落日の廃城/4
一方、二階の廊下を歩いていたレンの脳裏に、砂嵐のような画像が割り込んできた。
さっきは何でもなかったのに、リョウカの床から落ちた姿など見ていないのに、スローモーションで彼女が落ちてゆくのを、脳が勝手に何度も何度も再生し始めて、同じ声が幾重にも重なってゆく。
死んだって。死んだって死んだって。死んだって死んだって死んだって。死んだって死んだって死んだって死んだって……。
「っ……!」
レンは急に息苦しさを覚え、パイプオルガンの音色が今や身を引き裂くような爆音と変わり、まっすぐ立っていられなくなって、片手で顔を覆い、壁に斜めに寄りかかった。
こんなことをしている場合ではないのに、今悪魔に襲われたら対処できない。だが、何かの発作みたいに、震えが止まらない。それっきり彼は前に進めなくなった。
そんなレンの背中を見ている瞳がふたつあった。どこかずれているクルミ色の目。あとから追いかけてきたリョウカは廊下の角に隠れて、様子のおかしい、すらっとした黒のロングコートをじっと見つめる、声もかけずに。
イヤリング。
記憶がない。
誰かがいたような廃城。
リョウカの中で答えが出始めて、ボソッとつぶやいた。
「もしかして、ここって……」
悪魔が怖いわけでもなく。寒さに凍えるような男の背中が涙で急ににじみ、彼女は手で口を覆うと、両頬に雫がそっとこぼれ落ちていった。
「…………」
何と声をかけていいのかわからなかった。リョウカはレンと数メートルの距離を空けたまま、ただただ黙って立ち尽くした。
しかし、ここでじっとしているわけにはいかない。自分の中で出た答えが本当なら、なおさらだ。
彼女は涙を静かに拭い、廊下の陰に隠れて深呼吸を何度もする。わざとらしく大きな声で言いながら、ブーツのかかとを鳴らして廊下の真ん中へ躍り出た。
「や〜ね〜。床が抜けるなんて……。とんだ遠回り――」
今ごろ気づいたふりをして、不自然に言葉を止め、
「あら? 待っててくれたのかしら?」
さっきまでの息苦しさもめまいも嘘のように消え去り、さっきまで鳴っていたパイプオルガンの音色も聞こえなかった。レンは前を向いたまま、へらず口を叩く。
「……そうだ。ありがたく思え」
「優しいのね」
奇妙なことを言う――。思わず振り向いたレンに、リョウカは静かに近づいてきたが、
「…………」
「さぁ、行きましょう?」
彼女はそのまま通り過ぎた。さっきの失敗にまったく懲りていない女に文句も言わず、レンはリョウカの背中を穴があくほど見つめて、自分の心の内を考える。
予測もしない言動をしてくる。それが妙に心地よく、ずっとイラっとしていたのが嘘みたいに晴れやかだ。自身は一体どうしたというのだろうか。
いつまで経っても背後から足音が近づいてこず、リョウカは不思議そうに振り返った。
「どうしたの? 置いてくわよ」
いや違った。やはりイラっとくることを言う、この女は。レンの天使のように綺麗な顔は怒りで歪み、ひねくれをお見舞いしてやった。
「お前の頭は鶏が跪くほど記憶力崩壊が見事だな。さっきと同じ間違いをしようとするとはな」
リョウカは悔しそうに唇を噛みしめ、
(かちんとくる……!)
いつまでもどこまでも、言い争いが続いていきそうで、彼女は大人になって、適当に流した。
「はいはい」
リョウカを前にして、ふたりはまた廊下を歩き出す。しばらく無言だったが、どうしても気になることがあり、リョウカがふと沈黙を破った。
「ねぇ? あなたって朝からずっと起きたまま?」
自分が気にしていたことと同じことを聞いてくる。偶然なのか。レンは少し出遅れたが、正直に答えた。
「……そうだ」
「そう。そうなると……?」
事実という輪郭がくっきりしてゆく。リョウカは前を向いて進み出した。自分が今どこを歩いているのか、何を目指しているのか予測がついて。




