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明智さんちの旦那さんたちR  作者: 明智 颯茄
神の旋律
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光る春風/2

 少し遅れて、ふたつの瞳はまぶたの裏に隠され、唇の温もりがやけにはっきりと輪郭を持った。そうっと離れて、スミレ色の瞳とクルミ色のそれは一直線に交わる。


「……もう会わないのに――」


 文句を言いかけたがやめた。過去は変えられない。ゴーサインを出したくないのなら、振り払えばよかったのだ。リョウカはさっと立ち上がって、軽く嘆息する。


「まぁ、いいわ。眠くなってきた。戻る時間ね」


 大きく伸びをしている間に、レンの黒いロングコートはすらっとした長身を取った。リョウカはくるっと向き直り、


「じゃあ、今度はつまらない女につかまって、殺されないようにね。元気で生きてくのよ。じゃあね」


 珍しく笑顔で手を振る彼女は、魔法でもかけられたように、キラキラとした光に包まれ消えると、もうどこにもいなかった。


 自身の心という世界でただ一人。消しゴムで消したようになくなった城壁のはるかかなたで、水平線をオレンジ色に染める朝焼けを見つめる。太陽のコロナが金色の光を放って昇り、ようやく夜明けを迎えた。


 キーンと耳鳴りがしてきて、光は黄色へ変わり、白になり、まぶしさに目がくらむと、


「っ……」


 ピ、ピ、ピ……。


 規則正しい電子音が聞こえてきた。そして、まぶたを開けると、レンの瞳に病院の天井が広がっていた――――


    *


 一年後――


 ダステーユ音楽堂にある楽屋の鏡には、針のような輝きを持つ銀の長い前髪があった。


 レンの鋭利なスミレ色の瞳は、今日までの日々と自分の顔を重ね合わせる。


 悪魔の殺し屋という職業を演じさせられた、奇妙な夢。あの日だけで、一度も見ていない。


 雨ばかり降っていた、あのバッハのCDをかけた部屋も出てこない。もちろん、ブラウンの長い髪とクルミ色の瞳を持つ女もだ。


 自責の念に駆られ、自身に手をかける衝動に恐怖を覚え、震える神経質な指先。


 自身の生命線とも言えるそれは今は正常に動いていて、夢のはずなのに、温もりというリアルなベールを今もかけられたままの唇を物憂げに拭う。


「夢……」


 謁見の間で聞いた耳鳴りと、バッハ トッカータとフーガ 二短調が、絶対音感というルールからはみ出して、不協和音に変わった。


 焦点が自分の瞳へと戻ってきて、レンは首を横に振ろうとすると、トントンとドアがノックされた。


「…………」


 仕事中は一人にしろとあれだけ、スタッフに言っておいたのに、不手際を前にして、天使のように綺麗な顔は怒りで歪んだ。


 鋭利なスミレ色の瞳はドアを一瞥して、銀の前髪を指先で、神経質に整えようとする。


 すると、またトントンとドアがノックされ、


「俺」


 まだら模様の声が響いた。この人物だけは別だ。逆に美的センスを磨き上げてくれる。関係者以外は入れない時間帯に、時々こうやってくるのだ。どうやって入ったのかは知らないが、いつものことだ。


「ん」


 レンは黒のタキシードが着崩れないようにまっすぐ立ち上がり、エナメルを使った靴のかかとを鳴らしてドアに近づいた。


 鍵をはずし、扉を内側へ引き入れると、海のような深い青のサングラスをかけた、山吹色の髪を持つ男が立っていた。


 光沢があるワインレッドのスーツが部屋に慣れた感じで入ってきて、黒いソファーに座った。ローテーブルに乗ったヴァイオリンのケースを間にして、レンとコレタカは向き合う。


「どう?」

「それなりだ」


 レンは華麗に足を組み、最低限の筋肉しかついていない細い袖口で、腕組みをした。青いサングラスははずされ、宝石のように異様に輝く黄緑色の瞳があらわになる。


「危篤になった時、どうなるかと思ってたけど、回復してよかったよ」

「ん」


 消し去ろうとしていた、あの日の話。鋭利なスミレ色の瞳は少し伏せ目がちになった。


 指で引っ張った山吹色の前髪を焦点の合わない視界で見つめながら、コレタカは聞き返す。


「何? いつもよりも口数少ないね。体調まだ戻ってない?」


 銀の長い前髪は横に揺れて、


「違う」

「そう」


 無機質なまだら模様の声が響くと、男ふたりの間に沈黙が降りた。


「…………」


 黒のタキシードを着ている男は、基本的に口数は少ない。だが、今日はあまりにもおかしいのだった。

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