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旦那と手合わせしたいわあ

「まあ、この方が昨夜旦那がご挨拶した方ですの?」


「そうですよ。姐さん。旦那が目こぼしした御仁です」


「まああ、珍しい。でも、そうね。うふふ。貴族の鳥ガラみたいな体では、あの人の食指なんか一本も動きませんわよねえ。良かったわね、あなた」


 俺は失礼な女にむかっ腹が立ち、――が、俺は動けなかった。

 フォルミーカが身を屈めて俺の耳に吐息をかけた、のだ。

 すると目の前の女が、分かりやすく頬骨の当たりを赤く染めた。

 俺の憤りなど一瞬で消え、俺はフォルミーカを称賛するばかりだ。


 彼女の行為は、俺を静めるために俺の耳をくすぐっただけでしかないのだが、その素振りが貴族の女性が身分が下の相手にする動作に相手に見えるものだったのだ。貴族の女性は同じ階級の相手としか会話せず、下の階級の者に話しかけられても無視するか、間に立つ男か召使いに言葉を与える。


 よって、目の前の女が頬を赤く染めたのは、他人の睦みごとを目にした恥ずかしさなどではなく、単に馬鹿にされたとプライドを刺激された怒りである。


 昨夜の大将の愛人ならば、彼女は人にかしずかれる事に慣れている。

 フォルミーカのこの行動には、かなり気分を害したに違いないのだ。

 フォルミーカこそ、鳥ガラ、にかなり苛立ったからなのかもしれないが。


 それにしても驚きばかりだ。

 フォルミーカの貴族然とした立ち居振る舞いは、俺の死んだ妻を彷彿とさせる。

 俺には勿体無いばかりの高貴な身の上であった、妻に。


 なんにでも化けられるとは、フォルミーカは一体何者なのだ?


「お前さん方。行き先はゴートですかい? あたしの旦那は王都でそれなりの店の店主をしておりましてね。ゴートは王都の人間には庭みたいなもの。この先それなりでいたければ身の程を弁えなさいな」


 女はかなり苛立っていたようだ。

 先程までの上品ぶった言葉使いを捨て、酒場女同然の話し方に変わった。

 それもかなり場末の。


 しかし、フォルミーカはしれっとしている。

 既に身を起こして真っ直ぐに立っているだけの彼女は、目の前の女性が彼女に求める従順さなど一切差し出すつもりも無いようだ。


 だがそれでは面倒ごとが、……あ、ああ、そうだ。

 それなりの家の夫人は、紹介が無い相手と会話ができないのだ。

 では、俺こそが動く事をフォルミーカに期待されているのか。

 俺はベンチから立ち上がるとフォルミーカにディオンを渡し、気が利かないどころかうだつの上がらない男を演じる。いや、演じずとも真実なのが辛い。


「はじめまして。昨日の御仁の奥方でしたか。お美しくていらっしゃる」


 派手な顔立ちは美人の部類だろう。

 全然俺の好みじゃ無いが。

 そう、フォルミーカという素晴らしき美貌を知っている俺には、目と鼻がついているな、という感想しか持たない程度の美貌なのだ。


 ああちくしょう。

 今すぐフォルミーカからベールを外し、彼女の美しい顔を眺めて堪能したい。


 そしてこんなことを考えている俺を尻目に、女は俺の褒め言葉にパッと反応して表情を柔らかいものに変えた。――だけでなく、俺との距離を詰めて来た。

 酒場の前で男の腕を引く女性の笑顔という、それ、で。


「まあ、嬉しいわ。あなたもとっても素敵なお方。素敵な腕ですわねえ」


「しょ、職を失って弛んで太くなっただけです」


 急に二の腕を触られてぞわっときた。

 服の上からだろうがぞわぞわする。

 このままでは彼女が俺の腕に抱きついてくるとぞっとした俺は、臆病なエビそのままに飛び退る。


 後ろでフォルミーカがため息ついたのは、完全に腰が引けている俺への失望か。

 だが仕方が無いじゃないか。

 俺はフォルミーカ以外の女性に気安く触れられたくはない。


「あら、まあ。純情なお方。それでは王都でやってはいけませんよ」


「そ、そうですか」


「ええそう。うふふ。私が手ほどきして差し上げましょうか? うふふ。私に頼った方がよろしくてよ。私の夫の名はエルネスト。首都で口入屋をやっておりますの。知らない人はいない大商人ですわ」


「ジャイナ、そこは言っちゃいけねえ」


「どうしてよ。無職の方よ。お仕事を斡旋してあげられるじゃないの。ねえ、あなたもそう思うでしょう。せっかく知り合えたのだから、ねえ、もっと私と仲良くしたいって思ったでしょう?」


 俺は自分の表情筋がひくつくばかり。

 とりあえず王都に行く予定の俺達なのだから、昨晩のあの男(エルネスト?)に目を付けられるような面倒ごとは避けたい。その思いだけでフォルミーカが怒らせたジャイナについてフォローをしただけだというのに、と、俺はフォルミーカへと視線を動かす。


 …………なんと!!


 俺は体から骨を失った、そんな感じでふにゃふにゃになった。

 ディオンを抱いたフォルミーカが、俺の腕に、そっと彼女の額を付ける、なんていじらしい素振りをしてくれたのだ。


 極悪だ。

 演技だと分かっているが、俺は君のその素振りに息が止まりそうだよ。

 いや、このまま押し倒してしまいたくなるぐらい、俺の脳みそが蒸発しそうだ。


「まあ、あなた、いじらしいこと。でもわかるわよねえ。大事な旦那様のお仕事が決まるかどうか、って、今にかかっているのよお。ねえ、いいわよねえ。旦那はちゃんと世間を知っている女に磨かれないといけないのよ。生きていくにはね」


 俺はジャイナのセリフのせいで、せっかくフォルミーカに蕩けさせてもらった脳みそがすっきりしてしまった。

 ジャイナは俺に愛人にならないかと持ち掛けているのだ。


「すまないが、それは――」


 俺の袖をフォルミーカが掴む。

 下げた頭を俺の腕にこすりつけながら、ひそかに震えながらのそれは。


「俺を追い詰めるのはやめてくれ」


「ほおら、旦那さんを放してあげなさいな。旦那さんもギリギリよ。あたしに追い詰められたなんて、ああなんて可愛らしい」


 違うよ。

 勘違いばかりの、自分の男の権力を笠に着るだけの女に、誰が魅力など感じるかと俺に伸ばして来たジャイナの手を振り払おうと腕が動いた。

 が、俺は再び動けなくなる。


 フォルミーカがひょいと爪先立つや俺の耳に口元を寄せ、毒を囁いた、のだ。


 俺は思わず口元を拳を当てて笑いを隠す。


「あんたら、」


 ジャイナの顔立ちは豹変していた。

 自分が誘う愚鈍な男が自分に転んだと思ったのに、その愚鈍な男は己の妻と一緒になって自分を揶揄っていただけだった。


 そんな風に思ったのだろう。


 ジャイナは最初からフォルミーカが気に喰わないから俺を誘っていたのだ。

 そして転びかけたと思ったら、フォルミーカの囁きで俺こそ意地悪く笑った。

 するなあ、勘違い。

 ハハハ、フォルミーカの方が性格が悪い、なんて最高だ。


「あんた方には教育が必要なようだねえ。騎士じゃ無くなった? だったら、もう貴族でも何でも無いんだよ。ギーヴ。この世間知らずにこの世界のきまりって奴を教えておやり」


 ギーヴと呼ばれた男は、口元を喜びに歪めた。

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