第7章 若者と会合
更新:2022.10.19
「ねぇ、綾さんは玉廉を知ってる?」
国に戻ってから数日。雪は国を出ていた間に貯まった書類に目を通しながら、綾に尋ねた。
近くでその書類をまとめていた綾は目も向けずに口だけ開いて答える。
「名前だけですが…確か、空南の前々の王から仕えているかなり古株の勅任官だったはずですね。それがどうしましたか?」
「さっき、翠が持ってきてくれた情報の中にその名前があったの。
その玉廉の屋敷に私が出会った高秦って旅民が、よく出入りしているみたいなんだよね。
つまり、高秦たちに食べ物を配らせてるのは玉廉だと思う。だけど、それを蓮季が手柄を横取りしている。」
「不思議ですね。なぜ、玉廉はそのような人目を避けたやり方をしているのでしょうか?自らが主立った方が動きやすいのに。
彼女くらいの勅任官であれば、蓮季のような派閥に巻き込まれることもないように思うのですが…」
「…派閥が大きくなり過ぎてる。」
綾の質問に答えたのはいつの間にか現れた翠で、雪の後ろでじっとしていた。
音もなく現れるのはいつものことだったが、疑問に答えてくれるのは意外で綾は少し驚いた様子だった。
「つまり、派閥が大きくなりすぎて玉廉も動けないってことですか…」
「多分、そうだと思う。一緒に調べてもらったけど、蓮季はかなり好き放題してるみたい。
黎夕が話してくれた、田畑での納税問題もそうだし、免税や減税対策もしないで自分は国庫の物を自由に使ってたみたいね。
それに屋敷には大量の冬果が植えられてたわ。」
「それで自分達は飢えをしのいでいる訳ですか…クズですね。」
綾の毒舌に雪は苦く笑うしかできない。
「それに賛同する官吏も多くて、王である黎夕を軽んじてる。」
「親任官は推挙しないのでしょうか?」
綾は誰に尋ねるという訳でもなく言葉にする。
確かにそうなのだ。本来であれば、親任官がいて勅任官の横暴を抑え込む。だが空南に親任官はここ数年着任していない。これも確認する必要がありそうだと、雪が思っていると綾が顔を覗き込んでくる。
「雪華様、どういたしますか?」
「これをこのまま見過ごすわけにはいかない。」
雪ではなく雪華と綾が呼ぶときは、王としての意見を求めるときだ。だから雪も雪華として答える。
「黎夕に手紙を出せるか?」
「御意。」
綾は床に膝をついて礼を取ってから、部屋を出ていった。
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再び清めの日と称して晴嵐へと向かった。
雪は翠と共に歩き回り若い年代の民を広場へと集めていた。
雪の目に映るのは肉付きの悪い痩せ細った人間ばかり。若くて体力があったから、なんとか動いているという状態だった。状況はそこまで悪いのだ。
「おい、ここに来れば食べ物が手に入るって聞いてきたが…本当か?」
集まっている民の中で、一番齢が上に見える男が、雪に声をかけてくる。
「ええ、そうよ。」
「だったら、その食料とやらはどこにあるんだよ。嘘なんじゃ…」
「嘘じゃないわ。ただ、今ここにはないの。まず、話を聞いてちょうだい。それから、あなたたちが判断をして決めれば良いわ。」
辺りがざわめきだす。嘘なんじゃないか。騙されているんじゃないかと不安の声が聞こえてくる。
武力や圧力で制するのは嫌だったが、このままでは話すら聞いてもらえそうにないと、雪は深呼吸をして覚悟を決める。
「いい…」
「まずは話を聞こうぜ。」
雪は男の声に、怒鳴り付けるつもりだった言葉を飲み込んだ。周りの人間も、同じように騒ぐのを止めて静まる。
「どうやっても俺たちじゃ、食料を手に入れるのに限度がある。いい案があるなら、聞くだけ損じゃないだろ。」
高秦の言葉は空南の民を惹き付けた。食料支援で築いてきた信頼関係だった。民は彼の言葉に素直に頷くと、静かに雪の方へ視線を向けてくれる。
「場を収めてくれてありがとう、高秦。」
「俺たちもこのままじゃ生活に支障が出るからよ。ただ、あんたの話によっては、どうなるか分からねーよ。」
「期待に応えられると思っているわ。」
