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第14章 糾弾と悔恨

「それと…」


 頭を下げた玉廉がゆっくりと視線を雪華に向けられる。


「柑都と石楠はどうしている?」

「ご存じでしたか。」


 玉廉の顔には驚きの色が見え、高秦は「なんのことだ?」と葉蘭に視線を向けるが、彼女も知らないことだったのか首をかしげている。


「どちらも玉廉が送っていた間者だ。柑都には蓮季の偵察を、石楠には晴嵐の情報収集を、と言ったところか?」

「まったくその通りにございます。」

「柑都の容態は?」

「石楠の適切な処置で大事には至らず、しばらくは安静にさせておりましたが、今はもう復帰しております。」

「…石楠もいるのか?」


 歯切れの悪い言い方になってしまい、雪華は口元を片手で隠した。


「はい。…あの、呼んで参りますか?」

「ああ、そうしてくれ。」


 雪華が頷くのを確認してから、玉廉は控えていた使用人を呼びつけ二人を呼んでくるように指示を出した。



 それから少しして、柑都と石楠は慌てた様子で部屋にやってきた。


「お待たせして申し訳ございません!」


 部屋に入るなり平伏する柑都は慌てた声で謝罪した。石楠も柑都に倣って隣で平伏する。

 二人とも息はあがり、床には額から垂れる汗が落ちた。かなり急がせてしまったと、雪華は心の中だけで詫びた。


「雪華様がお前たちのことを、気にかけてくださったのです。」


 雪華が面を上げることを許すと、二人がゆっくりと顔を上げた。その顔には戸惑いの色が見え、どうしたら良いかと悩んでいるようだった。


「今日は二人に話もあって呼んでもらった。まずは柑都。体調はどうた?」

「き、気にかけてくださり恭悦至極に存じます。すでに毒も抜け、支障はございません。」

「そうか。」


 雪華の微笑みは柑都と石楠を魅了する。だが、それは同時に畏怖すら覚える感覚に、二人はビクリと体に緊張が走った様子だった。


「お、お話というのは…」


 切り出したのは柑都で、石楠は隣で不安そうに佇むだけ。


「ああ、今回のことで柑都には助けられた。」

「と、とんでもございません。ご無礼の数々、謝罪しても足りないものでございます。どのような処罰もお受けするつもりです。」

「あなた…」


 床に膝をつき頭を下げる柑都の肩を、石楠の手が優しく添えられる。


「いや、お前を責めに来たのではない。よくぞ蓮季の元で腐らず働いてくれた。お前の計らいで、助かった命は多いと聞いている。」

「い、いいえ、飢饉で死んだ人間を考えればわずかでしかありません。」

「それでも民の命だ。一つでも多く救えたことを誇りに思え。」


 雪華の言葉に柑都は涙を流す。


「だが…」


 感動はここまでと、一気に温度の下がるような冷たい音。

 柑都は驚き、無作法にも雪華の顔を見上げてしまった。

 そして、息が止まる。見なければ良かったと思う程に、雪華の表情は凍てついた鋭い氷柱のように鋭い瞳をしていたからだ。

 幸いなのは、それが自分に向けられたものではなかったということ。

 なら誰に?と、考えて柑都は視線の先を見て固まる。


「石楠?」


 声が出てしまったのは、彼女が酷く狼狽していたから。顔色は真っ青になり、添えられた手は震えている。

 石楠は柑都の声が聞こえなかったのか、こちらを見ることなく雪華から視線を外さない。外せない、というのが正しいかと思いつつ、柑都は少しだけ落ち着きを取り戻した。


「雪華様。石楠がなにか…」


 しましたでしょうか?という柑都の言葉は、その場から逃げ出そうとした石楠本人によって遮られた。


「ギャっ!」


 声にならない悲鳴に振り返れば、石楠は地面を這いつくばるような格好で取り押さえられている。取り押さえているのは少年で、柑都はその姿に見覚えがあった。

 確か、翠と呼ばれていた少年で、お忍びで来ていた雪華と一緒にいたことを思い出した。


「こ、これは…いったい…」

「やはり、知らなかったようだな。」


 気のせいだろうか。雪華が少し安堵したように柑都には見えた。


「離せっ!!」


