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第六章 「離」──魂の記憶、光にさらされるとき

(なにかが……始まってる)

細く静かな山道。

細い獣道のような道を抜けた先、風が止まり、木々が沈黙する空間に、それはあった。

苔むした石の祠。 ただ、そこに「何か」がいた。

祠の前に立った瞬間、ひかるの耳に、かすかに、鈴のような音が響いた。


しゃりん……しゃりん……


音に導かれるように膝をつき、なぜか自然と手を合わせて祈っていた。

そのときだった。

祠の隙間から、ひとつの金属片が転がり落ちた。

それは、銀色の、錆びた鍔―― その表面には、雷のような文様が彫られていた。

手に取った瞬間、世界が一瞬、白く染まり、頭の奥に声のようなものが響いた。


「忘れるな――雷は、おまえの中に生きている」


それは祠の奥ではなく、彼女自身の中から湧き上がるような声だった。

その声は、どこか懐かしく、幼い頃に山を見上げていたときに感じた“何か”と似ていた。


かつて、誰にも言えなかった違和感。

人の気配がないのに、誰かに見られているようなあの感覚。

それが、今はっきりと“答え”になって胸の奥で形になっていく。


(あのときから、ずっと……わたしは、呼ばれていたんだ)


心の奥に、鈴の音とともに確かな“記憶の残響”が広がっていった。

その瞬間から、彼女の中で何かが確かに変わった。

胸の奥で、長いあいだ封じられていた扉が、音もなく開いたようだった。


ああ、これは恐れではない――“還る場所”を見つけたときの感覚なのかもしれない。


――あの日から、ひかるの時間は静かに変わりはじめていた。

「アジスキタカヒコネ」――それはただの神名ではなかった。

むしろ、ずっと胸の奥で響いていた“呼び声”に、ようやく輪郭が与えられた気がした。


ひかるは、師匠のところに足を運んでいた。

静かに深呼吸をする。

ひかる「……師匠、わたし、あの人の声をききました。でも、夢じゃない……」


今まであったこと、阿蘇、霧島、胆沢、そして出雲のこと、すべて師匠に話をした。

師匠は、ふっと微笑んだ。

師匠「ひかるさん。アジスキタカヒコネが、どうして“哭き続けた”のか……

それにはね、深い理由があるんだよ」

 

師匠の声には、まるでその記憶を背負っているかのような重さがあった。

 

師匠「彼は……言葉を使うことを、恐れていた。いや、正確に言えば、“言葉の力を知っていた”からこそ、語らなかったんだ」

 

ひかる「……言葉の力?」

 

師匠「そうだ、コトノハの力。神の言葉っていうのは、人間の言葉とは違う。

それはね、”形を生むしゅ”なんだよ。神が言葉にしてしまえば、そのまま世界に“現れてしまう”。

たとえば、“怒り”を言葉にすれば、その怒りは刃になる。“裁き”を言葉にすれば、それは争いになる。

神がそれを語れば、それは“現実になる”んだ」

 

ひかるの喉が、すこしだけ詰まる。

 

師匠「だから彼は……言葉を使わず、“哭いた”んだよ。言葉ではなく、“涙”で伝えようとした。

雷鳴という“叫び”で、心の奥の祈りを託した。それは、破壊ではなく、“沈黙の祈り”だったんだ」

 

 

ひかる「……」

 

師匠「彼はね、”誰よりも“この世界を壊したくなかったんだよ。

誰かを責めることも、裁くこともできた。けれどそれをすれば、自分自身が“災いの神”になってしまう。

だから哭き続けた。誰にも責任を押しつけず、誰も呪わず、ただ……

涙にすべてを封じ込めた。それが、アジスキタカヒコネという神だったんだ」

 

師匠の目が、香煙の向こうで静かに揺れていた。

 

師匠「本当の強さっていうのはね、“語らないこと”なんだ。力を持っていても、振るわないこと。

語れるけれど、語らないこと。

怒りに身を任せないこと――

それは、とてつもなく孤独で、苦しい選択だよ」

 

ひかる「……」

 

