第13章 怒りと哀愁
更新:2021.10.20
隆盛が城を空けて十数日が経とうとしていた。綾の部屋から出ず、雪は窓の外を眺めてばかり。暖かい日差しに照らされた顔色はあまりよくない。頬も少し痩けてしまって、病的にすら見える程だった。
「…隆盛は?」
「まだ、帰っておりません。」
「…そう。李珀も?」
「ええ。」
「心配ね。」
本当に心配しているのか分からないような感情のない声で言う雪に、綾は心配そうな顔を向ける。だが、雪の視線は彼女に合わない。どこを見ているのか分からない雪はまるで脱け殻のようだった。
「雪。私はあなたも心配なんですよ。あまり思い詰めないでください。」
綾はそう言って感情のない雪を抱き締めてから、部屋を出ていった。
窓の外に再び視線を戻す雪は、青々とした新緑を生のない瞳で眺める。
コンコン
どのくらい経ったのか、窓から差し込んでいた日差しが天に上った頃、扉が叩かれて雪はゆっくりとそちらを見る。綾なら返事をしなくても勝手に入ってくるが、部屋に入ってくる様子はない。
「…誰?」
「…。」
返事がない。扉を開ける気力も人と会う気持ちもなく、雪は窓に視線を戻そうとして続いて鳴った扉の音に動きを止めた。
コンコンコンコン
何も感じていなかった心に火が点る。それは小さくてもメラメラと燃え上がり彼女の心を燃やしていく。
ゆっくりと立ち上がって、扉の前に行く。小刀が欲しいと思ったが、自傷してはいけないと綾に取り上げられてしまっていたので、何も持たずに雪は扉をゆっくりと開けた。そして見上げて映った人物を睨み付けた。
「こんにちは、雪様。」
「遠文…。」
「おや、どうされましたか?」
何事もない様子で微笑む遠文。今はその顔がとても憎く感じる。怒りが込み上げる。
「お連れの方は無事に見つかったようですね。」
「お前がッ!」
「やはり、お気づきのようですね。」
遠文の細めた目は冷徹で、いつもの優しい雰囲気が一瞬で消えた。
トンッ
首に衝撃があり雪の意識が遠退く。
崩れ落ちる雪を俊燕が抱き止めて、彼女を軽々と背負って遠文と共に部屋を出ていった。
雪が目を覚ますとそこは見たことのない部屋だった。壁の作りからして、城内で雪が知らない場所。冷たい石造りの壁は、どんな音も外に漏らさないように作られているようだった。部屋には調度品などがなく、鎖や刃物などが壁にかけられている。
そんな冷たい部屋の真ん中、雪は椅子に縛り付けられて身動きが取れない状態だった。
「ここは……拷問部屋?」
「さすが雪様。正解ですよ。」
ちょうどよく部屋に入ってきたのは、遠文と背の高い黒衣を纏った隠密だった。
「どうするつもりですか?」
「貴女様には、隆盛を殺すための人質になってもらおうかと思いまして。あっ、雪様があの男を手にかけますか?」
「何を馬鹿なことを言って…」
「いえ、翠を殺されて怒っていると伺ったものですから。あんな奴隷、いくらでも代わりがおりますのに…雪様は変わっておいでだ。」
ギリッと歯を喰い縛り睨み付けると、恐い恐いとおどけて見せる遠文。そこに独特な拍子の音が響いた。
「どうした?」
遠文の声に現れたのは小柄な黒衣姿の隠密。遠文の後ろで膝をつき、手簡を差し出す。それを遠文は受け取り、壁にかけられた明かりの前に移動した。そして、それを読んだ遠文はクスリと笑った。
「どうやら、その手間もなくなったようだ。」
「…どういう」
「隆盛は、槍郡で崩御されたようだ。」
「えっ?」
「あやつがどこに行ったか、ご存じなかったのですかな?」
「…。」
「…槍郡ですよ。」
知っていたが答えなかった雪を見て、遠文は雪が知らないと勘違いしたのか、楽しそうな笑みを見せながら答える。
「あそこには、私の奴隷小屋があるのです。」
「奴隷小屋…奏任官の恵淑…」
雪は槍郡でのことを思い出し、自分が気になったあの屋敷のことだろうと思う。あの時、雪はあの屋敷が気になって、茶屋の店主と色々と話をしたが核心を得る程の情報を掴むことは出来なかった。子供である雪の集められる情報には限りがあるのだ。だから、少ない情報から後は推測するしかない。推測の中にはその可能性も含まれてはいたが確証はなかった。
でも今、遠文の言葉で雪の中で全てが繋がったのだ。ただ気づくのが遅すぎた。悔やんでももう後の祭りだ。
「おやおや、そこまでご存じでしたか。やはり、貴女をとらえて正解でした。この方が後で処分しやすいですからね。」
「隆盛はそこで何を?」
「さぁ、理由は知りません。ですが、そこで返り討ちにあい、命を落としたようですね。…なんと、呆気ない。」
遠文はやっと念願が叶ったと、喜びに満ちた笑顔を見せる。
「やっと…やっと、私の時代が訪れる。この日をどれ程、待ち望んだか。」
「お前みたいな奴が王だって?ふざけないで!」
「おやおや、可愛げのないことで…可愛げがあれば長生き出来たかもしれませんのに。」
「あなたみたいな人が、私のような不得策な要素を残すとは思えない。」
「確かに。」
そう言って笑う遠文は、狂っているようにしか見えない。
「では、さっさと現世から退場願いましょうかね。」
そう言うと手を上げ、自分の隠密に目の前の少女を殺すように指令を出す。背の高い男がこちらに小刀を向けた。それは、雪の首を捉えるように高さを合わせると、こちらに向かって駆けてくる。
ダンッ!
