第9章 決行と思惑
更新:2022.10.19
作戦決行当日。蓮季の屋敷から少しだけ離れた場所にある一軒の家。まだ陽も昇らない薄暗い中、窓には明かりが灯っている。紐を油に浸し、油の染みた紐に火を付けているだけの小さな明かりは、薄暗く部屋を照らしていた。
見える人の姿は数十を超えている。本来は街の集会所として使われている家なのだろう。普通の平屋にしてはかなりの広さがあった。
「作戦通りに。あとは任せるよ。」
「ああ。」
高秦に雪はそう言って、数人だけ連れて家を出る。少数で屋敷の蔵を目指し、残っている木材を手に入れる手筈だ。
家に残っている者達は、雪達が見つかって騒ぎになったら出て行き、屋敷を破壊して燃やせそうなものを奪うのと、屋敷の兵を混乱させる役目を担う。
もし雪達が見つかることなく木材を手に入れたら、彼らが動いて燃やせそうなものや冬果を奪う手筈になっている。
ここにはいないが晴嵐の女性たちが、各食糧蔵をまわって、残されている食料を集めている。食糧蔵の番をしている者たちは、官職の人間ではない。そのため彼らの家族もまた貧困に喘いでいるはずなのだ。だから、今回の作戦を聞けば食糧蔵を開けるだろう。
「こっち。」
雪が数人を先導して見張りのいない入り口から、屋敷内へと侵入する。
人の気配を探りながら、気配のない方へと進む。
「こんなに誰もいないものなの?」
問いかけてきたのは、この中で一番若い女で名を春鈴と言った。
「おかしい…」
いく らなんでも見張りが少な過ぎる。
雪がそう思うのも当たり前だった。なぜなら門はおろか、蔵に続く廊下にすら見張りの兵士がいなかった。
不気味な程に静まり返った屋敷は、罠ではないかと皆を不安させる。
「やっぱり引き返した方が…」
不安な気持ちを代表して春鈴が言葉にした。
だけど、雪は頭を左右に振る。
「大丈夫。」
雪には確信があった。ただそれは同時に自分の予想が当たっている事と同義で、複雑な気持ちにもなる。
「大丈夫って…本当に?」
「ええ。」
雪が自信を持って頷けば、他の者たちはホッと息をつく。
それに何かあれば、どこかで様子を見ている翠が来てくれるし、他にも控えさせている隠密が数人はいる。ここにいる民くらいなら問題なく守れる数だ。
「それで、蔵はど…」
どこにあるのか?と、聞こうとした春鈴の口元に雪は手を当てた。それを合図に全員が息を飲み、緊張が走る。
静まった廊下に響くのは一つの足音。
それは左に曲がった廊下の先から聞こえてきていた。規則的な足音は兵士の着る金属の混ざった独特の音と一緒に廊下に響いた。
逃げ道は来た道を戻るしかない。と、雪は考えてから苦く笑う。
こういう時は翠が何とかしてくれる。そう思ったから。
そして同時に、その後の春鈴達への言い訳をどうしようかと思案し始めて、扉が開く音にハッとなる。
「おや?」
男の声が聞こえ、足音が消えた。
「か、柑都様」
「君は…どうしてここに?」
「はっ、見回りでございます。」
敬礼でもしたのか足音ではない、ギシッと防具が動くときの音が響く。
「見回り?それはおかしいな。確か、蓮季様は全兵士に召集をかけていたはず。」
「えっ!?そ、そんな話聞いて…」
「なんでも急用が出来たようで、兵士をかき集めていましたよ。」
兵士の声に焦りの色が混ざるが、柑都は対照的でゆったりとした口調で話を進める。
「ば、場所は!?」
「確か裏門の方だったかなぁ…」
「あ、ありがとうございます!!」
兵士は礼を言って来た道を戻る。
遠ざかった足音に雪は安堵の息をついた。
だがまだ油断は出来ないと、残った柑都の気配を探れば足音が近づいてきていることに雪は気づいた。ゴクリと雪の喉が鳴る。
「大丈夫ですよ。」