師匠「だけどな、ひかるさん、あなたが見たあの涙の記憶。あれは“言葉にならなかった神の祈り”なんだ。

叫びにもならなかった、魂の深い底からの声なんだ。

アジスキタカヒコネは、“雷の神”と呼ばれているけれど、本質は生まれもって“哭くことを選んだ神”だったのかもしれないね」


ひかる「……哭くことを、選んだ?」

 

師匠は頷く。

 

師匠「雷とはね、“怒り”でも“破壊”でもないんだ。それは、天と地とを繋ぐ“呼びかけ”なんだよ。

魂の奥底から、誰かに向かって叫ぶ声。届かなくても、それでも諦めずに鳴り響く、祈りの声なんだ」

 

ひかる「……」

 

師匠「だけど人はいつしか、雷を“恐れ”に変えた。恐れは、やがて争いを生む。

争いを正当化するために、人は“武器”を作る。そして、武器を握った者が“正義”になる」

 

師匠は香炉の蓋をそっと閉じ、まっすぐにひかるを見た。

 

師匠「彼は、雷をそんなふうに使いたくはなかった。鉄をもてあそび、力に飢えた者たちに雷の技を奪われるくらいなら、自らの存在ごと、封じるしかなかったんだよ」

 

ひかる「自ら封じる……?」

 

師匠「そう。彼は、怒ることができなかった。怒れば、争いになる。

争えば、大切な父の願いを裏切る。でも、争わなければ、大切なものが奪われていく。

――その板挟みが、どれほど痛かったか……想像してごらん」

 

ひかるは、ただ黙って師匠の言葉を受け止めていた。

 

師匠「だから彼は、“雷羽刀”を作ったんだ。斬るためじゃない。封じるためでもない。

“忘れないため”に。

争いの中でも、忘れずにいてくれる誰かが、いつかそれを見つけてくれることを信じて……。

そして、彼は、きっとこう願ったんだ。“どうか、私の代わりに祈ってくれる者が現れますように”と」

 

静けさが、部屋を包んだ。

だが、どこか遠くの空に、微かに雷の音が響いていた。


長い沈黙の後、師匠がひかるに告げた。

師匠「……その“誰か”が、あなたじゃないかと、私は思っているよ、ひかるさん」

 

その言葉を聞いたとき、

ひかるの胸の奥にあった“何か”が、

静かに――でも確かに――ほどけていくのを感じた。

 

師匠「だからこそ、私は思うんだ。あなたが、”その声を言葉にできる者”かもしれない…と。」

 

ひかるの胸の奥に、何かがじん、と響いた。

それは、封印された“言葉”を受け取るために生まれた器としての目覚め――

雷の中にあった祈りが、今、言葉となって地に落ちる瞬間だった。


師匠「あなたは、ついに“火”を灯したんですよ。巫女の祈りとは、火を絶やさぬことです。

たとえ、それが炎ではなく、涙の中の灯火だったとしても……。

あなたは、何かに“目覚める”のではなく、もともと“眠らされていた”のです。

その剣、その鈴、その声――すべてが、あなたの中にあったもの。ただ、忘れていただけなのです」


ひかる「火を灯す……」


師匠「あなたが“問い”を立てるとき、それは自我の声ではなく、“魂の叫び”でなければなりません。

“この世の正しさ”で答えを求めては、本当の神託にはたどり着けないのです」


だが、ひかるは、一瞬、自分の迷いが心の中を横切ったのだった。

(哭いていた神。言葉を使わなかった神。その想いを、私が“言葉”にしてもいいのだろうか……。

言葉にするということは、世界に形を生むこと。誤解されることも、拒まれることもある……。

……けれど……けれど……

それでも、彼の想い、彼が哭いたまま終わってしまったこの“祈り”を、私は、少しでも届けたい)

 

ひかるの胸の奥から、熱い何かが溢れてきた。

新月から細い弓月へ、そしていま――炎のような祈りへと変わる。 

 

その瞬間、雷羽の鍔がかすかな音を立てた。

空がざわめく。一筋の雷が音もなく光った。

 

それは、“アジスキタカヒコネ”の涙の記憶が、

ついに「言葉」という形を得たことを告げる合図だったのかもしれない。

  

風が吹いた。

その風には、“懐かしい気配”が宿っていた。

それは哭いていた神――アジスキタカヒコネが、初めて、微笑んだ気配にも感じた。

 




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