第2章 3.心と葛藤
更新:2021.10.22
結局、あの後李珀は戻って来なかった。
彼が戻ってきたのは陽が昇り始める少し前。出た時と同じで窓から戻って来た彼は、雪を起こさないようにと物音一つたてない。
「李珀。」
名を呼べばビクリと李珀の身体が跳ねる。心臓に悪いと非難するような顔で彼は翠を見た。
「雪を起こしてしまうよ?」
「…チッ…」
睨み付けても意に介さない様子で、それが無性に腹立たしかった。舌打ちしても李珀は苦笑するだけ。
「朝になったら話すよ。」
そう言って李珀は躊躇いもなくもう一つの寝台に寝転がる。しばらくその背中を睨み付けたが、それも馬鹿らしくなって、怒りの原因である少女へと視線を戻した。
-仕事を終えて戻ってみれば、誰もおらず。部屋には朝食の皿が置きっぱなしだし、荷物も片付けられていなかった。李珀がいてこれはあり得ない。何かあったとしか考えられなかった。
翠は慌てて街中を探しまわった。あまり大事にも出来ないので、人に聞くことが出来ず自分が空回っているように思いながらも、ひたすらに彼女を探したのだ。
疲れた足も上がった息も気にせずに走り回る。細い道まで隅々と、あの透き通った水縹色を、あの優しい瑠璃色の瞳を翠は探した。
だが、結局見つけることが出来ずに、彼は一度宿に戻った。
そして、部屋の前まで来て、扉の向こうから人の気配を感じたのだ。慌てて扉を開ければ、そこには自分が必死に探していた人物がいた。
驚きはすぐに収まり後から沸いてくるのは怒りの感情だった。雪は無茶が過ぎるのだと翠は思う。
王様を演じているときの雪華は王の自覚があるからなのか、自分が命を狙われている存在だと分かっているようで、比較的慎重に見える。
だけど、雪は違う。まるで幼い子供のようだ。それは見ていてとても危ういほどに。
李珀は逃げ出したが、あとで容赦しないつもりだから構わない。問題は目の前の少女だ。どう言えば奔放に走り回る彼女を引き留められるかと、頭を悩ませる。
「す、翠?…翠さーん。」
翠の表情を読める雪にならおそらく伝わっているだろうが、反省してもらわないといけないのだと、言葉を返さなかった。
そんな態度に彼女は戸惑った様子でごめんなさい。と謝ってきた。
でもまだダメだと翠は思った。
これくらいじゃ、雪はまた無茶をすると。
「この状態でいなくなったら、誘拐か事件に巻き込まれたって普通思うだろ。」
少しきつめに言い過ぎただろうか?と、思わなくもなかったが、雪のためだと彼は思っていた。
「もしかしなくても、私たちを探してた?」
あえて何も返さない。これも雪のため。
だと思っていたのに…
「ごめん…」
雪は寂しげな表情をしていた。
こんな顔をさせたかった訳じゃないのに。
「でも、私はこの海羅島の王だから、危険だって分かってても行動する時もあると思う。その時はまた翠に迷惑かけちゃうかも。」
雪の言葉が胸に突き刺さる。昔の雪とは違う。彼女は海羅島の王だ。ただ不安がるだけの少女ではいけないのだ。
分かってはいるが、不安になるのだ。その不安はどうしようも出来なくて、心に溜まっていく。
「雪は見てて危なっかしいんだよ。自分から厄介事に首突っ込んでさ。」
そのモヤモヤしたものに怒りがこみ上げて、声を荒げてしまう。こんなの八つ当たりも良いところだ。
「そ、そんなことないもん!」
子供みたいな怒り方をされて一瞬だけ怒りを感じたが、狼狽している雪を見て一気に怒りが諦めに変わった。
「自覚なしかよ。」
「そ、そんなこと…な、ないけど」
「…もういいや。一応、俺だって理解してるつもりだ。」
「…うん。」
「だから俺の事は気にするな。」
"これは俺の我が儘なんだ。"
翠は自分の感情を殺した。それは、彼女が王になる前から変わらないことだった。
そんな翠の心を乱す彼女は今、心地よさそうにすやすやと眠っている。その幸せそうな顔が憎らしく思えて、ピンと鼻を小突いたらくすぐったそうにされて思わず口許が綻びる。
頬にかかっている髪を退けてやれば、柔らかそうな頬が無防備にさらけ出される。思わずそれに触れれば、心臓の音色が変わる。触れていたい衝動にグッと手を握り込んで止めた。
自分の額をその握った手を強く当てた。
どうしようもできない感情を、胸を締め付けるこの感情を知っている。
だけど、それは余計な感情なのだ。万が一にも雪に知られてはいけない感情だ。だから隠した。
そう…
もう、あの時とは違うのだ。
なにも考えずにただ楽しく日々を過ごしていた子供時代は終わったのだ。そう自分に言い聞かせてきた。今はただ海羅島の王とただの従者でしかないのだと。
お読みくださり、ありがとうございます。
広告下に☆☆☆☆☆で評価が、つけられるようになっております。評価頂けると幸いです。
よろしくお願いします。