扉が勢いよく開かれ、雪に向けられた刃はギリギリで止められた。
「なっ!?き、貴様…な、何故だっ!?」
遠文の声に雪も閉じていた目を開く。そして、そこに映った人物を見て目を見張った。
「し、死んだはずではないのかッ!?」
「はっ!お前がそんな罠にかかるとはな。…俺の死を伝えられ勝利を確信したか?」
全くつまらないと、遠文を小馬鹿にして呆れた顔を向けるのは、羅芯の王である隆盛本人だった。
雪は訳が分からず、混乱してしまい目を白黒させた。雪には様子をただ見守ることしかできない。
「お前の負けだ。遠文。」
「ふ、ふざけるな!…私が、負けただと?」
隆盛と兵たちが部屋に入る中、遠文は追い詰められたのか狂ったように笑い出した。
「俊燕!」
遠文が叫ぶと、俊燕はネジを巻かれた人形のように再び動き出し、雪の首元に刃を突きつける。少しでも動けば喉が切られる位置に構えられた刃に、雪は思わず息を飲む。
「さぁ、どうする?隆盛。お前の大事な跡継ぎが死ぬかもしれんのだぞ。」
「…チッ、幼気な子供を殺して楽しいか?悪趣味だな。」
「私に挑発など効かんぞ。」
「だろうな…。」
「…良いじゃない、殺せば。」
声に驚いた顔をするのは遠文。そして、分かっていたという呆れた顔をするのは隆盛だった。
あまりに対極な顔をするので雪は苦笑した。そして、そのまま隆盛に向けて言葉を続ける。
「どうせ私も使い捨てでしょ?不要になれば捨てられるのが運命なら受け入れるよ。」
「クク…アーッハッハ!!この少女はお前の本質を見抜いてるようだな。」
「ハァ…雪…お前、まだ翠のことを根に持ってるのか。」
「まだって…人の命をなんだと」
「興味深い話だが、そろそろ内輪揉めは終わりにしてもらおうかね。」
「どうぞお好きに。」
雪の言葉に隆盛は怒ったように見えた。
「ふざけるなッ!」
雪がビクリと身を震わせ、隆盛を見れば怒りに青筋を浮き立たせていた。これには遠文も驚いた様子で隆盛の方を見ていたが、すぐに楽しそうな笑みを浮かべる。
「命を粗末にするな!」
「だったら…」
雪の声が止まったのは突きつけられている刀に恐怖したからではない、怒りに身体が震えて声が出なかったのだ。
「翠を返して!!彼の命だって粗末にして良いものじゃない!!」
「…」
答えられなくなる隆盛に、遠文の声が楽しそうに部屋へ響く。
「話は終わったかのぉ。では、別れの時じゃな。」
楽しそうに笑って遠文が手を上げる。それを合図に、雪に突きつけられた刃が首元を一閃しようと俊燕が小刀を握る手に力を込める。瞬間的に雪はキュッと目を瞑った。殺して欲しいと言っても身体は恐怖に震えるし、心臓は最後だからと勢いよく動くのだ。
最期に思い浮かぶのは自分が死ぬ前だと言うのに、雪を心配した翠の顔だった。
「ごめんね…翠。」
最期に耳に届いたのは自分の首が切られる音……ではなかった。
代わりに聞こえたのは金属のぶつかり合う音。目を閉じていたので、何が起きたのか雪には分からなかった。小刀で刺されたわけでもなければ、痛みもなかった。
雪はゆっくりと目を開く。
そこに映ったのは背の低い隠密が、自分を庇って俊燕と対峙する姿だった。手には小刀を構えて、相手の刃をいなす。
「貴様…何を…!?」
そう怒声を上げるのは遠文で、怒鳴り付ける相手はどこから見ても彼の奴隷だった。それが言うことを聞かず、あまつさえ一番の楽しみを奪ったのだ。雪が死んで嘆く隆盛をこの目で見られると思っていた遠文は、怒りと焦りが混ざり合った顔を見せる。
「悪いが、俺の主はもうお前じゃない。」