雪は高秦に微笑んでから、周りの民へと視線を向け直した。
「皆さんに集まってもらったのは、他でもない食糧難の打開策をお伝えするためです。
皆さんはこの空南の勅任官である蓮季をご存知でしょうか?」
「当たり前だッ!」
「あいつは俺ら民を見殺しにした奴だ!」
相当に蓮季は嫌われているらしく、ほとんどの民が怨言を漏らしていた。怒りに拳で床を叩く者の姿も見える。
それでも雪の話に耳を傾ける気持ちはあるようで、先程のような煩さはなかった。
「私は蓮季の屋敷に使えていた下女です。名を雪と言います。…私は蓮季の行いに堪えられなくなり、ここまで逃げ出して来ました。」
今度は驚きの声や哀れみのような声が聞こえてくるが、気にせず雪はさらに続ける。
「蓮季の屋敷には燃料が残っています。官吏が運んでいるのをこの目で見ました。」
実際は翠が確認してくれているが、下女だと言った雪の言葉の方に部がありそうだった。
案の定、民は疑うことなく蓮季の行いに悪態付いている。
そんな中、高秦は心底呆れたように、首を左右に振ってため息をつく。
「おいおい、まさかお前…」
「はい、そのまさかです。私は屋敷の構造や兵士の配置を把握しています。だから、皆さんと力を合わせて木材の強奪を提案します。
燃料があれば食糧蔵のクワイモも食べることができます。」
再び辺りがざわめきだす。反応としては悪くないと雪は内心ホッとする。
「もちろん、全く危険がないわけではありません。ですが、このままでは飢えて死ぬのを待つだけです。
何もせず飢えて死ぬなら、死なないかもしれない道を選んだ方が良いとは思いませんか?」
「だけどそいつの屋敷にある木材だって限りがあるだろ。ここの民の食糧を作るのに必要な量を補えるとは思えねー。」
「そうですね。彼が所持している木材だけでは足りないでしょう。…ですが、蓮季の屋敷には冬果も植えられていました。豊作らしく、たくさん実っていました。」
雪がニヤリとわざとらしく笑って見せれば、集まった者達がゴクリと唾を飲み込むのが分かる。
「私の考える作戦は蓮季の所持している木材と、同じ木材で出来ている屋敷を壊して燃料とすることです。それと冬果をここにいる皆で運び出すこと。
そして、食糧庫にある食材を調理して保存食を作り、冬果と共に民へ配ること。
いかがでしょうか?」
戸惑いの声が辺りを支配する。悪いことに手を染めるのだ。後ろめたい気持ちがない訳ではないだろう。
だが否定的な言葉は聞こえてこない。飢えているのは事実で、このままだと死ぬのも確かだと分かっているのだ。
いくら高秦たち旅民が食糧を持ってくるとはいえ、それだって限度がある。
「成功の確率は?」
「そうですね…あなた達の動き次第ですかね。そんなに低くはありませんが、木材を運び出すのに時間がかかればそれだけ危険が増えます。」
「だろうな。」
「ですが、蓮季は民を見殺しにするつもりです。国の助けなど待っても仕方ないと私は思います。自ら考え動かないと飢え死にです。
ですが、先程も話したように、危険は必ず伴います。無理にとは言いません。…少し考える時間が必要でしょう。
賛同していただける方のみ、明朝にこちらの広場に再びいらしてください。」
雪はそう言い終えて、皆を散会させた。散り散りになる若者たちの数人は途中で足を止めて、どうするか周りと話し合っている。そんな中、こちらに真っ直ぐ向かってくる人物に、雪は気を抜けなかった。
「おう、雪。」
「…高秦。」
前ほどあからさまな警戒はしていなかったが、翠の鋭い目付きは変わらない。本当に睨み付けてるなぁ…と雪が思っていれば、そんなこと気にした様子もなく高秦が話しを続けた。
「お前たち蓮季の使用人だったんだな。」
「ええ、嘘をついてごめんなさい。事情が事情だったので話せなかったの。」
「ふうん。でも、お前もすごいこと考えるよな。」
「そう?ここの民は日和見だから、そう思うだけよ。」
「日和見って…お前なぁ。国民なんてそんなもんだろ。お前みたいなのが異例なんだよ。」
周りの人を見渡してから暮れ始めた空を見上げる高秦は遠くを見ているようだった。
