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名前でなく「あんた」でいい

 さて、昨夜のシリルとの一方的な話し合いは、賢い彼の息子の言葉で有耶無耶にできたが、一晩寝たシリルは完全回復していた。


 体も、心も!!


 私に対して暑苦しいぐらいの愛妻家役に徹し、単なる農夫の荷馬車の荷台に私を女王様のように扱って座らせた。その後に自分こそ私の隣に座り、茶色の拘束服(ドレス)姿の私に対し、過剰に甘い(と本人は思っているだろうへたくそな)褒め言葉ばかり並べているのだ。


 本気で刺し殺してやろうか?


 そう考えてしまうほどに。


 ドレスのせいで私の剣はシリルが持っている。

 二本差しになって喜んでいるとは、根っからの戦士ね。

 だから口説きなれていないへたくそな口説き文句だと許すべき? 


 いいえ、口説きが下手だからムカつくのではない。

 へたくそながら、私を褒める言葉ばかり並べているだけだから。

 単に煩いだけ。

 腹をすかせた捨て犬に干し肉を投げてやった、その後は捨て犬から逃れられなくなっている、そんな失敗感と似ていると言えばわかるだろうか。


 撥ね飛ばしてやりたいと思いながら、私はグッと我慢する。

 彼の腕に人質ディオンがいるからではない。

 ディオンを奪ってから殴ればいいだけだ。

 シリルを殴れないのは、私がシリルの妻役を演じ中、その一点に尽きる。

 どうして夫婦のふりなど提案してしてしまったのだろう。


「あなた? 馬車の荷台に乗ったのならば、あとは着くのを待つだけですわ。誰も見ていない今こそ、お疲れのあなたは横になってお休みになられたら」


「ああそうだね、ミーカ。今日はいい天気だ。俺達の幸先を約束しているようだ。君の膝枕で眠るとするか」


 どうして私はこんな分からず屋に、夫婦のふりなど提案してしまったのだろう。

 私は馬車の御者へと視線を動かす。

 初老の農夫の後ろ姿は、荷台に乗っている私達に興味どころか、自分が御す馬への関心も無い様子でうつらうつらと揺れている。よし。


「あなた。御者様がなんだか危うい感じですわ。お手伝いされたら?」


 私を口説いていた男は前方の御者台へと顔を向け、だがすぐに私へと顔を戻す。


「大丈夫だ。あの御仁が御者台から落ちても、あの賢い馬はちゃんと馬車を目的地まで運んでくれるだろう。さあ昼寝をしていいかな?」


「シリル。いい加減におし」


 私はシリルの膝を軽く叩く。


「うふふ」


「楽しそうですなあ?」


「名を呼んで貰えた。旦那もお前様もいいが、名前を呼ばれるのは特に良い」


「あんたは」


「あんた、という呼び方も好きだ。芝居じゃ無いって感じですごく良い」


「あんたは」


「君はムスカ殿にもあんたって言ってたんだろうな」


「何を――」

「君が寂しい時には、君が想う御仁の身代わりとして求めて欲しいとも俺は思ってるんだ。だがやはり、いざという所でその御仁の名前で呼ばれたら辛い、だろうな。だから、あんたで良い。あんただったら、俺は君に俺こそを求められていると思い込める。君も彼をあんたと呼びかけていたんだろう」


 ちょっと待て、だ。

 私が寂しい時とは、いざという所とは、一体どんな状況を想像しているの?

 そして当のシリルは、これだという顔どころか、なぜか失敗した犬みたいな顔で私にお伺いの視線を向けている。


 ええっと、シリルは私とムスカの関係を誤解している?

 ムスカは私を抱いた事など一度も無かったというのに。

 大体、彼が私を抱いていたならば、私は彼を崇めたりはしなかっただろう。


 幼い私は父を殺しに来た男達に嬲られ、完膚なきまでに体を粉々にされたのだ。

 だからこそ、私を守り父親のように振舞うムスカに私は憧れ、そう、彼の言う事ならばなんだって従うようにもなったのだ。


 西の顔役の所に行けと言われた時も、訂正、私は初めて嫌だとムスカに言った。

 西の顔役と言えば、大きな廻船問屋の元締めであるフィレンソンである。

 フィレンソンは気に入った女を見つければ、それが旦那持ちだろうが幼かろうが、全部自分の寝所に引き込んでしまう女狂いのヒヒジジイなのだから、私がはいとムスカに言うわけはない。


「俺をあいつの情人にさせるなら、あいつをぶった切って回状持ちになってやる」


「ばかだなあ。お前はしばらく西に住む。それだけだ。あれからの仕事も受けなくてもいい。っていうか、尼寺のレイリアばあさんの頼み事だ。足洗って静かな環境を手に入れたのに、静かすぎて気が滅入るってね」


「はん。レイリアばあさんと一緒じゃ、俺こそが気が滅入るだろう」


「これも修行だ。――俺を信じて待っていろ」


 待っていろ、なんて言われて私は喜んだ。

 だから馬鹿みたいに動かずに待っていた。

 それが最期の言葉になるなんて思わなかった。


 ムスカのばかやろう。

 あんたは自分が助からないと知っていたから、私をレイリアに預けたんだね。


 東の顔役のエルネスト、あいつにムスカは狙われていた。


 エルネストは首都で大店を構えている商人だが、彼が売るものはものでは無く人という、人材派遣業である口入屋(くちいれや)を営んでいる。

 つまり、エルネストは裏では殺人などの請負もするからして、ムスカが頭領だった人斬り集団の毒蟲(ドクムシ)など目障りな虫けらでしか無いのである。

 たった十七人の、身の内に裏切り者も含んだ愚連隊に対するは、無駄にカリスマがある男を中心とした町一つ程の構成員がいる大きな組織だ。

 どちらが潰れるかなど、火を見るよりも明らかだろう。


「ムスカ殿は幸せな男だな」


「シリル、殿?」

2024/12/4

毒百足蟲スコロペンドラウェノムをもともとの毒蟲ドクムシに直します。

ラテン語読みでフォルミーカ(蟻)、ムスカ(蝿)にしていたので、人斬り集団の名前もラテン読みにしたらどうかと思ってしまったのです。丁度、百足はスコロペンドラって恰好良いなと思った事もあり。ただし、長すぎて格好悪いしくどいので、ありきたりですがもともと考えていた毒蟲に直しました。

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