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明智さんちの旦那さんたちR  作者: 明智 颯茄
神の旋律
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月夜の幻想曲(ファンタジア)/7

 闇夜に慣れた目が少しだけくらみ、鋭利なスミレ色の瞳は一度まぶたの裏に隠された。ゆっくりと開けると、にらみつけるような自分の目がガラス窓に映る。


 もう二時間以上、空気を入れ替えることなく走って来た列車。レンは窓のシルバーのレバーをつまみ上げる。雨の匂いはするが、星空がちらほらと広がっていて、降る気配はない。


 ゴスパンクロングブーツのバックルをカチャッと鳴らして、足を華麗に組み替える。停車駅、人の動きはない。


 席から立つこともせず、通路をのぞき見ることもなく、鏡のような車窓を視線だけで追ってゆく。進行方向から後ろへとひとつも逃さず、そうして最後で、同じ車両は空席。という事実が浮き彫りとなった。


 十数分ほど停車している間、誰も乗り込んでくる者はいなかった。二時間ぶりの駅員の鳴らす笛の音で、再び列車は動き出す。


 髪が乱れる。許せない。窓は押し下ろして、走行音は濁ったものになった。腰のあたりで腕を組み、トントンと人差し指でリズムを刻む。バッハの音色が脳裏に光る五線紙として流れてゆく。


 左の指はヴァイオリンの弦を押さえ始めるが、それはとても自然なことで、しばらく空想世界で、ヨハネ受難曲に浸っていた。


 だがふと、さっきからずっと斜め前が空席なことを思い出した。知っているような知らないリョウカ。彼女が席を立ったのは、どんなに少なく見積もっても、深夜の零時前後だ。


 コートとシャツの袖口をめくって、腕時計の文字盤を見つける。今は、


 一時十五分――


 彼女に何かあったのか。恐れをなして、さっきの駅で降りたのか。それとも、あの女自体が、悪魔だったのだろうか。記憶の欠片がバラバラに散らばったまま、合わせ鏡のように幾重にも事実が並んで、どれを信じていいのか、疑えばいいのかわからなくなる。


 その時だった。割れたガラスの破片が突き刺さるような悲鳴が響き渡ったのは。


「きゃあああっ!」


 ぼんやりしていた瞳の焦点が向かい席の背もたれで、正常に戻ると、靴音が走り寄ってきた。振り向こうとすると、知らない女が一人足をもつれさせて、床の上に横滑りで倒れこんだ。


「助けてください!」


 寒さに凍えるように震え切っている声は、この世のものではない別のものに出くわしたような恐怖だった。


 女が一人どうなろうと自分には関係ない。それよりも、怯えている原因のほうが重要だ。フロンティア シックス シューターのグリップに手をかけ、走行音と揺れの中でハンマーをゆっくりと引いてゆく。


 女が涙をこぼし上目遣いで、レンのゴスパンクロングブーツにしがみつき、必死に訴えかける。


「私、悪魔に取り憑かれてるんです!」


 悪魔の殺し屋の手足の力は一気に抜け、銃はロングコートの裾から見えたままになった。彼の脳裏で同じ言葉が残響を呼びながらぐるぐると回る。


 悪魔に取り憑かれている。悪魔に取り憑かれている。悪魔に取り憑かれている悪魔に取り憑かれている。悪魔に取り憑かれている悪魔に取り憑かれている悪魔に取り憑かれている。悪魔に取り憑かれている悪魔に取り憑かれている悪魔に取り憑かれている悪魔に取り憑かれている……。


 悲痛という大波が無音のまま一瞬にして近づき、飲み込まれてしまうような絶望という海底へと独り沈んでゆく。レンは急に息苦しさを覚え、思わず目を閉じる。


 その時だった、あたりをつんざくような銃声が響き渡ったのは。


 ズバーンッッッ!


「あなたの好みの女なの? そんな小物も見抜けないなんて……」


 呪縛の鎖が砕かれたように、体の硬直は解かれ、レンは目をそっと開ける。足元の床には黒い蛆虫がのたうちまわる山ができていた。


 いなかったはずのリョウカが立っていて、拳銃、ピースメーカーの銃口を今、か弱い女のふりをした悪魔からはずしたところだった。


 助けられたで、合っているのだろうか――


 何かがずれたまま、夜行列車は終点の駅へと向かって走ってゆく。ヘッセン村にあるカスルディカ城の悪魔を退治するために――――

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