いなどする覚悟はなかったのだ。
しかし、そんな覚悟ができるまで待ってくれるほどハルは甘くはなく、この停滞した空気を切り裂くように狂気を身に纏ってラヴィの懐に入る。
ハルは2本の鉈を振り回すように回転しながら次々に斬撃をラヴィに浴びせる。
まるで竜巻のようなその攻撃に、ラヴィは受け切れずに体のあちこちに切り傷を作っていく。
「ほらほらほらほら!!!結局正義なんて勇者なんてこんなものだよね!!!悪に染まるのが一番気楽で最後に笑えるんだよ!!!」
ラヴィはハルの猛攻にジリジリと押されて、防壁の境界線まで追い込まれてしまう。
だが、無茶苦茶なハルの斬撃の嵐の隙をつき、聖剣で相手の鉈を狙って反撃をする。その衝撃でハルは大きく吹き飛ばされ、受けた鉈と腕はビリビリと痺れるほどだった。
「あれ〜?今の一撃を僕自身に当ててたら腰から真っ二つにできてたのに〜。大変だね〜勇者も。」
「ふ〜。仕方ないな…。」
そう言うと、ラヴィの持っていた聖剣は光の塊になって宝玉の中に吸い込まれていく。
「ラヴィちゃん!?どうしたの!?」
ラヴィの行動の意味が分からず、ルルはラヴィが戦いを諦めたのかと思った。
「キャハハ!何の考えがあるのか分かんないけど剣を手放したら僕の勝ちだよね!遠慮なくその首を刈り取らせてもらうね!」
ハルがさっきの数倍はありそうな狂気のオーラを纏うと、ルルやガイアスではもはや目で追えないスピードでラヴィの首を狙いに行く。
「はい!お疲れ様ーー!!」
ルルはその結果を見る事ができずに顔を伏せる。だが、聞こえてきた音は斬撃のものではなく、リンゴが握り潰されたような音だった。
『グシャリッ!!!』
その音の正体は、ラヴィが相手の斬撃に合わせて放った渾身の右ストレートがハルの顔面にクリーンヒットした音だったのだ。
「へぶぁ!!!」
ラヴィの拳が顔面のど真ん中にめり込んだハルは情けない声を上げて、鼻血を噴水のように撒き散らせながら吹き飛ばされる。
すぐに鼻を押さえながら立ち上がろうとするが、ダメージが大き過ぎて足に力が入らない。
そんなハルを見下ろすかのように、青いオーラを纏ったラヴィが歩いてくる。
「今からお前が大人しくなるまで殴り続ける!!ごめんなさいと言うまで殴り続ける!!もうボッコボコにする!!
だが安心しろ!!とんでもなく痛くて苦しいだろうが殺さない程度にはしてやるからな!!」
手をバキバキ鳴らしながら近付いていくラヴィの姿に、ルルもガイアスも苦笑いしかできなかった。




