第4章 2.再会と最悪
更新:2021.10.22
あれから京帖は、翠を見つけられず仕事だけ終わらせて、陣織へと急ぎ向かった。
京帖をつけている奴らが彼を見つける前にと。逃げられるとは思っていない。ただ少しでも足掻きたかったのだ。
京帖のやっていることは、他から見れば滑稽に見えるだろう。
逃げられないと分かっているのに逃げ出そうとして、でも逃げられないと思っているから仕事はしっかりこなし、でも足掻きたくて見張りから逃げる。これが滑稽と言わずなんと言おうか。
ため息をついて辺りを見れば、陣織にいつものような活気はない。この依頼を受ける前からだ。少しずつ陣織の様子は悪くなっていた。
原因は分かっている。誰かがこの陣織と農薪を内乱になるように企んでいるのだ。
関わっている自分が罪深い人間のように思う。歯がゆかった。
逆らうことも出来ずき京帖は鍛冶場の門を潜った。
「おう!京帖、久しぶりだな。」
声をかけてくれるのは、顔馴染みの棟梁。
「お、おう。久しぶり。冬瀬。」
笑顔を向ける。それは自分自身を偽るための嘘の笑顔。覚悟を決めろ。自分の心に言い聞かせる。
これから京帖は、自分を信頼してくれている人達を裏切るのだ。それは、彼らの人生を奪うことになるかもしれない。だけど逃げることは許されないし、逃げたところで彼奴らが新たな情報屋を雇うだけだ。
だからせめて、自分の手で…
「今日はどうした?」
冬瀬に案内されたのは職人たちの使う休憩所だった。机と椅子が数脚あるだけの粗末な部屋は、埃臭くてお世辞にも綺麗とは言えない。
冬瀬は欠けた湯呑みにお茶を入れてくれる。お茶の色は薄く、茶葉をけちっているのが良く分かる。味も薄くてせいぜい香りのあるお湯だ。
だけどその薄い味のお茶が、京帖にはとても懐かしくて涙が出そうになる。
「情報が入ったんだ。」
「なんだ、金に困ってるのか?お前、いつもそう言う時、情報を押し売りするからなぁ。」
「そ、そんなことないよっ。今回のはそう言うんじゃない。」
「じゃあ、なんだ?何かここに関わるような情報か?」
「あ、ああ。農薪が攻めてくる。」
「なっ!」
声を荒げそうになって、口許を手で覆って声を低めて問い返す冬瀬。
「…そ、それは本当か?」
「奴らが武器を集めているのは知ってるだろ?」
「ああ、それは噂があるからな。それに、俺たちだって集めてる。戦う準備はできてるんだ。」
「っ…そ、そうか。時期はおそらく一月後くらいだ。」
「その情報はどこから?」
やはり聞いてくるかと、京帖は苦笑する。
「教えられないが確かなものだよ…」
「そうか、お前がそう言うならそうなのだろうな。」
「疑わないのか?」
「疑われたいのか?」
質問に質問で返す冬瀬は楽しそうに笑う。
「そんな訳ないだろう…」
疑いもしない冬瀬は京帖を信用しているようだった。
そんな彼の態度に涙が出そうになるのを京帖はグッとこらえた。
「お前の事は信用してるんだ。だから信じるよ。それで、相手の規模は分かるのか?」
「おそらくだが、千はいるだろうな。」
「…そうか。」
「陣織はどうなんだ?」
「うーん、出せて同じくらいか少し多いかが限度だな。だけど、うちらは兵士じゃねーし、訓練してる訳でもねぇ…。相手も同じだろうけどよ。」
何の躊躇いもなく話す冬瀬。こんな話、他に漏れたら大変なのに…。
「お、おい…京帖…お前…泣いているのか?」
「!?」
言われて京帖は頬に温かいものが伝っていることに気が付いた。
「どうした?大丈夫か?」
「き、気にしないでくれ」
「気にするなって言われてもなぁ…。何があった?」
「…何でもないんだ。」
そう言えば、冬瀬はそれ以上何も追求して来ない。
「すまない…」
京帖はそう続けて自分の心を決めたのだった。
仕事が終わり、外に出てみればすがすがしい気持ちだった。
この晴れやかな気持ちはなんなのだろうか。今までになく気分が良い。
心なしか陣織の街も明るく見えた。人々が行き交い活気こそ減ったものの、ざわざわとした声は聞こえてくる。全く暗くなった訳ではないのだ。
