第24話 魔女様、王子の背中を堪能する
マーラ様とアンソニー王子の話を寝た振りで盗み聞きした翌日。
私は王城内のとある倉庫に保管されたものの前で立ち尽くしていた。
「こ、これは……」
「凄い増えちゃいましたよね。一生キャンディーに困らなそうだ」
アンソニー王子が私の隣で苦笑した。
現在私の前にはパステルカラーに包まれた大量のキャンディーが床に転がっている。
もはや床の色がわからないほど大量に、である。
とめどなく魔法の箒の穂先から吐き出されるキャンディーのせいなのか、部屋の中には甘い香りが充満しており、スィーツ大好き女子からすれば夢みたいな空間。
ただし魔力を一時的にとは言え失ってしまった私にとっては、地獄でしかない。
箒から吐き出されるキャンディーから漂う魔力を我が手に再び滾らせたいと願うくらいに、私は魔力を渇望しているからだ。
「当事者が魔力を失っても箒にかけられた魔法は解けないのね。何だか追い討ちをかけられているようだわ」
「マーラ様の話ですと、ある条件を満たせば停止するとの事でしたので、あまりお気になさらずに」
アンソニ王子がキャンディーで溢れる部屋の惨状に愕然とする私に対し、優しい言葉をかけてくれる。
しかし魔女友の祝福、もとい呪いがかけられた魔法の箒は結婚相手とキスをするまでその甘い呪いが解けないのである。
問題はそれが私にとって相当難易度が高いミッションだということ。
だって、キスだなんてしたことないし、一体どんな風にどんな時するのかわからない。それにやっぱりなんだかんだ言っても、恥ずかしい気持ちが勝るのである。
しかし現実問題としてキスをしなければ、永遠に解けない魔女友の祝福という名に隠された呪いは強力だ。このまま私が何もしなければ、アンデル王国全土がパステルカラーのキャンディーに埋もれてしまう可能性がある。
私はジッと隣に立つアンソニー王子のつややかな唇を見つめる。
理想的な弧を描く唇は、ピンクに色づき美味しそうに見えなくもない。
私は現在魔法が使えない。
けれど、魔法の箒が吐き出すキャンディーを止めるには、アンソニー王子と私がキスをすればいい。感情を取り除けば至って簡単なことだ。
そしてそれを達成するには魔力など必要ない。
大事なのはやる気と勇気と捨て去る羞恥心である。
「王国が飴に埋もれる前にやるしかないか……」
私は覚悟を決め周囲をキョロキョロと見回す。
誰もいない。となると今がチャンスだ。
「アンソニー王子」
私は体をアンソニー王子に向ける。
そして使命感たっぷり王子の唇に視線をロックオンする。
「どうされました?あ、もしかして口元にパンのカスでも?」
アンソニー王子は「歯を磨いたのになぁ」などと呑気な台詞を吐き出しながら、慌てて口元を自分の手で撫でた。
「いいえ、パンのカスはついていません」
「なら良かった」
「でもとてもプルプルしているから」
「ぷ、ぷるぷるですか?」
「美味しそうだなと」
「お、美味しそう!?」
「ですから、舐めてもいいですか?」
「な、な、舐めても!?」
私の告白にアンソニー王子は見事、彫像のように固まった。
そして王子は数分無防備に思考停止したのち、私が一歩動くとハッとした顔で我に返ったような表情になる。それから私から距離を取るかのように、背後に一歩ずれてしまった。
「いいじゃん、あの箒は何を何しないと停止しないんだから」
「何を何って……もはや何を何したいのかわかりません」
「私から言わせるつもり?」
「いえ、何となく魔女様のその視線で狙いはわかるような気もします」
「だったら、いいじゃん。減るもんじゃないし出し惜しみしないで何を何させなさいよ!!」
私はアンソニー王子に思い切り詰め寄る。
しかしアンソニー王子は私の肩を押さえ、腕を突っ張る。
「チッ、魔法が使えたら簡単に襲えるのに」
「いいえ、たとえ魔法が使えたとしても駄目です」
「どうしてよ、ケチ」
「何のスイッチが入ってしまったのかわかりませんが、魔女様がやる気を出し元気になってくだったのは嬉しい。しかしまだ朝ですし、急に距離を詰めるのはいけない。さ、一日は始まったばかりだ。魔女様。出かけましょう!!」
真っ赤になったアンソニー王子が唇を手で隠したまま、くるりと私に背を向けてしまった。どうやら朝というシチュエーションがいけなかったようだ。