 鬼気迫る声で叫ぶ石楠に、柑都はどうしたら良いのか分からなくなり、雪華に平伏した。


「こ、これはどういうことなのでしょうか?」

「彼女には晴嵐の民を殺した罪がある。」

「は?」


 思わず顔を上げて、雪華を見る顔は何とも情けないものだった。ゆっくりと石楠を振り返るが、ぽかんと開いた口は塞がらず、訳が分からないという顔をしていた。


「しゃ…くな?」

「いつもそう。もう、うんざりよ。」


 石楠は押さえ付けられつつも、柑都を睨み付ける。

 いつも柑都を癒してくれる優しい微笑みはなく、汚物でも見るような醜い顔が彼を見ている。

 これは誰か?と、柑都は戸惑いを隠せずにいると、石楠が鼻で笑った。


「いつもそう。その平和呆けした顔が苛つくのよ。」

「え?」

「どんなときもへらへらと笑って…」


 そこまで言うと石楠は顔を反らせた。


理咲(りさく)が死んだ時もそう…」


その 言葉に目を見開いたのは柑都と玉廉だった。


「お前、まだあの時のこと」

「忘れられる筈ないわ!自分の子なのよ!ああも無惨に殺されて!!何も思わないの!?」

「わ、私だって悲しかった。」

「かった?ふざけないで!!」


 容赦ない罵声を浴びせる石楠は、押さえ付けられていることも忘れて、床に着いた手に力を込める。


「私は今でも悲しいわ!忘れたことなんて一度もない!!」

「私だって…」

「悲しい?本当に?息子を殺した元凶の蓮季と一緒にいたくせに。私だったらアイツを殺してるわ!この意気地無し!」


 これ以上はと、雪華が視線を送れば、翠が石楠を押さえ付けた。それでも尚、彼女の罵りは止まらない。


「本当に理咲を愛していたのかしら?自分の子じゃないとでも思っていたんじゃ…」

「そんなはずないだろ!!」


 部屋中に響いたのは初めて聞く夫の怒鳴り声。

初めてだ。と、石楠は思う。

 こんなに感情を露にして、怒鳴られた事はなかった。いつでも穏やかで彼女の意見に流される。それが夫である柑都だと思っていた。

 だから彼女は突然のことに驚いて、汚れきった口を閉ざした。


「理咲を愛していない?自分の子じゃないと思ってる?ふざけるなっ!世界で一番大事だった我が子を、そんな風に思っている筈がないだろ!」


 静かになった妻を見て、柑都は冷静さを取り戻した。

 こんなに怒鳴ったのはいつぶりだろうか。と、慣れないことをして息苦しかった。


「……理咲を忘れられないからこそ、私は長い年月をかけてここまでやって来たんだ。」

「…へ?」


 ぽかんと間の抜けた顔をする石楠を見て、柑都はやはり夫婦だなと少しだけ口許が綻んだ。


「蓮季やその配下で、税金を散財する奴らを処罰するために、動いてきたんだ。公私混同と言われてもおかしくないことをやって来た。」

「嘘よ!あなたにそんなことできるはずない!」

「そうだろうか?」


 声を挟んだのは雪華で、石楠がキッと睨み付けてくるのを全く気にせずに彼女は続けた。


「蓮季の行動に口出しできる程に官吏の階級を上げ、そそっかしい人だと周りに思わせながらも、蓮季の信頼を得るように図っていた。これ程までに長い年月をかけて、だが確実に標的を仕留める方法をやり遂げるには、相当の忍耐力が必要だろうな。」

「だから、無理だって言って」

「息子を殺された怒りをこの日まで忘れられなかったからこそ、達成できた。そう思わないか?」

「…」

「ならもう一つ。私のもとへ空南の使者を向かわせたのは蓮季だな?」

「は、はい。左様にございます。あの時は大変失礼を致しました。」


 突然振られた言葉にも、丁寧に対応する柑都は床に額をつけて謝罪する。


「それはもうよい。私が聞きたいのは、その人選をお前がしたかどうかだ。」

「はい、私が選ばせていただきました。」

「何故だ?申してみよ。」


 柑都が息を飲む。額からは冷や汗が流れ、手でそれを拭うが止まることはなく顎に伝った汗が床を叩いた。


「なに、今更罰したりなどせんよ。」

「…で、では、恐れながら…あの肉付きの良い使者を送り、不作での貧困を訴えれば、矛盾を感じて動いてくださる。そう思い、派遣致しました。空南の王、黎夕様では蓮季に勝てない。そう判断しての事です。」

