愛妻弁当とチェックメイト/8
ふたりの瞳はそっと閉じられ、唇が触れ合う――。
色の違う制服も前髪も重なり合う。祝福するように吹いてきた花びらまじりの春風の中で、キスの激しさは甘く強く。心も揺れ動く。
真っ暗な視界でお互いの唇の温もりと感触だけがやけにはっきりとして、深く心の奥底だけでなく、体中へ刻まれてゆく。
立入禁止区域だろうが、人が集まる場所には変わりがない空中庭園。遠くでは歓声、すぐ近くではリハーサルの低い歌声。人の気配がそこら中でする場所。
それでも、妻にも同僚にも内緒のキス――。
(うわっ! すごいドキドキする〜! けど、どっちのドキドキだ? 人がいつくるかわからないからか? それとも、貴とキスしてるからか?)
ターコイズブルーに染まるリボンの下で、メタルみたいな激しいビートを刻む、独健の鼓動。
貴増参の深緑をしたマントはおとぎの国へ連れ去るように、独健をしっかりと抱きしめる。
(吊り橋効果の応用です。鼓動が早くなる環境でキスをすると、ドキドキが倍増します。それはそれとして、君とのキスは星空みたいにキラキラしてます)
誰も通らないコンサート会場の裏口で、男ふたりの黒いロングブーツはしばらく寄り添っていた。お互いに着用が義務付けられているレイピアのシルバーの柄が、すれ違うように交差し合いながら――
*
――青空が広がる地面に隣同士で腰を下ろして、多目的大ホールのコンクリートでできた壁に寄りかかる。
ふたりの前を時折、紫のマントをつけた他の隊員が忙しそうに現れては、一歩足を前に出す寸前で消えるを繰り返している。瞬間移動の空港みたいなコンサート会場裏。
「――新しい生活には慣れましたか?」
問いかけた貴増参の瞳には、遠くで風船を持つ子供を間にして、仲良く歩いている男女が映っていた。
家族の平和な日常――。
同じ一家を眺めていた独健の若草色の瞳は、いつもと違って影を持ち、透明な地面へと視線は落とされた。
「……慣れようとはしてる」
綿菓子みたいな白い雲が自由に風で流れてゆく。
「僕が巻き込んでしまった。僕の責任――」
紫と深緑のマントの死角で、お互いの手が地面の上で少しだけ重なり合い、体温が切なく広がる。
「違うだろう?」
独健は顔を上げて、まだ親子を眺めている貴増参の言葉をさえぎった。
「どんなことでもどんな状況でも、最後にゴーサインを出したのは自分なんだ。断りたいんだったら、全身全霊をかけて断る。従いたくないんだったら、抗い続ける。だから、俺の責任だろう?」
しかし、すぐに視線はまた地面へ落ちて、いつも元気で大きな声でハキハキと話す独健らしくなく、言葉が戸惑いという線を描きながらこぼれた。
「ただ、混乱してる、正直。次々にくるから……」
せっかくいい雰囲気のシリアスシーンだったが、貴増参のこんな言葉で崩壊を迎えた。
「君も『大切』です」
「いやいや、そこは『大変』!」
持ち直した独健の隣で、気まずそうな咳払いがされると、新婚さん話が出てきた。
「んんっ! 職場結婚をしてしまいましたからね」
紫と深緑のマントで分けられた国家機関。そのふたりの間で交わされる会話だが、ここにいない誰かのことだった。
「大元は確かに一緒だけど、部隊が違うから、同じ職場じゃないだろう」
「ですが、以前は――」
そこまで言った時、遠くのメインアリーナで怒涛のごとく歓声が、天地をひっくり返すような勢いで飛び散った。
ふたりの興味は一瞬にしてそこへ向き、近くで咲いていたスミレの葉っぱは、独健の指先でつままれた。
「そういえば、結果はどうだった?」
「一回戦敗退です」
何かの結果が負け――。独健は思う。もし自分が同じ立場だったとしたら、どんな気持ちだろうと。紡ぐ言葉がすぐには出てこなかったが、それでも明るく前向きに取り、少しカラ元気に別の言い方をした。
「初出場だし、『あれ』は俺たちと違って若いから、まだまだこれからだよな?」
「僕もそう思います」
貴増参はカーキ色の癖毛をのんびりと同意という動きで縦に振って、にっこり微笑んだ。まるで子供を見守る父親のような大きく温かな気持ちで。