「!?」
「そう警戒しないでください。」
構えれば柑都が角を曲がって顔を見せた。後ろ頭を掻きながら、少し困ったように笑う彼はひとりで、他には誰もいない。
聞かれても雪はすぐに答えられなかった。それは彼が蓮季側の人間だから。その蓮季はこの飢饉を招いた原因でもあるのだ。
すると、そんな雪の心を見透かしたように、柑都は苦く笑う。
「警戒されるのもしかたありませんね。ですが、私はこの飢饉を終わらせたいと考えております。」
「え?」
「民がこれ以上苦しむのは見たくない。…だから信用していただけないでしょうか?」
その表情は真剣で、嘘をついているようには思えなかった。
「雪…」
春鈴が不安そうに雪の腕を引く。悩んでいる時間はなさそうだと、雪は心を決める。
「では、案内をお願いします。」
「承知しました」と、柑都は礼をしてから先頭を歩き出した。
それに迷わず続く雪に、春鈴たちも不安ながらもあとに続く。
「今、兵士たちは出払っております。」
「蓮季が兵を集めているって」
「ええ、理由までは分かりませんが緊急のようです。」
歩きながら話すので柑都の表情は見えないが、嘘をついている感じはしないと雪は感じていた。
「貴方は行かなくて良いの?緊急なのでしょう?」
「籠の用意を頼まれたくらいで」
「籠って、要人を運ぶための籠よね?」
「ええ、それも何故かニ台です。一台は蓮季様で間違いないかと思いますが、もう一台は…」
「ふうん」と、雪は口元に手を当てて思量にふける。
雪が口を閉じれば、柑都もそれ以上は話しかけなかった。
「着きましたよ。」
柑都にかけられた声に、意識をそちらに戻した雪は蔵を見て呆れた。
蔵は重そうな鉄の扉で出来ており、火災が起きてもここだけは助かるのではないかと思うような、頑丈な造りをしている上に所々に金の装飾があった。金の無駄遣いも良いところだ。
「これ、どうなってるの?蔵に見張りがいないなんて。」
「蓮季が警戒心のない男だってことなんじゃない。」
「いえ、見張りは私が移動させました。」
雪の後ろで会話する若者に柑都が訂正をする。
「石楠さんかしら?」
雪が問えば、柑都は頷く。
「ええ、もうご存じですよね。」
「奥さんなのでしょう?」
「はい、私の大切な人です。」
ニコリと微笑む柑都は優しい顔をしている。家族想いの良い主人なのだろうなと思えば、雪の胸はチクリと痛む。蓮季側に付いている人間であれば、これから起こることによって罪を暴かれ、少なからず罰することになるから。
「さぁ、早く必要なものを運び出してください。いくら私の命とは言え、そう長く兵士をここから外すことは難しいのです。見つかる前に、早く」
柑都に 促されるまま雪は春鈴たちに指示を出して、手際よく木材をまとめていく。
まさかこんなにもため込んでいたのかと思う程に、山積みにされて転がっていた燃料はあっという間に麻紐で結ばれて運び出される。再び柑都の案内で正門まで出れば、そこにも見張りはいなかった。
「呆れたでしょ?」
柑都に振り向いた雪は「全くよ。」と、ため息をついた。
「どうしてここまで自由にさせたのよ。この燃料だって税金で買ったものでしょ?」
「ええ、ご察しの通りです。」
燃料はあまりにも多すぎて、全てを運ぶことはできなかった。おそらくは、半分も持ち出せていない。
「どうして民に分け与えないの?」
春鈴たちは屋敷を出た後の道順の確認をしており、柑都の近くには雪しかいない。だからだろうか、柑都は正直に答えた。
「それは、自分達を優先することしか考えてないからです。かく言う私も」
「同罪ね。」
「反論する言葉もございません。」
