庭先へ:張飛の場合
一度しか寝たことのない張飛はちょっと緊張しながら、酒を煽っている颯茄のそばへやってきた。
「ちょっといいすか?」
「はい」
「庭にある池に行かないっすか?」
精一杯考えたムードのある場所。
「ああ、鯉が泳いでる池ですか?」
「それっす」
「じゃあ、玄関で靴履いて――」
颯茄は飲んでいる酒をそのまま、席と立とうとした。そんな彼女の仕草を見て、張飛はひどく胸が痛んだ。
「重症っすね。それは必要ないっす。この世界は汚れないんすから」
「そうでした」
永遠とは、綺麗なものは綺麗なまま。劣化は決してしない。
急に闇色になった視界に、張飛の明るい声が響く。
「地上のことに囚われすぎっすよ」
「そうですね」
「もっと自由に、気長にやればいいっす。俺っちだって、色々失敗したっすけど、今では教師やってっすから」
「確かに視野が狭くなってたかも」
「空は飛べるし、物は手を使わなくて移動できる。自分自身もっす」
「忘れてました。そんな重要なことを」
他人から奇書と言われようが、颯茄にとっては特別でもなく、普通なのだ。この世界の人にとっては、当たり前のこと。
「書けるようになりそうっすか?」
張飛はさっきから、抱きしめようかどうか、ひどく迷っていた。肩を抱き寄せようとすると、颯茄が話し出す。
「セリフが出てくれさえすれば」
「それは神の領域っす。俺っちには何もできないっす」
密教に興味がある張飛。彼らしい言葉だった。
「最近、お祈りサボってたからな。それが原因かも」
確かに言っていない。『今日という日を無事に迎えられて、感謝しています』とか、『今日という日を無事に終えられて、感謝しています』など。
忙しい毎日に流されるまま、感謝もせず生きていると、物を作る人間にはスランプがやってくる。なぜなら、物を作っているのは神様なのだから。人間はそれを受け取るだけだ。本当に作ってはいないのだ。
神様から勇気を与えられた張飛は、颯茄の背後から優しく両腕を回した。妻の手はそれを柔らかく包む。
「なら、それをすればいいっす」
「張飛さんは優しいですね」
「よく言われるっす」
張飛は照れた感じで頭を少しだけかいた。颯茄は抱きしめられたまま、さまざまなことを考えた。もし、違ったことをしていたら、あれをしていたら、迷惑かけなかったのかもしれないと。
張飛の知らないところで、颯茄の涙が一粒風に連れ去られた。張飛は抱きしめる腕に力を入れて、二人はしばらくそのままだった。
「そろそろ部屋へ行きますか?」
「はい」
張飛のぬくもりが、一人ではないと言っているようで、颯茄の涙はいつの間に乾いていた。
次に現れたのは、赤や金を基調にした部屋で、槍などが壁に立てかけてある。抱きしめたまま瞬間移動してしまい、そのまま張飛は颯茄の耳元で囁いた。
「俺っち、そばにいることが少ないっすけど、いつも応援してるっす。愛してもいるから」
「はい、わかってます」
「電気消しますよ」
「はい」
自動で電気は消え、二人きりの時間がやってきた。
「ん……」
張飛の熱い口付けが颯茄に降り注いだ。




