第4章 王様と王弟
更新:2022.5.22
空南の首都―晴嵐にある王城の門前。
雪華は羅芯を出て、数日で晴嵐へと到着した。
空南は農業が盛んな国…のはずなのだが、来る途中見かけた田んぼや畑は活気がなく、人の姿をついぞ見ることはなかった。
「これは、雪華様。わざわざこのような地へのお越し、痛み入ります。」
少し緊張気味な声で迎えたのは、空南の王で名を黎夕と言った。
門の奥に見える城内は、バタバタと騒々しい。それはそうかと雪華は苦い笑みが漏れる。
綾が伝令を出したとは言え、正式な形ではなく羅芯の王が王弟を突然訪問するのだ。何事かと、慌ただしくなるのも無理はない。
そう思いながら、雪華が王城の門前で待っていると、王弟自ら出迎えに来たという訳だった。
本来、王弟は平伏する必要はない。やらないと言う訳ではないが、簡略の礼で問題ないのだ。だけど、目の前の空南の王は平伏していた。
「なに、そう畏まらずとも良い。ただ様子を見に来ただけだ。」
雪華がそう言っても、黎夕は平伏したまま面を上げようとはしない。よく見れば地に着いた手は震えている。
「あまりに突然のご来訪でしたので…先日の会議で使者が何か失礼な発言でもしたかと…。」
その通り。と、雪華は答えたい衝動にかられたが、その言葉をなんとか飲み込んだ。
と言うのも、黎夕はとても気が弱いのだ。
だからこそ必要もないのに、平伏しているのだろう。雪華の機嫌を損ねないようにと。
この黎夕は小胆を隠せていない。そのため官吏に良い様に使われているともっぱらの噂だった。
「そう言う訳ではないから心配するな。」
雪華の中では極力優しい言葉を出して、やっと黎夕は顔を上げてくれる。
上げた顔はまだ若く幼い。雪華よりも年上と聞いているが、それよりも年下に見える程だ。
王の中では黎夕が雪華の次に若い。誠実で心優しい人物なのだが、物を知らず自分の領地のことを理解できていない。これも問題のひとつだ。
「いや、ただ空南が不作で苦しんでいると、使者から報告を受けたのでな。国の様子を見に来たのだ。」
「…そうでしたか。」
黎夕はホッと胸をなでおろすと、少しは緊張が解けたのか表情が和らいだ。
「では、まずはお部屋へとご案内致します。」
「ああ、頼む。」
黎夕自らが先導して、城の中を案内する。他に官吏はいないのかと思わなくもなかったが、急な来訪のせいかもしれないと雪華は口にはしなかった。
通されたのはこの城で一番豪華な客間。金銀はなくとも、調度品の造りが普通のものとは全く違う。恐らくは相当に腕の良い職人に作らせたのだろう。華美になり過ぎず、でも居心地の良い造り。
そんな造りの良い長椅子に促されて座り、ホッと息を着くと雪華は背もたれに寄りかかった。
それを見計らってお茶とお菓子が出される。
「それで実際のところどうだ?」
雪華はお茶にだけ口をつけてから、対面に座って居心地悪そうに黙ったままの黎夕を見る。
「そうですね…陛下のおっしゃる通り、昨年の不作で蓄えることが出来ず、冬で食料が尽きたと聞いております。」
黎夕の言葉に引っ掛かりを感じたが、雪華は静かにお茶を啜る。
「特に郊外の方が酷いようで、民からの訴えも多く来ているそうです。ただ、冬季も終わり暖かくなって参りましたので、数日前から田畑の種植えが始まったと報告を受けています。」
「一つ聞きたいのだが、実際に黎夕が見ている訳ではないのか?お前の言葉はそんな風にとれるのだが。」
「えっ…あ、はい。全て官吏からの報告です。」
申し訳なさそうに答える黎夕に、雪華はため息をついて長椅子に深くもたれ掛かる。
「街はこんな目と鼻の先にあるというのに。」
雪華の言葉を聞くと黎夕はあからさまに狼狽え、後ろに控えていた官吏が咳払いをした。
「恐れならが、雪華様。発言のお許しを頂けないでしょうか?」
「お前は?」
雪華が問えば控えていた官吏は深々と頭を下げる。腰を直角になるまで曲げて、手を床に伏せた顔の前で組み合わせる。海羅島では平伏礼の次に敬意を現した礼だ。
「奏任官の倉炻と申します。」
張りのある声は彼の若さを表現している。見た目は黎夕よりかなり上に見えるが、実際はそう離れていないのかもしれない。
「倉炻、発言を許可しよう。」
「ありがとうございます。」
倉炻が少しだけ面を上げて、褐色の瞳が雪華を捉える。
零れて頬に掛かった髪を耳にかける姿は、なかなかに男前に見える。
「現在、空南の民は貧窮した状態です。」
「それは、昨年の不作が原因らしいな。」
「はい、その通りにございます。今は冬季で、作物が育つ環境ではございません。
