夢の欠片/5
翌日、七月十七日、水曜日。
梅雨の合間の晴れ間が、にわか仕込みの夏空に青を放っていた。この色があのマゼンダ色の髪に反射したら、ヴァイオレットになって、今も机の上に突っ伏して寝ている男子高校生を作り出している色のひとつになるのだろうか。
そんなことを考えていると、颯茄の視線は自然と、月へと向いてしまうのだ。恋とかそういうのではなく、彼女にとっては謎解きだ。月という男子生徒の小宇宙。
朝のホームルームが始まってもう少しで数分が経過するが、担任教師は珍しく遅れていて、教室はガヤガヤとしていた。だが、ガラガラと前のドアが開くと、
「静かにしにしろ」
いつもなら、先生が入ってくれば、静かになるはずのクラスメイト。それが今日は収まることはなく、颯茄のどこかずれているクルミ色の瞳からマゼンダ色の長い髪は消え失せ、教卓が映った。
するとそこには、背が非常に高く、誰がどう見ても好青年だと太鼓判を押すような青年が立っていた。
「転校生だ。はい、挨拶して」
結い上げた漆黒の長い髪。春風吹く陽だまりみたいに柔らかに微笑んで、好印象のハキハキとした声が教室に響いた。
「みなさん、初めまして。ボクは安芸 孔明と言います。神主を目指してます。少し他の世界も見たいと思って、この学校へ転校してきました。よろしく」
女生徒の黄色い声が悲鳴じみて上がった。
「きゃあっ! かっこいい!」
颯茄はそんな見た目ではなく、別のところに目がいっていた。どこかと問われたら、答えようがないが、誰からも好かれる笑顔をしている孔明をぼんやり眺める。
(何だか不思議な男子だな……)
ざわついたままの教室で、担任教師が颯茄の隣を指差した。
「席は花水木の隣だ」
女子生徒の憧れの眼差しを浴びながら、違う制服を着た青年はやってきて、椅子を引きながら、
「よろしくね」
ふたりの不思議な人物の登場で、颯茄は上の空で頭を軽く下げた。
「あぁ、はい。お願いします」
孔明は春風みたい柔らかに「ふふっ」と笑って、
「タメ口でいいよ」
同級生、クラスメイトに丁寧語。颯茄はハッとして、聡明な瑠璃紺色の瞳を初めて見た。
「あぁ、そう……だね」
だが、すぐに、昨日初めて見たヴァイオレットの瞳を思い出して、マゼンダ色の長い髪を斜め後ろからうかがい始めた。眠り王子の魔法を解いて、月を救う手立てを考えて――
「何見てるの?」
ふと声をかけられて、颯茄は気づくと、朝のホームルームはとうの昔に終わっていて、一時間目が始まっていた。
隣で頬杖をついて、穏やかな笑みを向ける孔明と視線が合い、慌ててブラウンの長い髪を横へ振った。
「あぁ、いや、何でもない」
「そう」
短いうなずきだけが返ってきて、颯茄はまたマゼンダ色の長い髪に興味を惹かれてゆく。何がどうなって、眠りの魔法を王子はかけられて――
「ねぇ、あそこでずっと眠ってる男子って誰?」
孔明がまた話しかけてきて、颯茄の瞳はマゼンダ色の長い髪と、凛々しい眉の両方を行き来する。
「漆橋 月くん」
自分の隣に座る女子の視線はずっと廊下側の席に座っている男子に注がれている。冷静さをたもったままで、「そう」と孔明はうなずき、あっけらかんと、
「付き合ってるの?」
見当違いも甚だしく、颯茄は授業中だということも忘れて、思いっきり聞き返した。
「はぁ?」
クラスメイトの視線が一気に集中した。数学の教科書を手にした教師から、注意が飛んできて、
「花水木と安芸、静かにしろ」
孔明は気にした様子もなく、明るくさわやかな返事を返した。
「は〜い!」
「すみません」
颯茄は気まずそうに、小さく頭を下げる。孔明は春風みたいに穏やかに微笑んで、悪戯少年みたいに舌をぺろっと出した。
「ふふっ。叱られちゃった」
颯茄は慌てて教科書とノートを机の中から引っ張り出して、シャープペンを握って、真面目に授業を受け出した。数式を書いていると、また孔明が話しかけてきた。
「彼、女性的で綺麗だよね?」
「うん、そうだね」
マゼンダ色の長い髪をちらっと見たが、さっきと同じでまったく動いていなかった。シャープペンを指の間に挟んだ孔明は頬杖をつく。
「いつ話しかけようかなぁ〜?」
「え……?」
颯茄は隣に座った、不思議な男子生徒二号の横顔をじっと見つめた。これが、不思議な雰囲気の理由だったのか。同性を好きと言うことが。




