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明智さんちの旦那さんたちR  作者: 明智 颯茄
神の旋律
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雨とバッハ/2

 ――目覚めた。静寂と闇の眠りの底から。


 急速に戻ってくる五感。まどろんでいたスミレ色の瞳が鋭利さを増してゆくと、大きなプロペラのようなシーリングファンが視界に入り込んだ。


 水面みなもから上がったように、聴覚が鋭い輪郭を持って働き出す。窓を叩くひどい雨音。ベッドの中で少しだけ寝返りを打つと、雨粒でにじむ灰色の空がガラスの向こうに広がっていた。


 寝具カバーのサラサラが素肌に清潔感という感触を落としている、何の乱れもなく、いつも通りの規律。


 そのはずだったが、反対側へ寝返りを打つと、掛け布団がめくられ、誰かが一緒に眠っていたようなもぬけの殻があった。


「?」


 自分は一人暮らし。いつからかは忘れたが、一人だ。手で触れると、かすかに温もりが残っていた。


 ベッドに横になったまま、部屋を見渡す。キッチン、ダイニングテーブルと椅子。二人がけのソファー。どこにも乱れはない。誰も触った形跡がない。


 そうなると、


 人ではないのか。

 自身の商売なら、それもあり得る。

 殺し屋。人ではなく、悪魔の殺し屋――


 物理的法則など関係なく、現れてくる悪しき者。この部屋に忍び込んでいてもおかしくはない。


 警戒心を抱いたまま、シーツの上で右太ももへ手をそうっと伸ばす。肌身離さず持っている拳銃、フロンティア シックス シュータのグリップが冷たい鉄の感触を手のひらに広がらせた。


 ベッドから静かに起き出して、床に足を垂らす。雨音でかき消されがちな物音に耳を澄まして、神経を傾けて探り続ける。


 いつから悪魔と対峙する生活を送るようになったかは思い出せない。どこで何があって、記憶をなくしたのかもわからない。


 ただ自分の名前と年齢だけはしっかりと思えている。


 レン ディストピュア、三十一歳――


 立ち上がろうとすると、ベッドサイドに身に覚えのないものが置いてあった。それは女物のイヤリング。淡いピンクの控えめな小さな宝石。女性らしく儚い持ち主が容易に想像できた。


 ひとつ取り上げて、鋭利なスミレ色の瞳で切り刻みそうなほど見つめ、レンは考える。


 なぜここに。

 いつからここに。


 悪魔どころか人の気配さえもしない部屋を、拳銃から手を離して見渡す。もうなくなってしまったが、シーツの温もり。そうなると、


 昨晩のことだろう。


 膝の上に両肘を落として、首をかしげる。


 遠い昔のことではないのに、何も思い出せない。酒でも飲んで記憶をなくしたのか。そんな覚えもない。


 サーっと宙を切るような雨音がしばらく耳に響いていたが、イヤリングをベッドサイドにイラついたように戻した。


 とにかくどうでもいい。そんなことは。自分に女はいない。それはおそらく……確かだ。自信はないが。言葉としてはおかしいが。


 とにかく今は今だ。


 イヤリングの隣に置いてあったリモコンで、携帯電話でもなく、CDコンポをプレイにする。


 緑深く生い茂る薄暗い森を覆うモヤが迫ってくるようでいて、荘厳なストリングスが、スピーカーから奏でられ始めた。


 シャワーを浴びようとしたが、レンは違和感を覚えて、動きを止めた。


「?」


 CDをかける動作は覚えていた。それなのに、また記憶がない。


 間仕切りのないワンフロアの広い部屋を見渡す。潔癖症の自分らしく、綺麗に整頓されている。食器類もなく、生活感もほとんどない。遠くのほうにカウンターキッチンがあるが、その上には何もない。


 他の部屋へと続くドアは見当たらない。全身白のすらっとした体躯はベッドから離れて、自分の部屋のはずなのに、バスルームを探す。


 ブラインドカーテンの前を過ぎて、二人がけのソファーを右手にして、ダイニングテーブルへとやってくる。全てのものが初めて見るものだった。


 さらに進むと、扉がひとつ出てきた。間取り的に、外へ続くドアのようだ。通路をたどりそこへ入り込むと、別の扉が左手に現れた。


 ホテルか何かでバスルームの場所を確認するように、開けようとすると、玄関ドアからノックもなしに、サバサバとした女の大声が聞こえてきた。


「ねぇ? あたし! 開けてくれない?!」 

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