嘘つき:光命の場合
颯茄が玄関に程近い階段を降りていると、光命が浮いた状態で現れた。
「外に出ませんか?」
「はい」
二人は大きな噴水の淵へ腰掛けて、話を始める。
「小説は順調ですか?」
「……あぁ、はい、一応」
心配をかけたくない颯茄の返事は少し出遅れた。
「なぜ、嘘をつくのですか?」
光命の瞳に映った自分を見て、颯茄は後ろめたい気持ちになる。
「どうして嘘ってわかるんですか?」
それでもうなずかない妻。光命ははっきりを告げた。
「聞いたのです、貴増参から、あなたがスランプに落ちいいっていると」
「そうですか。二足の草鞋を履く宿命なのかもしれません」
二人の会話は途切れた。二つ職業を持つことは二倍にも三倍にも負担が重なるだろうと、光命は心を痛めた。
噴水の涼しげな音が、二人をそっと包む。夫婦でやれることはまだあるだろうと、神様が言っているように。
口火を切ったのは光命だった。
「音楽のほうは無事にマスタリングを終え、発売間近です」
「それは『あかんべー』ですか?」
「えぇ、そうです」
「心配かけてすみません」
颯茄は深々と頭を下げるが、光飲み頃は首をゆっくりと横に振る。
「そうではありません」
「どういうことですか?」
「音楽をやっていたから、小説を書く感覚を忘れてしまったのではありませんか?」
「確かにそれはあると思います」
物を作ると言う点は一緒だが、右脳と左脳を使い分ける必要のある分野たち。颯茄には限界がきていた。
「あなたがやっていることですから、私はとやかく言いませんが、切り替えるきっかけというものを見つけてみるのも手だと思いますよ」
「切り替えのきっかけ……」
「私の場合、同じ音楽になってしまいますが、ピアノの曲と歌ものの曲は、気持ちを切り替えていますよ。そうでなければ、ピアノでいいメロディーと歌ものでいいメロディーは違うことが多いですからね」
「光さんはデジタル思考だからやりやすいと思います。でも私は違うので……」
颯茄の声は小さくなって、途中で途切れた。光命は妻の長所を口にする。
「あなたも理論はできるではありませんか。少し疲れているみたいですね。自身を卑下するなんて、あなたらしくありませんよ」
「そうですね」
「泣いているのですか?」
「はい」
この妻は声を出して泣くことはない。涙がこぼれないように上を向いて、目の淵に溜まり切れなくなった涙を一筋静かにこぼすのだ。もう何度見てきた。
涙で揺れる瞳のまま、颯茄は深くため息をつく。
「少し……いやかなり疲れました」
色々方法は試してみた。しかしどれもうなくいかない。胸を詰まらせながら、彼女はまた一粒涙をこぼす。
神経質な手をそっと差し伸べ、光命は舞踏会へ誘うように言った。
「今夜は私と一緒に眠りませんか?」
「ああ、はい」
「死ぬほど愛してあげます」
「この世界は死なないです」
天国にいるのにこんなこと言うなんて。二人してくすくす笑って、甘いキスをした。