「私はまんまと、お前の策にはまったと言うわけだ。」


 楽しそうに笑う雪華は柑都には恐ろしくて、床に着いた手が震えるのを堪えられなかった。


「と、言う訳だが…石楠。それでもお前の夫は無能だと言うのか?」


 他にも柑都が策を練ったことはいくつもあった。

 初めて蓮季にあった際に、遅刻をさせたのも柑都の仕業だろう。他にも、親任官の屋敷に翠と行った際もだ。

 本来なら柑都がすぐ出て対応するのを、わざと行かず蓮季に対応させた。おそらく雪が羅芯の間者だと気付かれていたのだろう。

 他にも挙げればキリがない程に、柑都は亡き息子の仇をとるために動いていた。


「そんな…なら、私のしたことって…」

「ただの逆恨みだ。」


 やっと気付いたようにハッと顔を上げる石楠の表情には、先程までの醜さはなくなっていた。どうしようもない後悔の念に心が潰されそうになっているのだろう。雪華は見ていて痛々しく感じた。


「民はああするしかなかった。それに、お前たちの子どもが死んだのは事故だった。そうではないか?」


 問いかけて頷いたのは柑都だった。


「私も初めは復讐してやろうと、晴嵐の民を恨んでおりました。だから一度訪れたのです。そして、その時のことを聞きました。答えによってはその場で殺してやろうと思っておりましたが…」


 柑都は一度口を閉ざした。床を見たまま、その当時を思い出したのか、手をグッと握り締める。


「皆、泣いて謝り、出頭すると言ったのです。…ただ、その前に蓮季を何とかしたいとも言われました。このまま出頭したら家族が心配だからと。」

「……そんな」


 石楠から漏れた言葉はそれだけだった。




 その後、彼女は連行されて、残されたのは雪華と柑都、玉廉、高秦、葉蘭、それに翠だった。

気まずい空気に誰も口を開こうとしない中で、その空気を破ったのは柑都だった。


「雪華様、発言のお許しを頂けますか?」

「ああ、構わない。」

「ありがとうございます。」


 きちんと礼をしてから、柑都は続ける。


「石楠は極刑なのでしょうか?」

「…ああ、ほ」

「でしたら私めを処刑してください!石楠のやったことが許されるとは思っておりません!ですが、責任は全て夫である私にございます!家族として息子を助けられなかった不甲斐ない夫ですが、もう家族を失いたくありません。」

「家族思いなのはよく分かった。」


 雪華の言葉に柑都の表情はわずかだが明るくなる。


「だが…それは出来ない。」

「そんな…」

「話しは最後まで聞け。本来なら極刑になっていただろう。だが、今回の件については、彼女もまた飢饉による被害者だ。だからおそらくは極刑にならないだろう。

だが…

人を殺した罪は重い。」

「…はい。」


 柑都は深く頷く。


「だから時間はかかるだろうな。」

「はい…」

「それまでにこの国を良くして、二度とこんなことが起こらないように体制を立て直せ。そして、彼女が戻ってきた時に、向かえてやれば良いのではないか?それが今のお前に出来る最善だと私は思う。」


 雪華の言葉を受けて、柑都は一筋の涙を流して礼をとった。




「高秦。葉蘭。」

「は、はい!」二人が同時に返事をして、バッと立ち上がった。

「そなたたちにも感謝している。空南を助けてくれたこと、礼を言う。」

「そ、そんな…」

「俺達は出来ることをしただけだ。」


 礼を言われてむず痒そうにする高秦に雪は内心微笑む。


「これからも国を良くするため、協力頼むぞ。」


 雪華が言えば、二人ともが嬉しそうに元気な返事をしたのだった。


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