「怖いのさ。」
「え?」
「今の空南の官吏はどの国より横暴なんだ。逆らったら何されるか分からねー。家族諸とも打ち首だってあるんだ。」
「…。」
そんな!と、言葉が漏れそうになるのを雪は堪える。空南はそこまで落ちぶれたのかと沸き上がる怒りを、押さえつけるために唇を噛んだ。鉄と生臭いような味に冷静さを取り戻す。
今の雪は空南の民ということになっているのだから、知らないと言うのはおかしい。
「でも、今回ばかりは動くだろうよ。黙っていたら死んじまうんだから。」
「そうね。」
「それよりお前、何で食糧蔵の中身知ってるんだよ。あれを知ってるのは大人だけだ。」
「そ、それは…」
感情に任せて演説したから、余計なことを言ってしまったと、雪は内心あわてふためく。そんな彼女の前にずいと出て対するのは翠だった。
「言う必要があるのか?」
「…ぷっ、アッハハハ!」
翠の答えに高秦は笑い出す。
「そうだな。お互い様か。」
涙をぬぐいながら、高秦は翠から雪に視線を戻す。
「良いさ。お前たちが誰だろうと、民を助けようとしてるのには変わらない。ただ、それを裏切るときは」
高秦の眼孔が鋭くなる。
「…容赦しない。」
最後の言葉には殺気を感じた。
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高秦と別れた後、雪は羅芯に戻らなかった。今いるのは晴嵐にある空き家。
まだやることがあるからこの辺りに泊まりたいと高秦に相談したところ、彼が石楠に頼んで用意してくれた。
綾には手紙を送っているので心配はない。まぁ、怒っているだろうけど。と、思いながら固い寝台だった場所の上に寝転がる。固い。
当たり前だが、木の板も綿の詰まったふかふかな布団も既に燃やされている。ただの台の上に寝転がっているようなものだ。床と何ら変わりはない。
もちろん羽織るものもないので、ただ寝転がるだけ。暖かくなってきているとは言え、さすがになにも羽織らずに寝るのは寒そうだ。
そうは言っても、空き家という割に家具は綺麗だし、埃っぽくもなく、ついこの間まで使われていたような生活感が残っている。
それで雪は何となく察しがついた。この家主は飢饉で死んで間もないのだと。
そんな事を考えていると、扉が叩かれる。
「どうかしら?足りないものとかはない?」
そう声をかけてくれたのはこの家を用意してくれた石楠で、扉を開ければ手には湯のたっぷり入った桶を持っている。
「はい、これで身体拭いたり顔を洗ったりしてちょうだい。」
「ありがとうございます。」
「良いのよ。こんなことくらいしか出来ないから。」
ふと視線を落として申し訳なさそうにする石楠に、雪はブンブンと頭を左右に振った。
「そんなことないです。家まで用意していただいて、とても助かりました。」
「少しでもお役に立てたなら良かったわ。」
どこまでも謙虚な石楠に、雪は力のこもった瞳を向ける。
「石楠さんがいるからこそ、ここの人たちは頑張れるのだと思います。」
「私はただある御方にご恩を返したくて、動いているだけよ。」
「ある御方ですか?」
「ええ。」
にこりと微笑みを返すだけ。それ以上は答えてもらえないだろうと、雪はそれ以上は踏み込まない。
「素敵なことだと思います。」
「ありがとう。でも、私は貴女がやろうとしていることこそ、素晴らしいと思うわ。」
直球で褒められるのは、むず痒いなと雪は頬を指でかいた。
「私のこそ、人の入れ知恵ですよ。」
「入れ知恵?」
「ええ。」
一瞬、石楠の目が細められる。だが、下を向いて話している雪にそれは見えなかった。
「…今日はお疲れでしょう。明日もあるし、私はもう戻りますね。」
話は終わりにしましょうと、一際明るい声を出した石楠は小さく会釈すると早々に家から出ていった。
「はぁ...」
雪の口からため息がこぼれる。
目の前には湯の入った桶があり、手を入れれば熱いくらい。きっと体を拭いたら気持ち良いのだろうが...
「お湯じゃ寝る時には、暖を取れないわね。」
毛布一つない部屋は凍死はしないだろうが、寒い。
だけど一日の辛抱だと諦めるしかなかった。