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明智さんちの旦那さんたちR  作者: 明智 颯茄
神の旋律
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雨とバッハ/1

 十月下旬。どんよりとした雲から落ちてくる雨。止む気配のない雨季。古いレンガ造りの建物が並ぶ通り。


 向かい合った高窓を横切って干されているカラフルな洗濯物は、最近とんと見ない。部屋で日陰の憂鬱ゆううつな生活を送っているのだろう。


 花屋の軒先で色とりどりの花が抱えられて、さっきからワゴン車の荷台に大急ぎで詰め込まれている。


 石畳の上を落ち着きなく往復していた黒のスニーカーは一度立ち止まり、指差し確認で運んだ花を数える。店の中をのぞき込み、積み残しがないかを眺めながら、


「これで全部かしら?」


 リョウカ コスタリカ、二十九歳はそばに立っている女に問いかけた。


 バインダーに挟んだ紙をずっと真剣な顔で見つめていた、どこかとぼけている瞳はリストのチェックマークを目でしっかりさらって、


「はい、先輩、オッケーです!」


 シルレ スタッド、二十八歳はやがて笑顔を見せた。


 屋根代わりのワゴンのリアゲートをバタンと閉めると、溜まっていた雨の雫が一気に落ちる。


 リストからもれることなく積み終わった花々は、しばらく大人しく車に揺られることになった。

 

 傘もささずに、リョウカとシルレはシートに乗り込む。シートベルトをロックしながら、リョウカはやる気満々で言う。

 

「それじゃ、ダステーユ音楽堂にゴー!」


 雨ばかりのジメジメの毎日とは正反対に、軽快に車のキーを回して、エンジンがかかると、すぐに路上の車の列にワゴンは乗った。


 石畳の上でタイヤが通り過ぎてゆくたび、ゴーッというくぐもった走行音が車内に響く。


 快調に見えた車道だったが、すぐにいつもの渋滞につかまった。右へゆるく湾曲する道沿いに並ぶ、テールランプの赤が降り注ぐ雨ににじんでゆくと、ワイパーがそれを拭い去る。


 傘をさして足早に過ぎ行く歩道。それを背景にして、雨が銀の線を斜めに引いてゆく様を、リョウカのどこかずれているクルミ色の瞳はぼんやり眺めていた。


 まったく動かない渋滞。ギアはパーキングに、サイドブレーキを引いて、足をペダルから外した。窓枠に肘でもたれかかり、リョウカはしばらく雨音を聞いていた。


 絶え間ない変化だらけの響きなのに、立ち止まっているジレンマ。矛盾。誘発剤となって、脳裏によぎる――


 どうしようもなく切ない中で、感じた温もりと感触。


「雨……。あの時の……」

「どうかしたんですか? 先輩」 


 リョウカは我に返ると、いつの間にか指先で唇を触っていた。とぼけた顔のシルレの瞳を見つけ、現実へと引き戻される。


 あれは自分の中だけの話――


 心の中にしまう。いやできることなら、新しい毎日に埋もれて、失くして、忘れてしまいたい。吹っ切るように首を横に振ると、ひとつにまとめたブラウンの長い髪が揺れた。


「何でもないわ」


 動き出した渋滞。車が停車していた位置に気持ちだけを置き去りにしようとする。だが、それさえも不確かで、色のついていない透明な雨が虚無の境地みたいで、リョウカはやりきれなくなった。


 ひとつため息をついて、目的地のダステーユ音楽堂へと向かった――。


    *


 赤レンガの大きな建物の正面玄関へと、一台のタクシーが走り込んできた。止まると同時にドアは開き、ロータリーのコンクリートに、茶色の革靴と淡いピンクのズボンを履いた長い足が降ろされる。


 前かがみになった山吹色のボブ髪が姿を現すと、顔の半分を覆い隠すような黄色のサングラスが人目を引いた。


 しかし、コレタカ ファスル、三十歳は人の視線など気にしない。地面にまっすぐ降り立つと、ピンクのスーツとすらっとした体躯がさらに近くにいた人々を釘付けにする。


 そして、色の変色を起こしやすい黄色のサングラスが片手ではずされると、宝石のように異様に輝く黄緑色の瞳が現れた。


 ガラスに映った自分の目をじっと見つめたまま、彼は自動ドアが開くと、足早に建物の中を歩き出した。


 この場に似つかわしくない、奇抜な服装をしたコレタカを奇異な目で、すれ違う人たちが追い始めた。


 だが、彼が近づくと、不思議なことに、対象物などなかったような錯覚に陥って、誰もが興味をなくす。


 それとは正反対に、モーセが海を割いたごとく、彼のいく手を阻む人々が勝手によけてゆく。


 まわりの人々を不思議な力で操るコレタカ。本人はただ歩いているだけだったが。


 エレベータへ乗り、上階へと登り、両開きの扉から出て、白がやけに目立つ長い通路の角をいくつか曲がり、やがてガラス張りの部屋へとたどり着いた。


 近づいて、自分が映り込むほど綺麗に掃除されたガラスの向こう側を眺める。


 無機質な黄緑色の瞳で、針のような輝きを見せる銀の長い前髪を、しばらく動くこともせず眺めていたが、ふと小さな声でつぶやき、


「そうね……」


 長い足をクロスさせて、山吹色のボブ髪を両手で大きくかき上げると、不思議なことにその場からすうっと姿を消した――


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