愛妻弁当とチェックメイト/5
元気な顔を見せるチューリップの植え込みのそばで、独健の少し鼻声が間違えを素早く指摘する。
「突っ込むの、そっちじゃないだろう? またギリギリラインのボケして来て……。自分に『さま』ついてる。そこだろう?」
楽しげに飛ぶチョウチョたちの横で、貴増参は誓いでも立てるように胸に片手を置いた。
「慣れてしまったんです。もうひとつの名前で、『さま』をつけられるので、習慣ってやつです。いや、反射神経です」
油断も隙もないと思いながら、独健はもうひとつの名前を口にした。
「いやいや! 言い直したのがボケって、どうなってるんだ? 火炎不動明王さま!」
「その名前は他人行儀なので、貴増参でお願いしますね♪」
語尾だけ軽やかにスキップしたように飛び跳ねた。独健は話し出そうとしたが、途中でさえぎられた。
「俺とお前の中だから、貴って呼んで――」
「僕の話がまだ残ってるんです。ですから、キスで独健の唇をふさいで黙らせちゃいましょう」
キスされそうな男は膝の上に乗っていたお弁当箱を、勢いよく横向きで噴水へ向かって投げた。
「ダブルで飛ばしてきて!」
手裏剣のように公園の空中をどこまでも横滑りしてゆく愛妻弁当。だったが、すうっと消え去り、独健の膝の上にまたなぜか乗っていた。ツッコミが再開される。
「まず一個目。俺に『そういう趣味』はないんだっ!」
貴増参は驚くわけでもなく、あごに手を当て静かにうなずく。
「ふむ。次回以降の参考にさせていただきます。もうひとつは何でしょう?」
「お前、自分も言いたいことがあるのに、お前の口もふさがって本末転倒だろう! それじゃ!」
会話が崩壊の序曲を奏でるほどのボケ。貴増参の落ち着いているのに、柔らかな毛布みたな低い響きとともなって、次々に放たれる。
「あぁ、そうでした。僕としたことが、つい『びっくり』してました」
「いやいや、そこは『びっくり』じゃなくて、『うっかり』!」
「それでは、神業のごとく話を『うっちゃって』しまいましょう!」
「いやいや、『うっちゃる』は放り投げるの意味だろう! 聞いてほしいんだろう!」
とめどなく投げられるボケという大暴投を、華麗にジャンプをしてキャッチし続けた独健。全てをファインプレーで貴増参に返し、軽く息を吐いた。
「はぁ〜」
ひまわり色の短髪はかき上げられて、人の良さ全開で聞く。
「しょうがないな。何の話だ?」
しかし、独健の隣に座る深緑のマントをつけた男は、はるかに上手だった。
「実は軽い罠――です。君に自ら聞いてほしかったんです。僕の『言うがまま』を叶えて――」
「いやいや! 絶妙に合ってる気がするが、『言うがまま』じゃなくて『わがまま』、そこは!」
順調に進みそうだったが、またボケとツッコミが始まってしまった。男ふたりの間を、春風が桜の花びらを乗せて微笑ましげに吹き抜けてゆく。
貴増参はコホンと咳払いをわざとらしくして注目させる、独健の瞳と意識を。
「それはともかく聞いてください」
「どうしたんだ?」
聞き返す独健の純粋な若草色をした瞳の前に、突然白い紙袋が現れた。重力に逆らって浮かんでいる。それは宙を横滑りして、貴増参の手の中に収まった。カーキ色の癖毛を持つ優男は真面目な顔で言う。
「ゲットしちゃったんです」
袋の中身が想像できた独健は、お弁当箱のふたからはみ出している、ハートの形をした線の一部分へあきれ気味に視線を落とした。
「お前またか……。今日は何に心を持っていかれたんだ?」
「僕のハートを射止めたのはこれです!」
紙袋のカサカサとすれる音がしたあと、目の前に差し出されたものは、こんがりきつね色が丸を作る生地。その縁には、鉄板の灼熱をまぬがれた黄色の柔らかな線があった。
大々的に出された割には、よく見かけるもの。独健は訝しげな顔をして、その正体を口にする。
「はぁ? これって普通のどら焼きだろう?」
優男の方へお菓子が連れていかれるのを目で追っていると、カーキ色の癖毛が横へゆっくり揺れた。
「いいえ、違うんです。これは、この桜吹雪が目に入らないのか!通りにある、お花畑でランララ~ン♪庵のどら焼きです」
忌々(いまいま)しい固有名詞だと思いながら、独健は首を傾げボソボソと少し鼻にかかる声を、黒いロングブーツの上に降り積もらせた。
「そのネーミングどうなんだろうな? 笑い取ってるとしか思えないんだが……」
二色の髪の毛の上で、鳥のさえずりが少しの間くるくると舞っていたが、貴増参が仕切り直した。
「君のセリフは終わりましたか? 僕の話がまだ残ってるんですが……」
「独り言だから気にせずご説明をお願いします、貴増参さま!」
独健はわざとらしくふざけて言ったが、優男は春風に溶け込んでしまうほど穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。ご親切に話を振っていただいて……」
さっきのボケが再発。独健は形のよい眉をピクつかせて、心の中で猛抗議する。
(だから! また『さま』ついてるって! スルーしてくなって!)
若草色の瞳で、穴があくほど貴増参を見つめて訴えかけていたが、そんなことなどどこ吹く風で説明が始まった。
「あの百二宇宙の農場で、五年に一度しか栽培されない小麦を使用しています」
「あぁ、そう――」
うなずこうとした独健を、貴増参はさりげなく牽制し、息つく暇なくマイペースでどんどん続いてゆく。




