第3章 翠と私
更新:2021.10.20
それから数日、隆盛は忙しくしており、雪は客間の方で翠に字を教えたり本を読んだりして過ごしていた。その日も朝からずっと教えていたので、雪は何だかそれも飽きてきてしまっていた。欠伸を噛み殺しながらも、何とか翠に文字を教えるがその目はうとうととして、気を抜けば目蓋が落ちそうになった。
これは無理だと雪は眠気を覚ますために、答えてもらえないと分かりつつも翠に話しかけた。
「ねえ、翠はどこの国出身なの?」
「…。」
「東刃にいたから、東刃かな。じゃあ、街の名前は?」
「…。」
翠が首を左右に振った。
「分からないってこと?」
さらに翠が左右に首を振って否定する。分からない訳じゃないってことかな。と、雪は推測して言葉を続けた。
「今度、地図を持ってくるわ。そうすれば分かるんじゃないかしら。」
頷く翠に雪は質問を続ける。それは端から見れば尋問のようにも見える程に一方的だった。当の本人は翠のことが知りたいのと、眠気覚ましのためにと必死で気付いていなかったが…
「…そういえば、翠って歳はいくつ?」
「…。」
指で教えてもらえるかと思い、雪は質問の方向を変えてみる。
「私は十になるの。」
「……。」
自分の歳を指で表して見るが、翠は答えてくれない。自分の歳が分からないと言うことだろうか?
「同じくらいかしらね。でも、私の方がお姉さんな気もするなぁ…。翠は弟みたいな感じがするのよ。」
「…」
「翠はどう思」
「ああもうっ!しゃべらないようにしてるのに、何で質問攻めにするんだよっ!普通、察するだろ!?」
突然の怒った声に雪は驚いて声の主、つまり、翠へと目を向ける。視線が合うと、翠はハッとなったように、ばつの悪そうな顔をした。
「翠…」
「…な、なんだよ。」
「あなた…しゃべれたのね!」
「…声を出すつもりはなかったんだけど、お前がしつこく質問してくるから。」
「それは、ごめんなさい。あまりにも眠くて」
笑って恥ずかしそうに後ろ頭をかく雪に、翠は呆れたようなため息を落とした。
「でも、しゃべれたなら良かったわ。実はあまりにも口を開かないから、声を出せない病気かと思っていたのよ。」
「なんだよそれ。」
「なんだよって…心配してたんじゃない。」
むぅ。と口を尖らせて怒る雪を見て翠はコロコロと感情が変わる奴だなと、自分とのあまりの違いに呆れていた。
「心配?あって数日しか経ってない奴を?」
「日数なんて関係ないわ。私は翠が危うくて心配だったのよ。」
「俺が?」
「そうよ。」
こんな奴に心配されたくないと思ったのか、翠は鼻で笑って雪を見下す。
「俺よりお前の方がよっぽど危なっかしいだろ。感情をそんなにコロコロと表に出して、あまりにも人間を信用しすぎてる。…お前、いつか人に騙されるぞ。」
「その時はその時よ。」
「そんなんで良いのか?自分が辛い思いをするかもしれないんだぞ?」
馬鹿なんじゃないかと言わんばかりの視線を寄越す翠に、雪は自信を持った瞳を向ける。
「自分が辛いだけなら別に我慢すれば良い。ただ…」
「ただ?」
「私を騙したからには、幸せになってもらわないと困るわね。」
「お前…」
翠はポカンと口を開けて、呆然と雪を見る。固まってしまった翠を雪が首をかしげて覗き込めば、翠は雪に向けて指を指した。
「お前、馬鹿だろう。」
「さすがに失礼ね。」
ムッと頬を膨らませる雪に、翠は変な奴だと思った。翠がそんなことを考えていると、雪が無垢そうな瞳でこちらを覗き込む。
「しゃべってはダメなの?」
「余計なことを口に出さないために、しゃべるなと教育を受けて来たんだよ。」
「誰に?」
「と…い、言えないッ。お前、俺をはめようとしてないか?隆盛に、俺から何か聞き出せとでも言われたか?」
「え?」
雪は翠に言われた事を理解できずに混乱した。そんな表情を翠は読み取ったのだろう。再びため息をついた。
「違うみたいだな。」
「う、うん。聞きたいことは、さっき質問したことくらいだよ?」
「ああ。」
答えてもらえるのかとじっと翠を見つめていると、彼は視線をそらせる。見られているのが恥ずかしかったのだろう。そんな彼は先程までの無表情を止めたようで、雪にでも彼の気持ちを読み取ることができた。
「…出身は北織だ。でも、売られて羅芯に来た。」
「売られて?あれ?東刃じゃなくて?」
「質問攻めだな。…はぁ…。」
まずかったかと雪は口をつぐんで様子を見る。すると、翠は顎に手を当てて悩み出した。やはり余計なことを聞いてしまったと、雪は謝ろうとして翠が先に口を開いた。
「…俺は奴隷だったんだ。」
「えっ?」
「北織で両親に売られた。」
