Time of repentance/7
「――崇剛?」
触れる寸前で、春風が吹いたようなふんわりした男の声が、聖堂に響き渡った。崇剛は我に返り、まぶたをさっと開けると、ナールの姿はどこにもなかった。
「おや? なぜ、こちらへきたのですか?」崇剛が参列席から立ち上がると、黒い神父服の上で、銀のロザリオがゆらゆらと揺れた。
「ボク、ここらへんよく知らないから、一緒にお散歩しようと思って」
ダルレシアンの聡明な瑠璃紺色の瞳の中で青が降る。身廊を歩いて、落としてしまった聖書を拾い、崇剛は白い着物を着ている魔道師を見た。
「坂道を歩くのですか?」
「崇剛は運動不足だって、涼ちゃんから聞いたんだけど」
屋敷の主人の瞳は、今や猛吹雪が吹き、瞬間凍結させるような冷たさだった。
「なぜ、自身の敷地内をわざわざ歩くのですか? 非合理的です」
ルールはルールだ。旅先で歩くことは意味があるが、新しい発見がほとんどない、家の中を歩くとは――しかも小高い丘の上に建っている屋敷。坂道ばかり。
「――それは登りたいやつがもう一人いるからだ」はつらつとした鼻にかかる声が響き渡った。
「涼介……?」洗いざらしのシャツに、ホワイトジーンズを着た執事が入り口から顔を出していた。足元には小さな人も。
「せんせい、おそと、いっしょにいこう?」
「リムジンで下まで丘を降りて、歩いて登ってきたら、冷たいアイスティーが待ってるぞ」
大富豪の贅沢な遊びであった。
「なぜ、父親であるあなたは行かないのですか?」どうしても行きたくない崇剛。
「俺はご主人様の帰宅を待ってる、従順な執事だからな」
立場を利用してくるとは、執事に対する面白味は、主人――策略家の中で増した。
「あなたは私の執事なのですから、坂道を登ってきた感想を、主人である私にぜひ教えてくださ――」
執事にバトンタッチしたかったが、瞬の表情が曇った。
「せんせい、いかないの?」
純真無垢なベビーブルーの瞳を見つけると、情を持ってしまったのだと、崇剛は気づいた。優雅な笑みは穏やかな陽だまりのように変わった。紺の長い髪が背中で横へ揺れる。
「いいえ、構いませんよ。ですが、着替えをしてきますので、玄関ホールで待っていてくれますか?」
「わかったー!」瞬は右手を元気に上げて、教会の中を走り出して、魔導師のそばまでサッとやってきた。
「ダルレおにいちゃん、いっしょにげんかんまでいこう」
「じゃあ、魔法で行こう」ダルレシアンはそう言って、瞬を抱き上げた。
「やったあ!」
瞬の声が聖堂中に響くと、ふたりはパッと姿を消した。
「俺も玄関で、ご主人様の見送りをするから、先に行ってるぞ」涼介は言い残して、教会の扉はパタンと閉まった。
一人きり。崇剛は祭壇から青いステンドグラスを見上げ、神を感じる。
「今までの日常は変わってしまったのかもしれませんね。よい意味で」
黒い神父服は振り返って、教会から出ていった。