「だけどおはようのキスと思えばいいのに」
意気地なしと私はアンソニー王子の背中に薄目を向ける。
「獰猛な目をしていた、あれは確実に猛禽類の目だった。可愛いけど怖い。それに僕たちは交際して日が浅い。物事には順序というものがあり僕は王子だ」
ぶつぶつと壊れたレコードのように急に早口になるアンソニー王子。
物凄い不気味だけど、廊下に差し込む陽の光を受けたその背中は尊い。
「おぉ神よ、今日も推しが生きてる現実に感謝」
思わず私は廊下に立て膝を付き、聖なる推しの背中に祈りを捧げたのであった。
★★★
推しの背中を愛でつつ向かった先は私が初めて足を運ぶ場所。
つぶらな瞳を持つ面長で高貴な生き物が存在する場所、つまり馬房であった。
「これは馬ですか?」
「はいそうです。これは馬です」
異国語を習い始めた時のように模範的例文を口にする私。それに対しこれまた模範的な返事をよこすアンソニー王子。
「ペットセラピーって事?」
ブルルルと鼻を鳴らす馬。
近くで見ると思いの他大きくて私は少し怯えていた。
魔法が使えたらどうという事もない馬だ。けれど今あの強靭な後ろ足に蹴られたら即死しそうだと、私は少し怯える。
魔法が使えない。
今までの私と違うのはたったそれだけ。それなのに、私はまるで着ぐるみ剥がされ、衆人の目に晒されているかのように怯えた気持ちになる。
当たり前を失うと、こんなにも落ち着かない気持ちに囚われ不安になるのだ。
私は自分のヤワな一面を目の当たりにし、ひたすら落ち込んだ気持ちをぶり返す。
「ペットセラピー、それもありますけど、この前魔女様に空を案内してもらったお礼です」
「お礼なんていいのに」
「そうおっしゃらずに。僕の散歩に付き合って下さい。それに僕が魔女様に地上にも美しい景色がある事をお知らせしたいんです」
「でも馬に乗るんだよね?」
「魔女様は馬に騎乗したことはありますか?」
「ないわ。いつもは箒だから」
馬なんて必要ないのである。
「じゃ、僕が手綱を握りますね?」
「え?どういうこと?」
「この前の反対です。魔女様が僕が手綱を操る馬の後ろに乗るという事です」
アンソニー王子がシレッと口にした状況を私は妄想する。
つまりそれは推しと密着するというわけで……。
ふむ。キャッキャウフフする前に、緊張のあまり心肺停止状態になりかねないと私は冷静に判断した。
「やっぱり、室内で過ごす事にする」
私はくるりと振り返り、馬房から背を向け一歩踏み出す。すると腕をガシりと掴まれた。
「私はこう見えてインドア派なの」
私は振り返りアンソニー王子に若干真実を含むでまかせを口にする。
「魔女様、勝手に触れてしまい申し訳ありません。けれど僕は魔女様とデートがしたいのです。駄目ですか?」
アンソニー王子が私に眉根を下げ可愛らしく困り顔を向けた。
正直アンソニー王子でなければ「姑息すぎる!!」と迷わず張り手をするレベルのあざとさである。
「まぁ、そういう事なら」
推しの全ては尊いで出来ている。
だからあざとさだって、可愛さに自動的に脳内変換されるわけで。つまり可愛いから全力で許してしまうのである。
おぉ、神よ。うちの推しが可愛くて死にそうです。
まぁそんな感じだ。
「では参りましょう。僕の愛馬の準備は整っていると思いますので!!」
アンソニー王子はパーッと晴れやかな表情になり、私の手を掴んだまま歩き始める。繋がれた手はほんのり温かく、そして相当恥ずかしくて、嬉しい。
「大丈夫ですよ、魔女様。僕があなたを必ず守りますから」
アンソニー王子の優しい励ましの言葉に私は泣きそうになる。
それは勿論嬉しい気持ちもあるけれど、自分に対し不甲斐ない気持ちで一杯だから。
普段は私がみんなを守っていると自負していたし、それが自信にも繋がっていた。
けれど今の私には私らしさなど何もなく。何の取り柄もない人間、もしくはソレ以下の存在だ。
「弱った魔女様、可愛い」
小さな声で呟かれた言葉。
それと同時に私の手を握るアンソニー王子の手にギュッと力がこめられる。
魔力を感じなくなった私にとっては最悪な状況。
それなのに、嬉しそうなアンソニー王子に私は内心腹を立てた。だけど不思議と繋がれた手の温もりのせいか、私のささくれた心は徐々にその傷を閉じていく。
