第?章 密談
「柑都、首尾はどうだ?」
「そ、それが…」
尋ねられて柑都は答えに戸惑った。
それは問いに対する答えに困ったからではない。今、自分がやっている事が正しいのか不安だったからだ。
彼が今いるのは空南の首都―晴嵐にある一番大きな屋敷。
金銀をあしらった部屋の造りは絢爛豪華で、生まれも育ちも平民である柑都には居心地良くない場所だ。
今、空南の親任官は空席で、この屋敷は本来であれば親任官が住まう場所であり、柑都の目の前にある煌びやかな椅子も親任官のために用意されたもの。だから本来ならそこに座る者はいないはずなのだが、その席は埋まっている。
親任官という名に相応しく金で彩られた煌びやかな椅子には、これまた煌びやかな服に身を包む中年男がさも当たり前のように腰かけている。
ここ数年、親任官の席は蓮季の私物と化していた。
「どうした答えてみよ。」
威圧的な声がのし掛かり、柑都はビクリと身が震える。どうしてこうも、人を蔑むことができるのかと、柑都には蓮季の性格を理解できなかった。
答えても黙っていても、どうせ機嫌を損ねると分かっている柑都は、震える唇を引き結び、グッと力を込めて震えを無理矢理止める。
「それが…羅芯に行かせた使者は追い返されたようでして…」
その答えは蓮季を不機嫌にするのに十分で、眉間にシワを寄せて機嫌の悪さを露にする。
「誰を行かせた?」
「太泉です。」
「あいつでは無理だろう。お前はそんなことも分からないのか?」
「申し訳ございません。」
柑都は慌てて平伏すると、大きなため息が降りかかった。そのため息に思うところは多々あるが、柑都にそれを言うだけの度胸はなく、蓮季の小言を待つしかできない。
「あんな焼豚のような男に訴えかけさせて、誰が飢えていると思うんだ。」
そんなことは柑都にだって分かっていた。だが羅芯の王に会わせても問題ない役職で、口が達者な者はあれしかいなかったのだ。
「たかが小娘ごときに、役職だの雄弁だのは不要だ。」
「で、では…どうすれば良かったのでしょうか?」
へりくだって上目遣いに尋ねれば、蓮季はニヤリと笑った。
反対に柑都は自分の気持ちが沈んでいくのを感じた。それでも反抗しないのは、数十年かけてやっと奏任官という役職をもらったからだった。
「そんなことも分からないのか?」
「申し訳ございません。」
蓮季は無遠慮に柑都の自尊心を傷つけていく。
「冷酷な王と言えども、年頃の女であることには変わりない。少し顔の良い若い男に、褒めそやされれば言うことを聞かせるなんて簡単なことだ。」
“そうだろうか?”
そんな疑問をうっかり口にした日には、この空南で生きていくのは難しくなるだろうと、柑都は口を手で塞ぐ。
蓮季に逆らえば明日はないのだ。
陰湿な虐めに、責任を擦り付けられ、責任感の強いものなどあっという間に精神をやられて心が壊される。
柑都はそんな官吏たちを何人も見てきた。だから蓮季が何を言えば喜ぶのかも熟知しているつもりだ。
「さすが蓮季様です。それに引き換え私は何と愚かなのでしょうか…」
「まぁ、良いさ。恐らくは使者とのやり取りをきっかけに、羅芯の王だって一応は空南の事を調べるはずだ。そうすれば何かの動きはあるだろう。」
蓮季の言葉に頭を床に、押し付けるようにして柑都は平伏する。蓮季のこういう先を読む力は素晴らしいと、柑都は素直にそう思う。
ならばなぜ、空南のこの飢饉に備えられなかったのか?
それだけは疑問でしかない。国のためにと身を粉にして働いていた蓮季は何処に行ってしまったのか。
長く官吏として国に遣えてきた柑都は昔の蓮季を知っている。だからこそ疑問で仕方ないのだ。
「では、引き続き羅芯の王の動向を見張り報告せよ。それくらいなら、お前にもできるだろ?」
「御意。」
柑都は余計なことは言わずに礼をして、その場を辞した。
屋敷を出ると、冷たい冬季の風が柑都の顔に突き刺さる。冬季の終わりは近いはずだが、時折まだ寒くなる。これがなくなれば農作物が育つ時期には入る。そうすれば、多少なりとも飢えを凌げるはずだ。
「黎夕様がもう少ししっかりしてくだされば…」
ぽろっと溢れた言葉が、声に出てしまっていたことに気づいて、慌てて口を塞ぐが、幸い周りには誰もいなかった。
安堵のため息と共に、白くなった自分の息を見送る。
空南の王である黎夕は、今日の事はおろか、使者が羅芯に行ったことすら知らない。あれは全て蓮季の独断で行ったことだ。
蓮季は空南の王が代わってから、人が変わった。王に忠信であったはずの蓮季はもういない。
民を疎かにして私利私欲のために動き、部下たちには冷たく当たる。彼にどんな心境の変化があったのか。それは柑都には分からなかった。
「空南はどうなってしまうのか…」
溢れるため息はやはり白くなって風に飛ばされる。
柑都はこれからのことを考えると億劫になり、馬車に乗るまでに何度も深いため息を溢した。