夢の欠片/1
昼間の風は温度だけは落ちて、湿度を残したまま、開け放っている廊下の窓から重りでもつけたようにもたれかかるようにそよそよと吹いている。
放課後もだいぶ過ぎた教室へ、ブラウンの長い髪を持つ少女は小走りに戻ってきた。
「あぁ、遅くなっちゃった。図書室で本読んでたら……」
ガラガラとドアを開けて、自分の机へと足早に近づいて、バッグをフックからはずそうとするが、焦っていて指先がもつれる。
「知礼、待ってるよね? 急いで急いで!」
何度かむちゃくちゃに動かしているうちにはずれ、少女は百八十度振り返って、ドアから廊下へ出ていこうとした。
「よし、帰ろ――あれ?」
人目を引くマゼンダ色の長い髪が教室の端に居残っていた。上履きはピタリと止まり、
「漆橋くん、まだ寝てる……」
まるで彼の存在がないように、明かりは全て消されていて、西にだいぶ傾いた微かな陽光に映し出される、彼の女性的な髪が手招きしているようだった。
「今までこんなことなかったのに……。あっという間に帰ってたよね?」
違和感を抱いた。いつもと違うことが起きている。それは何か対策を取らないといけないサイン。だが、どこかずれているクルミ色の瞳を持つ少女は簡単に片付けた。
「今日は疲れてるのかな?」
教室と廊下の境界線で、少女の上履きは行ったり来たり。長く続く廊下と限られた教室というふたつの空間。だが、共通点があった。
「ん~~? 廊下にも人はほとんどいない」
下校時刻をとうに過ぎていて、人影はまったく見えない。
「教室にももちろんいない」
眠り王子が一人。みんなに忘れ去られたように、机の上に突っ伏している。
「このままにしておいたら、明日の朝までここで寝てるかもしれないよね?」
少女の上履きは戸惑い気味に、机の間に一歩踏み出した、
「それは風邪引くね。起こした方がいいね」
だが、次の歩みが、机の脇に下げられていた、巾着袋の紐に引っかかり、
「っ!」
慌てて両手を机について、何とかまぬがれた転倒。ガタガタンと派手な音を響かせた。打ち付けたスネをさすりながら、そうっとマゼンダ色の髪をうかがう。
「今ので起きたかな?」
見つめること数秒。眠り王子は微動だにしなかった、白いワイシャツから出ている腕も、薄茶色のズボンの長い足も、上履きも止まったままだった。
かなり大きな音だと思ったが、熟睡しているようで、少女は斜め後ろからあちこちからのぞき込む。
「ん? まだ寝てる……」
今度は引っ掛けないように、慎重に近づいてゆく。そうして、光沢があり、可愛らしいピンクの髪の近くへやって来た。こんなそばでこの青年を見るのは今日が始めてだ。
男子なのに、ほのかな石鹸の香りがする。不思議な魅力に惑わされそうになりながらも、声をかけてみた。
「漆橋くん?」
「……ZZZ」
返ってくるのは、心地よい寝息ばかり。やりかけたことだ。ここであきらめて帰るのは心残りだ。少女は黒板に顔を向けて、ない頭を悩ませる。
「呼びかけただけじゃ起きない。どうしよう?」
一線を越える。いや、境界線を越える。そうでないと意味がおかしくなる。などと、少女は心の中で自問自答しながら、一言断った。
「ちょっと失礼して……」
マゼンダ色の髪に手をかけると、絹のような滑らかさで心地よさがめまいのように襲いかかる。だが、少女は煩悩を捨てて、肩を大きく揺する。
「漆橋くん? 漆橋くん?」
「ん~……」
寝起きの低い声が喉にジリジリと引っかかるのが、喘いでいるようで、そこに混ざる吐息は女性そのもので、ファンタジー世界の両性具有でも目の前にしているような気分に、少女はなった。大きく口を開けて、衝撃的で表情が大きく歪む。
(あぁっ! 遠くから見てただけだったけど、本当に綺麗だった。女の人みたいだ。お月様みたいな透き通った肌。このまま連れ去りたい……)
女子高生、男子高生を誘拐、監禁。性奴隷として……。どこまでも墜ちてゆく少女の煩悩という妄想は。




