気分転換はいかが?:雅威の場合
今日も書けない。そんな日々で苦しみながら、夜になると酒を煽る毎日。颯茄は片肘を気怠くカウンターに乗せ、ショットグラスを傾けていた。
背後から、優しい声がかかる。
「やあ、隣いいか?」
颯茄が振り向くと、椅子に手をかけた雅威がいた。
「いいですよ」
雅威が腰かけたのを見計らって、颯茄は声をかける。
「ビールでいいですか?」
「ああ、頼む」
妻は椅子から動かず、手のひらにビールが現れた。グラスを差し出した雅威に注ぐ。
「ビール党ですよね」
軽くグラスをぶつけ合うと、雅威は噛み締めるようにビールを飲んだ。
「そうだな。でも、たまには違うものを飲んだりする」
「気分転換ですか?」
颯茄に視界からショットグラスが消え、雅威の横顔が映る。
「それが、一番必要なのは、颯茄じゃないのか?」
「え……?」
いきなり話が振られて、颯茄は間の抜けた顔をした。
「小説進んでないみたいじゃないか?」
「まあ、そうです。みんなから言われてしまって、心配かけてしまってるなと反省です」
颯茄の視線は再びショットグラスへ落ちた。
「反省するところが間違ってるんじゃないか?」
「え、どこに?」
「こんなことになる前に、誰かに相談すべきだったかもしれないな」
「ああ、私苦手で、誰かの手を煩わせるのは」
みんなもそれぞれ仕事があって忙しいわけで、子育てもあるわけで。頼りたくないわけで。
沈んでゆく颯茄に、雅威が救いの手を差し伸べた。
「誰も煩わしいなんて思わないだろう。逆に待っているんじゃないか?」
颯茄は胡散臭そうに言う。
「そう言うものですか?」
「そうだ」
「じゃあ、雅威さんは今、嬉しいですか?」
本心を知りたい。みんなが望んでいるなんて、嘘みたいな話だ。
「はは、そうだな。妻の悩みを聞けてるんだからな。俺は幸せ者だ」
「大袈裟ですよ」
颯茄は軽く肘で、雅威を突いた。彼は相変わらずの優しい笑顔で、
「そうか? つい最近までは、俺は一人で暮らしてた。こんな大勢に囲まれて生きてくなんて思ってなかったからな」
「うちはパパっ子が多いから、旦那さんたちがたくさんいることが、ありがたいです。そのお陰で、仕事に没頭できます」
ついつい甘えてしまう。そんな颯茄に雅威が喝を入れる。
「没頭しすぎもまずいだろう」
「確かに、没頭しすぎて、他のことに目が向きませんでした」
ひとつのことに集中する時間は大切だが、それひとつきりになってしまうと、人生がどこか狂ってしまうようにできているのだ。颯茄は今日初めて知った。
しばらく取り止めのない話をしていると、さりげなく雅威が切り出した。
「今夜、俺の部屋にどうだ?」
「行きます。ありがとうございます」
お礼を言う颯茄は颯茄らしい。そう思って、雅威はついばむようなキスをする。
「ん……」
「仲良しさん!」
まわりで遊んでいた子供たちは、パパとママがキスをしているのを見て、パチパチと手を叩いて大喜びした。