本来であれば夏季に蓄えた農作物で補うのですが、不作だったために蓄えられずまともな食事が出来ないのです。
そのため黎夕様は民からの嘆願書や、その対策に追われているのでございます。」
そこまで言われて雪華は動きを止め、顎を手で撫でる。肺に詰まった空気をため息という形で吐き出して、雪華は首を傾げた。
「冬季に育つ作物もあるだろう。それなのに、なぜ作物を育てようとしない?」
「…それは」
倉炻は返すことが出来なかった。
雪華が言う冬季にも育つ作物とは冬果という果物で、寒い時期に芽を出し実を付ける。その果実はみずみずしく甘味が強いのが特徴で、腹の足しにはなるし糖分も取れるため、貧困している空南では重宝されるはずなのだ。だからこそ、それを育てていなんてことは考えられないと、雪華は思う。
「事情がございまして、種を手に入れることが出来なかったのです。」
「…では一昨年の分はないのか?」
一瞬だけ、倉炻の動きが止まる。
「一昨年も不作とまでは言いませんが、豊作という訳でもございませんでした。」
「うん?一昨年は豊作という報告を受けていたが?」
雪華が首を捻ると、倉炻は落ち着きなく手を握ったり開いたりする。
「そ、それは……日持ちのしない野菜が豊作だったのです。そのため他国に売るのも難しく、蓄えることも出来ませんでした。」
「なぜそんなものを植えた?」
今度は倉炻の目が泳ぐ。
「どうしたのだ?」
「い、いえ…」
促せば倉炻は口ごもってしまう。黎夕もなにか言いたそうだが、口を開こうとはしない。
嫌な空気が漂い、気まずい沈黙に空気が重くなった。
「お話し中、申し訳ございません。陛下、会議の時間が…」
バンッと重たい雰囲気を吹き飛ばすように、部屋へと入ってきた官吏が空気を読まずにそんなことを口にした。
雪華はその官吏の男を見て疑問を抱く。だが少ししてその理由が分かり、あ…と小さな声が漏れる。
それは倉炻と並んだ官吏の服装が違って、裾や縫い口に金の糸が刺繍されていたから。
「お前、役職と名は?」
「は?」
間の抜けた声に、黎夕と倉炻が明らかにビクリと身をすくめる。
「郷岩、名乗りなさい。」
黎夕が叱責すると、郷岩はあからさまにムスッと不機嫌な顔をする。
「奏任官の郷岩です。…てか、あんたは誰なんだよ。」
「なかなかに面白いことを言うな。郷岩は主の客人を把握してないのか?」
「主?ああ」
まるで主が誰だったのか忘れていたとでも言いたげな物言いに、雪華は眉根を寄せる。
「郷岩にとっての主は黎夕ではないのか?」
「主ですよ。ですが、私の直属は蓮季様です。」
「そうか…」
「それであんたは誰なんだよ。」
痺れを切らせたのか苛立ちを見せる郷岩は、まさに我慢のきかない子供そのものだ。
「名乗る程の者じゃない。それより、陛下を呼びに来たんだろう?連れて行かなくて良いのか?」
雪華に言われて本来の目的を思い出したのか、黎夕を見ると早くして欲しいと急かし始める。それを黎夕はどうしたら良いのかとおろおろする。
「行って来い。」
「いえ、そんな訳には…」
雪華が短く言う。それは捉え方によっては機嫌が悪いようにも見えたのだろう。黎夕にしては珍しく言葉を濁した。
「良いと言っている。私との話よりも国のため、それがお前の第一に考えることだ。」
そこまで雪華が言っても煮えきらず、どうしたら良いのかと戸惑う黎夕。
「あ、ありがとうございます。では、こちらの部屋でおくつろぎください。」
情けない黎夕の代わりに答えたのは、倉炻で頭を下げて一度礼をしてから黎夕の背中を押した。
「倉炻!」
「それで良い。」
雪華が頷くのを見て、倉炻は黎夕を連れて部屋を出ていった。その後を満足気な様子で、郷岩が大股で闊歩して出て行く。
部屋に残されたのは客であるはずの雪華とお付きの綾に、戸惑いを隠せないでいる使用人が一人だけ。
雪華はその使用人を呼んで、机に置かれたお菓子を使用人たちで食べるように伝えると、一瞬驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうな笑みを向けて礼を言い部屋を出ていった。
「どう思う?」
「思っているよりも最悪の状況かと」
二人だけになった部屋で、お茶を口にしていた雪華は綾の答えに眉根を寄せた。
少し考えてから爪先で床を叩く。それは雪華がこの最悪な状況の空南に苛立ちを感じて、足を揺すっているようにも見えなくない。だが聞く人が聞けば、独特な拍子で刻まれていると思う者もいるかもしれない。
「調べるしかなさそうだ。」
「相手は?」
「もちろん、自分が王にでもなったつもりでいる愚か者だ。」
雪華の瞳がギラリと光る。それはまるで獲物を見つけた獣のようだった。