第4章 5.心と裏腹
更新:2021.10.22
「すまない。俺のせいだ。」
「いや、京帖のせいじゃない。どうせこいつが悪いんだろう。」
どこかから声が聞こえる。また、翠が何か自分の悪口を言っているようだ。そんなことを頭の奥でぼんやりと雪は思った。
“そう言えば私どうしたんだっけ?”
珍しく翠が人前で声を荒げていた気がする。
ズキンッ…
痛い…
背中が痛み出してそちらを見ようと振り向けば、とてつもない痛みが走った。
いたい…
もう嫌だこんな痛みは
背中が熱くなって、燃えているようだと思ったらボッと背中に火が着いた。慌てて払おうとするが火は大きくなるばかりだ。熱で息が荒くなる。
こんなに痛いのはいつぶりだと頭で思うが、すぐに痛みで忘れてしまう。身体中が熱くて汗が止まらない。
痛い痛い痛い痛い痛い…
なんで自分ばかりこんな目に…
ふと、前に視線をやれば翠の姿が見えた。
“翠!”
声を出したつもりなのに、声は音にならなかった。
追いかけようにも痛みでもう動ける状態じゃない。
それでも気付いてもらいたくて、叫び続けるのに声が出ない。必死に手を伸ばして、彼に気付いてほしくて…
「翠!」
声が出たと思ったら景色がガラリと変わった。
薄暗い部屋。だけど、月明かりに照らされていて先程のような不安になるような感じはない。静かな時が流れるような不思議な空間だと雪は思った。
雪はそこに横たわっている。正確には寝台の上に寝ていた。床は硬い木の板ではなくて、ふかふかした綿の上だった。布は麻で少しざらつくが、床にいるより遥かに良い。
雪は横になった体勢のまま片方の腕を伸ばしていた。先程、夢の中で翠に向けて伸ばしていた手だ。
そんな雪の手は、行き場をなくすことなくしっかりと握られていた。握っている手は皮膚が硬くなり少しゴツゴツしているが、温かくて心をホッとさせてくれる手だった。それはいつも雪のそばにいてくれる人の優しい手だ。
だけどその主は心配そうに雪を見ている。不安そうな表情は頼りなく、守ってあげたいと言う衝動に雪はかられる。
「大丈夫?」
「それは、俺の言葉だろ。」
「だって顔色悪いよ?」
「馬鹿!誰のせいだっ!」
怒る翠に雪は気まずくなって視線をそらせた。
「本当に心配したんだ。」
翠は項垂れるように握った手に額を当て、大きなため息をついた。それに雪は視線を戻す。そうしたのは気まずさより申し訳ない気持ちが勝ったから。
翠は雪達が捕まっていたあの部屋に飛び込んで、雪を見た瞬間にその違和感に気付いていたのだろう。だけど、雪の指示を優先させたのだ。それが主従の関係というものだからだ。どんなに雪が心配でも、雪の命令に逆らうことは出来ない。だから翠は雪の指示が終わるまで傷の手当ても出来なければ、傷の具合を見ることも出来なかった。
あの時、京帖が声をかけてくれて良かったと翠は思う。
「ごめんね、心配かけて」
「本当に…お前に待ては無理だと理解したよ。」
髪をかき上げてため息混じりに苦笑いする翠。その視線は雪を捉えていた。先ほどまでの頼りなさはどこかに消え、黄金の瞳が優しく感じられてドキッと雪の胸を鳴らす。
さらさらと揺れる黒髪は月明かりに照らされて輝いている。なんだかいつもの翠ではないように見えたのだ。色っぽい大人の男性のような…と、そこまで考えて思考を停止させた。
「み、みんなは?」
自分の反応に動揺し、彼を直視できなくて視線をそらせた。
遠くを見るように部屋を見渡す。見覚えのある部屋は、陣織の宿屋だと分かった。
「もう一つ部屋を取ったからそっちにいる。」
「お金足りたの?」
「ああ、京帖が出してくれたから。」
京帖の名前を聞いて、彼も無事だと分かり雪はホッと安堵した。
「あっ!いっ…」
頭が動き出して色々思い出した雪は、慌てて起き上がろうとして激痛に顔をしかめた。
「馬鹿!まだ起きるな。」
「で、でも!急がないと…!私が倒れてからどれくらい経った!?」
「まだ数刻だよ。夜も明けてない。」
翠の言葉に安堵の息をつく。
「京帖を連れてきて。」
「だめだ。」
「なっ…一刻を争う事態なのよっ!」
「分かってる!話は李珀が聞いてるよ。それで朝には羅芯に出発できるようにする。だから、せめて今は寝ていろ。」
「で、でも…」
「なんだよ、俺たちを信頼してないのか?」
「そ、そんなことはないわ。」
「なら、寝てろ。」
「……。…分かった。」
渋々承諾すれば、目の前の少年は安堵の息をついた。
「ねぇ…翠は隣に戻らないの?」
「李珀がいればあっちは問題ない。それに、雪は待てが出来ないからついてないと…。また居なくなったら困るからな。」
「このまま?」
雪の言葉の意味を理解するのに翠は少しだけ時間を要した。だけど、握った手を見て理解したのだろう。彼の頬が少し赤くなったような、雪にはそんな気がした。だけど、手は握られたまま。翠は離そうとはしない。
肩の傷を気にしてくれたのだろうと、雪には予想できた。
「ね、寝るまでだ。」
寝るまでついているという意味なのだろう。言っておいて翠は視線をそらせてそっぽを向いた。
「……やだ…」
「え?」
雪の言葉を理解できなかった翠が視線を戻す。不安な気持ちが口に出てしまったと、後悔してももう遅い。
雪はもう片方の手でかけられていた布を口許に引き寄せる。自分で言っておいて恥ずかしくなったのだ。
恥ずかしさとずっと痛む肩のせいで頭の回転が鈍いのだ。眠気も襲い始めて、ボーッとしてきた頭で必死に言い訳を考えるが、思い付く筈もなかった。思ったままに口が動く。
「このまま一緒にいてよ…昔みたい…に」
それだけ言い残して雪は眠ってしまった。寝息が静まり返った部屋に聞こえる。
「な、なんなんだよ…」
そう呟いて翠は自分の額に手を当てて大きなため息をつく。その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
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