暗黒郷(ディストピア)からの逃げ水/4
「様々な方法で試みたが、取り出せなかった」
あの苦痛の連続は、これが原因だったのか。さっきの逃走劇の過激さも合点がゆく。真っ暗な視界の中で、研究者たちの話の続きが聞こえてくる。
「しかしながら、B-156789が死んだのちは、メシアというエネルギー源はどこへ行くのだろうか?」
「別の文献によると、メシアは宿っている肉体が滅びると、別の肉体へと移るそうです」
易姓革命――まさしくそれだった。
再び目を開けると、大きなモニター画面に、背表紙は擦り切れ、茶色く変色した本が映っていた。
「ということは、それを意図的に起こせば、メシアを取り出すことは可能かもしれないな」
「理論上はそうなります」
「しかし、それは伝承の域を出ない」
「ですが、試してみる価値はあるかと……」
ヒカリの瞬きの回数が多くなってゆく。そして、研究者の一人から、最後の審判を下されるように告げられた。
「メシアさえ手に入れば、B-156789の死体は用済みですから、廃物として宇宙へ投げすてるだけです」
ヒカリは思わず息を飲んだ。
(――殺される!)
正気を失った研究者たちの、狂気な宴が絶体絶命へと向かう前に逃げ出さなければ。しかし、ヒカリの四肢は無情にも実験台のベッドにくくりつけられたままだった。
手首を動かすたび、鉄の硬さがアザを作ってゆく。背を向けていた研究者たちの話はひと段落して、
「とにかく、一旦会議を開い――」
その時だった。全身を貫くような鋭く緊迫した音が、ジリジリと鳴り響いたのは。研究者たちは落ち着きなくあたりを見回す。
「な、何だ!?」
「どうした!?」
そうこうするうちに、大画面は非常事態の文字が大きく浮かび上がり、研究室は赤く点滅を始めた。研究者たちは様子を見に、部屋から次々に飛び出してゆく。
「非常サイレン?」
記憶した言葉を組み合わせて、ヒカリは事態を収拾した。何かが起きたのは確かで、ここにいることは必然的に危険。
「何とかこれをはずさないと……」
ここがもし火の海になったとしても、くくりつけられたままでは、火あぶりの刑と一緒になってしまう。冷や汗がこめかみをつたい、手や足首に抗う跡ができてゆく。しかし、虚しいほど空回りで、加速してゆくのは焦りばかり。
その時だった。ガス爆発でもしたようなドゴーンと地鳴りが響き、ガラガラと音を立てて壁が崩れ落ち、人が一人通れるほどの穴が空いたのは。
「な、何だ!?」
砂埃が霧のように消え去ると、ニコニコの笑みが顔をのぞかせ、
「ヒカリ〜、助けに来ましたよ〜」
凛として澄んだ儚げで女性的なのに、どこからどう聞いても青年の声が、ゆるゆる〜っと語尾を伸ばして響いた。
「兄さん!」
マゼンダ色の長い髪をリボンで結わいている彼の名は、ルナス モーント ダディランテ。ヒカリの双子の兄である。あの大混乱の中で、なぜか腐れ縁の兄だけはこの星で再会し、二人でともに生きてきた。
こうやって、ヒカリが研究所に捕まるたび、ルナスがいつも助けてくれる。ただ、助け方に問題があるのだ。
慣れたように実験台のそばにある操作盤の前へ、ルナスはやって来た。人差し指をこめかみに当てて、困った表情をする。
「確かこの辺だったと……」
この、人を人とも思わず、さっきの研究者より、いや死神よりもタチの悪い兄。ニコニコしながら、平気で人を地獄へ突き落とす。何度この兄に痛い目に遭わされてきたのかわからない。ヒカリは拘束された身で必死に懇願する。
「わざと間違ったボタンを押すのだけはやめてくれ」
「おや〜? そんなことはしませんよ〜。うふふふっ」
兄の不気味な含み笑いが、弟の耳に入り込んだ。そして、ヒカリはルナスの助け方にダメ出しを始める。
「というか、助けるなら、非常サイレンだけ鳴らせばいいじゃないか」
「念には念をです〜」
何を言ってものらりくらりとかわしてくる兄。しかし、未だにベッドにくくりつけられている弟は負けているわけにはいかない。言い返してやった、何が間違っているのかを。
「大きな音を立てたら、気づかれる可能性が上がるじゃないか。もう少し静かに助けてくれ。これじゃ、追っ手がつくのもの時間の問題――」
拘束がはずれたと同時に、ドアの外がにわかに騒がしくなった。