遠文と同じように事情を読み込めない雪の耳に、聞き覚えのある声が届く。それは雪がもう聞けないと思っていた声。
雪の瞳からは涙が溢れていた。
雪の前で遠文と対する少年は、顔を隠していた頭巾を取る。
「…っ!」
手を口に当てて嗚咽を堪える雪はその場に崩れ落ちた。雪の方に視線だけを送って彼女の無事を確認した翠は、なんだか申し訳なさそうな何とも言えない顔をしている。
「な、なぜだ?お前は死んだはず…」
遠文の声に翠は彼の方に向き直った。
「二度目…」
「な、何だと?」
「その言葉、二度目。芸がない。」
言いつけを守らず言葉を発した翠は、清々した顔をしている。
突然のどんでん返しに、動けないでいた遠文を兵士達が取り囲んだ。後方で様子を見ていた綾が兵士達に命ずる。
「この者たちを捕らえろ!罪状は王への反逆だ。」
「はっ!」
威勢の良い返事と共に遠文と俊燕に剣を向ける兵士達。遠文はなす統べなく、力なくその場に項垂れた。その様子に兵士たちの緊張が一瞬緩んだ。
その一瞬を見逃さず、遠文は窓側にいた兵士に向けて手を差し出す。それが合図なのだろう、俊燕は手にした小刀でその兵士を切る。それは目にも止まらない早さで、一瞬にして数名の兵士の命を奪った。そして遠文を庇うように後退する俊燕。だがそこへ容赦なく兵士の放った矢が飛ぶ。多方から迫りくる矢を躱しきれるはずもなく、数本の矢が俊燕に刺さった。
必死に遠文を守ったと言うのに、その守られた遠文はそんな事など全く気にも止めず、自分だけ窓まで駆けると窓枠に足をかけた体勢でこちらを振り向いた。どこにそんな体力があるのか、手にした剣で矢を切り落としている。そしてその顔は狂喜な笑みを見せているのだ。
「油断したようじゃな、隆盛。必ずやこの屈辱を果たして見せるぞ!」
「…それは、困りますね。」
後ろからかかる声に、遠文は背筋を凍らせた。いつの間にか人の気配が生まれ、気付けば後ろに黒衣を纏った青年が微笑んでいた。
闇夜に溶け込むような黒い瞳が細められている。黒衣から覗く髪は隠密としては不釣りあいな銀糸だった。
彼は流れるような動きで、遠文の首元に一本の針を刺す。それは一瞬の出来事で誰も止められなかった。
「な、何を…ゴボッ」
遠文は咳とともに血が吐き出す。息が苦しく、踠くように首元をかくが、苦しみは消えない。
だが、それも長くは続かなかった。
急に苦しみも痛みも消え、遠文は力を失いその場に倒れた。口からは大量の血が溢れて、泡まで吹いている。
あっという間だった。人が死ぬなんてなんと容易く呆気ないことなのだろうかと、動かなくなった死体を雪はなんとも言えない不安定な感情で見ている。
「殺したのか。」
手を合わせていた李珀に、隆盛が咎めるような声で言う。命令を無視しての行動だったのだろう。隆盛の言葉に、李珀は窓から部屋の中に入ると膝をつき頭を垂れる。
「何故だ。私は捕らえよと…」
「ご無礼を承知で申し上げます。謀反は死罪です。それに問題がございましたか?」
「お前…怒っているのか?」
言われた李珀は言葉で返さずに、隆盛を見る。その瞳は怒りを露にしていた。そしてそれは哀れむような悲しみを含む感情へと変わり、視線を俊燕へと移す。矢が刺さり倒れ込んでいた彼は、もう息を引き取っていた。
翠が、寂しそうな悲しそうなそんな表情をして彼を見ている。屈んで彼の目に手を当てると、翠は光を失くした目をそっと閉じた。
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