その不思議な感じはかつて私の体を支配していた、みなぎる魔力と同じようで。
私は密かにやっぱり推しって尊いな、そう思ったのであった。
そして歩く事数分。
私の目の前にはやたら大きな馬がいた。馬丁に手綱をひかれ、既に鞍が背中に乗せてあるという準備万端な状態で待機していた馬。
「う、馬だわ」
光を受けキラキラと茶色い毛並みを輝かせている馬はとても美しい。ただし、触るな危険、とてもジャンボだ。空から眺めていた馬は、実の所近くで見ると想像よりずっと大きかったのである。
「もしかしてこの子に乗るの?」
「この子は僕の愛馬、アポロです」
アンソニー王子の登場にヒヒーンと嬉しそうにいななくアポロ。それから感極まったのか、王子に長細い顔をガシガシ擦り付けていた。ちょっとその本能に忠実な行動が羨ましい。
「アポロ、今日は魔女様と一緒だからね?いつもみたいに暴れちゃ駄目だよ」
「ヒヒーン」
目を細め愛おしさ全開でアポロの鼻筋を撫で会話を交わすアンソニー王子。
だけど私はしっかりと「暴れちゃ」という恐ろしい言葉を耳にした。その結果私の恐怖心は増す事となる。
「さ、行きましょう。魔女様、失礼」
アンソニー王子がアポロの首をポンポンと叩き私に声をかけた。
アポロはアンソニー王子に答えるかのように、頭を上下に激しく動かした。
まるで怪しい集会に参加してノリノリになってヘッドバンギングする人のようだと不安になる。
「出来れば私は穏やかな走行を望むんだけど」
嬉しさを表現するアポロは何というか、既に激しい。
「魔女様、お手を」
ヘドバンするアポロを観察していた私の視界にアンソニー王子の美しい指先が映り込む。横を向くと、既にアンソニー王子は馬上の人となっていた。
キラキラと降り注ぐ天からの光を浴び、馬に跨るアンソニー王子。
いつもと違い、黒いジャケットにピタリとした白い乗馬ズボン。頭には紳士のマストアイテム、トップハットがきちんと乗っかっている。
「天からの使者……」
私はアンソニー王子の完璧な姿にもはや息をする事すら忘れ、ひたすら釘付けになる。
「魔女様に向けられる熱い視線は正直嬉しいですけれど、時間は有限です。だから手を」
天使を超越する柔らかい笑みを私に向けるアンソニー王子。
私は天に導かれるように乗馬台を登り、気づけばアンソニー王子の差し出すその手をしっかりと握り、馬の背に跨っていた。
「魔女様、しっかりと僕の腰を掴んで下さいね」
手綱を握るアンソニー王子は体を捩り、背後に跨る私に弾んだ声をかける。
乙女的に想像するに、王子様との乗馬シーンは私が前に座わり、背もたれ代わりのアンソニー王子が後ろから「僕に体を預けて」なんて甘い言葉を吐き出すんじゃないの?と思わなくもなかった。
けれど馬丁からムチを受けっとったアンソニー王子は魅惑的だったし、とにかく馬の背から落ちたくなかった私は迷わずアンソニー王子の背中に張り付いた。
「うっ、死ねる」
推しの背中に頬をつけスリスリする私。
思っていたよりずっと固くて、広い背中はアンソニー王子に現実味を帯びた雄を感じた。
やだ、推しがここにいる。しかも本物だ。
「ま、魔女様。くすぐったいので普通でお願いします」
「……失礼」
私はついうっかり漏れ出す変態をしっかり閉じ込めた。危ない、でも推しの広い背中はいい。最高だ。好き。
「では参りましょう」
アンソニー王子が掛け声と共に、馬のお腹をやさしく圧迫し、足首で馬に出発進行の合図を送る。そしてパカパカと歩き出したアポロ。
思いの外上下に揺れるので、私はここぞとばかりアンソニー王子の背中に張り付く。
「魔女様、大丈夫ですよ」
アンソニー王子は私が腰に回し、強く握る手を一瞬だけ優しく包み込んだ。どうやら私が怯えていると思ったようだ。
確かに魔法が使えない無防備な状態の私は、始めての乗馬に対し不安な気持を抱いている。けれど推しは手綱を握る事に注視し、前方を向いている状況なわけで……。つまりどう考えたって、これは推しの背中を取った私の勝ち。
「ふふふふ」
私は不気味な笑みを零しながら、推しのがら空きで無防備な背中に対し、自分の頬を思う存分、擦り付けたのであった。あぁ、幸せ。