雪はそれ以上は何も言わなかった。柑都もまたそれ以上は何も言わずにただただ頭を下げて、雪たちを見送っていた。その姿を見て雪は昔の自分を重ねて、無性に腹立たしく思ったのだった。
結局、誰にも見つかることなく帰ってきた雪達は、とりあえず持って出てきた燃料だけで保存食を作り始めることにした。
火を起こすために木材を組み始めたのは男の仕事。そして、食糧蔵から手に入れてきた、食材の下処理をしているのは、集まってくれた女たちだった。そんな姿を眺めていると、後ろから声をかけられる。
「雪!」
「綾さん。思ったより早かったですね。」
雪の少し驚いた声に、綾は盛大なため息をついた。こんなこと王のやることではないと、散々反対されていたのを雪が押しきったからだ。
「話は?」
「翠から聞いてるわ。」
「じゃあ、早速で悪いけどお願いね。」
そう言って、雪は次の作戦に向けて取りかかった。
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「…来た。」
そう翠が教えてくれたのは、大きな火が大きな鍋の湯を沸かし、食材をゆで始めた頃だった。雪と綾は近くの空き家で、外の様子を見ながらその時を待っていた。
翠の言葉を聞いて、雪と綾は外套を羽織って外へと出る。
「雪!」
「高秦。」
「ど、どういうことだ!」
上がった息を整えようと、膝に手をついた高秦はそれだけを何とか言葉にした。
どうしたのかと周りがざわめき立つ。
「蓮季がこちらに向かってきてる。お前、誰にも見つかってないって言ったよな?」
「いいえ。」
「は?」
高秦の口がポカンと開いた。
「私は何も問題はない。と、言ったの。」
「問題ないって…向こうの人間に見つかってたら問題だろ!」
「それより怪我人は?」
「いない。偵察だけだからな。」
「そう、なら良いわ。」
「お、おい。言いわけねーだろ!蓮季の奴が大軍を連れて、こっちに向かって来てるんだぞ!!」
高秦は雪の顔を見て次の言葉を失った。顔色がみるみる悪くなっていく。
「お、お前…これが狙いか。」
震える唇で発した高秦の声は太鼓の音にかき消される。全員が音の方を見て唖然としていた。
太鼓の音と共に遠くからやってくる集団を見つけて、雪はニヤリとひとり笑う。
雪の視線の先に映るのは、兵士が数十人程いる一団。その中心には籠と呼ばれる、人が運ぶ乗り物が二つ。
それは相応の立場のある者でないと乗れないものだ。だからこそ、民は焦りの色を見せているのだ。
だがその姿を見て、雪だけはその仰々しい様子に笑ってしまう。
「こ、これは…」
「大丈夫よ。」
焦った様子で声をかけてきたのは、料理番を任せていた石楠だった。この飢饉を終わらせられるならと、彼女もまたこの作戦に参加していた。
「石楠さん、不安だろうけどこのまま続けてもらえる?」
「…わ、分かったわ。」
少し戸惑ったが、他にできることもないと考えたのだろう。頷き戻ると、再び他の人たちに指示を始めた。
そんな中、雪の横でずっと黙って何かを考えていた高秦だったが、突然思い立ったように駆け出そうとする。
「待って!」
それを雪が高秦の腕を掴んで止めた。勢いが良かったせいで、引っ張られてしまいたたらを踏んだが、何とか止めれば高秦が焦った様子で振り向いた。
「今から玉廉の所に行っても、間に合わないわよ。」
「お、おま…どうしてそれを…」
再び動けなくなった高秦から手を離すと、雪は春鈴の姿を探した。
「春鈴!」
茫然と立ち尽くしていた彼女を見つけて名前を呼ぶ。名を呼ばれて振り向いた春鈴は不安そうではあるものの、他の者のような過剰な焦りや動揺は見られなかった。
「お願いがあるの。」
と、雪が言えば春鈴はその勝ち気そうな顔に、笑みすら浮かべて頷いたのだった。