私が見えている世界と、君が見えていた世界
先週、私の小学校の頃の同級生が亡くなった。
昨日友人から、教えられた。
病気で亡くなったらしい
同じ小学校に通い、ほぼ毎日一緒に遊んだ仲だった
中学と高校は別々になってしまったのだが、田舎の狭いコミュニティで、よく会うたびに雑談していた。
大人になってからは一回も会うことなく、彼女は亡くなってしまった。
恐らく彼女と最後に話したのは、高校卒業の日だろう
正直、彼女の遺影を見た時に、一瞬だが誰かわからなかった。
顔立ちが、立派になっており、綺麗な大人の女性という感じだった
でも、この遺影がとられた時にはもう、彼女は病気になっていたらしい
とてもきれいな笑顔で、太陽のように明るく、すぐに彼氏もできただろう
この笑顔の裏に、闘病の苦しみが隠されているのだろう。
そう思うと、この笑顔を見るのも悲しくなってきた。
私が、彼女に会ったのは小学生のころ、田舎の小さな学校で彼女と私は共通の、お絵かきが好きだという趣味があった。
休日に、二人でよく絵をかいていた記憶がある。
もっとも、鮮明に残っているのは、丘の上からの風景画を描いているときだ
彼女の絵は、色使いが独特でどこか、この世界観に没入感のある絵だった。
あの時には、私は気が付かなかったが、彼女には世界の色が少しだけ違って見えていたのだろう
とても色鮮やかで、太陽からの光が虹色に輝いている。
一方で私の描く絵は、鉛筆画なので、色がない
正反対の絵を描く二人だったが、お互いのことをリスペクトしあいながら、絵をかいて、見ていた
このころは、まだ私はこれが個性だと思っていた
でも中学生になった時、海のスケッチをしているとき、ふと彼女のキャンバスを見ると、海の色が緑色に見えて、この時にやっと理解した、空の色も少しだけ淡い緑色がかっていた
つまり、私の見ている世界と、彼女の見ている世界は、違うということに
でも、私は彼女の見ている世界が好きだった
私がただ見ている世界は、他の人にはこんなに違く見えるのかと、気が付かされた
それに、。彼女の描く絵が好きだった
繊細なタッチ、鮮やかな色合い
私が初めて感動した絵だった
最近では、自分のアトリエを持ち、個展も開いていたらしい
結局見ることができずに、死んでしまった
どうして、会おうとしなかったのだろう、どうして彼女のことを忘れていたのだろう…
手が届くと思っているうちは、興味を持っていても、手に取ろうとはなかなかしない
つまりは、欲しいけどいまはいいかなぁみたいな状態
だが、いざ無くなってしまうと、ものすごい興味を示してしまう
残酷だが、今までの有名な人も、死んでから有名になった人も多い
私も、彼女の個展にはいつかいこういこうと思って、結局行かなかった
最後の個展にはいこうと思う
この世界は、見えないところの方が、たくさんのことが起こっている
世界の色は、私の見ている色ではないのかもしれない
彼女との思い出ももともとなかったのかもしれない
本当に彼女はもう、この世にいないのだろうか
いっそのこと、この世界ごとフィクションならいいのに