私は言葉を失った。私は親と言うものの記憶がない。だからかもしれないが、私は親というものに理想や憧れを抱いていたのだ。どんな親も隆盛や綾さんみたいな優しい人で、子供の事を第一に考えてくれるものなのだろうと疑ってもいなかった。
「そんな顔すんなよ。別に俺は親を嫌いでも、憎んでる訳でもない。…仕方なかったんだ。うちは貧乏で、その日を生きていくのもやっとだったからな。」
「で、でもっ…」
「そんな親、いくらでもいるさ。海羅島は貧困層が多いんだ。普段なら何とか生きていけても、天災、流行り病、官吏や王の裁量によってすぐに生きるのも困難になる。ちなみに、俺の時は天災だったな。」
「北織の天災…。数年前に起きた嵐のこと?」
雪の言葉に翠は意外そうな顔をする。
「よく知ってるな。」
「隆盛から話を聞いたから。かなりの被害だったって…」
「そうだな。家は暴風に飛ばされて、糸を作るための原料も失った。国は金のある人から、助けるんだよ。」
「そんなっ…隆盛が政策を考えたって言ってたよ。」
「そんなもの、官吏の手で都合よく変えられたんだろ。隆盛だって、末端までは見ないだろ。」
雪は歯がゆく思った。いくら隆盛が身を粉にして政策を考えて、実行させようと動いても、どこかで変えられてしまうのかと。
「まっ、それで、売られた俺は羅芯に行ったんだ。」
「でも東刃にいたのよね?」
「あ、ああ。…用事があったんだよ。」
「そうだったの。」
話を逸らすように翠が今度は質問をする。
「お前こそ、隆盛は親じゃないんだろう?」
「ええ、私も奴隷だったの。」
へぇ…と、意外そうな少し驚いた顔をする。
「でも、お前と隆盛は本当の親子みたいだよな。」
「えへへ。」
「何で照れるんだよ。」
「嬉しくて。」
親の記憶がない雪には、隆盛が本当の親のようだった。だから親子のようだと言われて、雪は何だか嬉しかった。
「あっ、それと年齢!年下にしようとしてるようだけど、同じくらいだろ。確かに年齢は覚えていないけど、お前より下は何か嫌だ。」
「なによそれ。」
雪は少し不満だったけど、譲りそうもないので諦めることにした。双子の姉弟なら良いでしょ。と、心の中だけで思う。
「仕方ないわね。じゃあ、同じってことにしましょう。」
「お前、姉と弟の双子とか考えただろ?」
「えっ!う、ううん、そんなことないよ。」
疑いの目を向けられて、雪はたじろぐ。
“何故?心を読めるのだろうか?”
そんな風に雪が慌てていると、翠は呆れたように笑った。
翠を感情のない人形のようだと思っていたので、その笑顔に何だか雪は安心した。
でも、次の瞬間には笑顔が消え無表情に戻る。
「…誰か来る。」
「え?」
「この事は内緒にしろよ。」
「この事?」
「ああ。俺がこうやって話すことをだ。」
「わ、分かった。」
雪が頷いてすぐに扉が叩かれる。それに返事をすれば隆盛が入って来た。
「り、隆盛。仕事終わったの?」
「一応な。雪たちはどうだ?」
「え?」
「字を教えていたのだろう?」
「う、うん。順調よ。翠は覚えるのが早いから。ねっ。」
声をかけても翠は無反応。先程と違い過ぎて、何だか不思議な気持ちになる。
「そうか。だけど、あまり根を詰めすぎるのも良くないから、ほどほどにな。…そうだ、休憩がてらに使いを頼まれてはくれないだろうか?」
「お使い?」
「ああ。城下の柱谷にいる、み…」
「珉玉の所!?」
雪が興奮して大きな声を出すので、隆盛は少し押され気味になる。
「あ、ああ、これを渡してきて欲しいんだ。頼めるか?」
「もちろん!」
雪は笑顔で返事をすると、隆盛から手紙を一通預かった。
「翠も雪と一緒に行って欲しい。」
隆盛の言葉に翠も頷いた。
「城下に降りてすぐの場所だ。」
「分かってるわ。何度も行っているから。」
「そうだったな。」
「あそこなら、今から行けば、お話ししたって、日が暮れる頃には戻れるよ。」
雪の言葉にも頷いて答える翠。
「じゃあ、行きましょ。」
「慌てるなよ。転ぶぞ。」
「子どもじゃないんだから、転ばないよ。」
隆盛に言われて反論してからそちらに目を向けようとして、先に翠が目に入った。
「…ちょっと翠。何か言いたげね。」
嘘をつくなというような顔を翠がするので、雪は腰に手を当てて翠の顔を覗き込むようにジト目で見れば、彼は左右に首を振って否定する。
不思議なことにこちらが演技だと分かったら、翠の表情を読むことが難しくなくなっていた。
「近いとは言え、気をつけるんだぞ。」
「はーい。行ってきまーす。」
隆盛に見送られて、雪たちは羅芯の街―柱谷へと出発した。
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