京帖はそんな街を闊歩していると、遠くの方で見張りを見つけて固まった。一気に鼻白んで、闊歩していた足が止まる。
このまま捕まれば死と言う報酬を受け取ることになるのだろうと、京帖の第六感がそう警鐘を鳴らしているのだ。まだ、自由でいたい。
だから京帖は自分の心のままに、その場から逃げ出した。
見張りをしていた男たちが逃げ出した京帖を捕まえようと追ってくる。足の早さでは勝てそうになかったが、地の利は彼にあった。だから、結構長いこと走れたと思う。だけど、大通りに出てしまったら京帖の負けだった。距離をどんどんと詰められてしまう。
「た、助けてくれーーー!!!」
がらにもなく叫んだ。周りの人達が振り返り、京帖とそれを追っている人間を見た。一瞬だが男たちが怯んだように見える。
そこを京帖は好機と思って、慌てて小道に再び逃げ込んだ。
足音は聞こえるが、少しだけ遠くなった気がする。それを感じながら、京帖は狭い道をひたすらに走った。
「げっ…」
だけど角を曲がって京帖は絶望した。前までは道だったはずなのだ。なのに曲がった先にあったのは板で塞がれてしまった道。家の並ぶ裏道なのだが、先に進むことが出来なかった。扉はあるが鍵がかけてあり、短時間で開けることは難しい。
他に道がないのだが、戻ろうにも足音が近くで聞こえて、見つかると思ったら足がすくんで動けなかった。悪足掻きもここまでかと、諦めかけた時だった。
「こっち!」
若い女の声に振り向けば、塞がれた道の横の戸を開けて手招きする姿。
「早く!」
その知った顔に京帖は希望の光を見た。そして慌ててそちらに飛び込むと、女は扉を閉めて京帖の手を引いて走り出す。
「隠れて…いた…」
隠れていた方が良いのではないか?と、言いたかったのに息が上がって言葉がうまく紡げない。
「いいえ、あの場にいてもすぐに捕まるだけだわ。逃げた方が良い。」
「翠に会った…手紙を読む前に…」
それだけ伝えたくて言葉にすると、彼女はそれを理解したようにちらりとこちらを見て頷く。
「そう、なら良いわ。」
雪はそう言って微笑んだ。
それからまたしばらく追いかけっこは続いたが、突然足音が聞こえなくなった。それに気が付いて、京帖と雪は立ち止まる。二人とも体力の限界だった。
「このまま宿屋に向かいましょう。」
「お、おう。」
雪に言われて、京帖はそれに従う。途中で見つかるかとも思ったが、幸運なことにそれ以上誰も追っては来なかった。
宿屋に着くと雪は何かを店主と話してなにやら袋を渡した。おそらくは自分の部屋を交渉してくれたのだろう。
そう思ったのだけど、雪は取ってあった部屋に京帖を案内した。
「お茶を淹れるわ。適当に座っていて。」
「あ、ああ。」
慣れた手つきでお茶をいれて、京帖の前に湯呑みを置く。
湯気が上がり花の香りが広がる。それは京帖の疲れきった心をほぐしてくれた。
「美味しい。」
「それなら良かった。お菓子もあるわよ。」
陣織に着いてから何も食べていなかったことを思い出し、勧められたお菓子を手に取り頬張る。
米で作られた焼き菓子は香ばしく、少量ではあるが京帖の腹を満たしてくれた。
「美味しいでしょ?それ私も気に入っているの。」
「ああ、確かにどちらも旨い。」
嬉しそうに笑う雪は何も言ってこない。
「なんで何も聞かないんだ?」
「聞いて欲しいの?」
自分で言っておきながら返答に困る。
「…な、なんでそんなに良くしてくれるんだ?どう見たって俺は訳ありにしか見えないだろ。」
「うーん、気になると放っておけない…かな。」
「それ危なくないか?」
「そうね。翠にも良く言われる。」
困ったように笑って、頬をかく雪。自覚はあるようだ。
「ここまで巻き込んじまったからには正直に…」
話すよ。と、言おうとした言葉は雪の手によって止められた。
それと同時に黒い影が雪の後ろに現れる。それは人のような形をしていて、ぎょっとした京帖は彼女を助けようと立ち上がり、そのまま意識を失ったのだった。
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