瞬間移動で腕の中へ:孔明の場合
さっきから部屋にはパチパチとパソコンのキーボードを叩く音が響いていた。
しかしすぐに止まって、何行か開けられて、また文字が打たれ始めるを繰り返している。
カーテンは開けっぱなしで、部屋の主は小説に没頭していたが、とうとう集中力が切れた。
「あぁ〜、わかんない。ここのセリフ、孔明さんだったらどういう――」
そこまで言った時、颯茄は部屋から消え去った。
「――の?」
言葉の呟きは部屋に閉じ込められたものではなく、どこまでも広がっていった。
「あ、あれ?」
急に暗くなった視界に、颯茄はひらめく。
「誰かに瞬間移動かけられた。誰に?」
「ボク」
声のしたほうへ向くと、白い布が闇色に染まっていた。
「何で、急に移動させたの?」
あれから色々あって、丁寧語からタメ口に颯茄は変わっていた。
「ボクのこと考えてなかった?」
「考えてたけど、どうしてわかったの?」
「ふふっ。それは秘密」
「大先生の頭の中はどんな計算式になってるんだ!」
どうやったっておかしい。
だが、妻はそんなことは放っておいて、今連れてこられた場所を見渡す。
「っていうか、どうして屋根の上にいるの?」
遠くには首都の街が宝石箱をひっくり返したようなイルミネーション。空中道路を走る車のテールランプ。ここは住宅街で、車はあまり走っていない。
孔明は空を見上げる。そこには満天の星が広がっていた。キラキラと輝く。
「星、綺麗でしょ。これを見ながら飲むと、疲れが吹き飛ぶの」
「この星をいつも、我論や尋は見てるんだね」
「あの星にもボクたちと同じように人が住んでて、毎日悩んだり、笑ったりしてるんだよ」
「そうだね」
世界は広い。自分の悩みがちっぽけに、颯茄は思えた。
酒には強い孔明。今日もきつめのを飲んでいて、ほろ酔い気分。颯茄にいきなり抱きついた。
「颯《りょ〜》ちゃん、お疲れ様」
「あれ、何で知ってるの?」
「もう、颯ちゃんは忘れちゃうんだから」
「忘れた?」
「瞬間移動しようとする物や人の状態はいつでも、こっちから見えるんだよ。ブロックされなければ」
「あぁ、そうだったね」
パソコンに向かって、パチパチと文字を打ち込んでいるのが、夫からは丸見えだった。
「颯ちゃん、のんびりしてる〜」
「孔明さんと話すと、のんびりしてくるんだよね、いつも」
「チューする?」
孔明は可愛く小首を傾げた。颯茄は恥ずかしくなる。
「……うん」
唇が触れると酒の甘い匂いと、焚き付けた香がふわっと広がった。野外で夜。開放感満載の風景に、夫婦二人が寄り添う影が浮かび上がる。何度目かの軽いキスのあと、孔明がねだった。
「もっとする?」
「する」
孔明はすっと立ち上がって、手を差し伸べる。
「じゃあ、ボクの部屋に行こう? 外が見渡せるから、開放感があるよ」
「あれは外じゃなくて、正確には部屋の中にある庭!」
颯茄が言ったあとすぐに、二人の姿は屋根から消え去った。スマートに瞬間移動である。
次に現れたのは、柔らかなベールを敷いてあるベッド。薄暗い中で、唇だけがやけに熱く感じる。
「ん……」
孔明が颯茄を背中から抱きしめると、彼女は彼にすっぽりと覆われた。
「うねうねしていい?」
「うん、いいよ」
夫婦だけの暗号。
「ありがとう、颯ちゃん」
孔明はさわやかに微笑んで、颯茄をベッドへそっと押し倒した。




