夢の欠片/4
だが、凛として澄んではいたが低い響きがある、月の声が目を覚ますように問いかけた。
「君の家はこちらですか〜?」
我に返った颯茄は、駅へと続く道をはずれて、歩道橋の階段を一段登ろうとしていたところだった。慌てて、色とりどりの石畳に足を下ろす。
「おっと、危うく道を間違えるところだった」
「それでは……」
月が軽く会釈をすると、マゼンダ色の髪が夕日にきらめいた。腰までの長い髪を揺らしながら、それなりの肩幅のある背の高い背中が階段を登ってゆくのを、颯茄は見送る。
「あ、道の途中で眠るの危険だから、寝ないようにね!」
「えぇ」
振り返らず、今にもあくびをしそうなうなずきが返ってくる。
「じゃあ、また明日」
「えぇ」
階段を登りきり、歩道を進もうとする月は誰にも聞こえない小さな声で言った。
「気づかれなければよいんですが……」
帰り道が一緒になったのも今日が初めて。いつも眠っている男子生徒。颯茄は心配でしばらく階段の下に立ち止まっていた。
月の姿が見えなくなってから、全ての音も時間も正常に戻ったみたいに、颯茄の耳に目に音と景色が入り込んできた。だが、解決の兆しが見えたわけでもなく、彼女は歩道橋の下で立ち尽くす。
そこで、背後から急にキャピキャピボイスがかけられた。トントンという肩を叩かれる衝撃と一緒に。
「眠り王子に接近! ですね、先輩」
「うわっ!」
颯茄は大きく目を見開き、振り返ると、そこには一学年下の後輩、美波 知礼が意味ありげな笑顔をして立っていた。ほっと胸をなでおろしながら、
「知礼。どうしてここに?」
とぼけている黄色の瞳は疑いの眼差しを向けてくる。
「先輩こそ、一緒に帰る約束してて、忘れてたじゃないですか? 昇降口で話しかけようとしたら、眠り王子と一緒に歩いてるから、これは先輩にも春が来たんじゃないかと思って」
すっかり忘れていた。あの教室からこの歩道橋までを、美しき眠り王子の魅力という魔法にかけられて、颯茄はのこのことここまでついてきてしまっていた。申し訳ない気持ちで、後輩に聞き返す。
「あぁ、それで追いかけてきた?」
「違います。私の家はこっちです」
とぼけている感のある知礼だったが、意外としっかり者だった。颯茄があっけにとられているうちに、知礼は向こう側の歩道を歩いてゆく、マゼンダ色の長い髪を眺めた。
「不思議な人ですね。あ、電柱にぶつかるのを絶妙にかわしながら帰っていきます」
フラフラと人ごみを縫うように帰ってゆく月の後ろ姿を、颯茄も見つけて、出口の見えない迷路から脱出できるかもしれないと思って、後輩が落ち着きなく眺めている後ろ姿に問いかけた。
「あのさ。心理療法って家族とかも知ってるよね?」
「本人が拒否しなければ、治療内容は知ってる可能性が高いですね」
颯茄は歩道の隅に視線を落として、指を唇につけて考える。
「中学の頃から続いてる。やっぱり何かあるよね? それを両親も知らない……。何だかおかしい気がする……」
眠りの魔法をかけられた王子を救えるのか。その魔法を解く方法はどんなもなのか。何もかもがメルヘンティックでフィクションで、颯茄は茫然と立ち尽くすしかなかった。




