始まりの晩餐/7
「可愛らしい人ですね、瑠璃さんは」まるで子供を見守るような温かな眼差しで、崇剛は手の甲を中性的な唇に当てくすりと笑った。
置いてけぼりを喰らっている、彰彦と涼介。カラのショットグラスに、彰彦はジンを注ぎながら、缶ビールの二本目を開けようとしている涼介に問いかけた。
「ビールしか飲まねえのか?」
昨日の晩――カクテルの名前を列挙していた執事。酒が好きなのかと思いきや、違うのか。
涼介の瞳には、向かいの席で楽しそうに話している瞬が映っていた。
「本当は他のも、勉強のために飲みたいんだが、瞬を風呂に入れたりしないといけないからな。酔っ払うわけにはいかないだろう?」
まさか主人に面倒を見てもらうわけにもいかない。小さな瞬とほとんど一緒に過ごす毎日だが、それはそれで幸せだと思うと、涼介は少しだけ視界が涙でにじんだ。
「そうか」彰彦は何気なく返事をして、ジンのふたをくるくると閉め、
「おう、瞬?」
横顔を見せていた瞬は少し驚いて、不思議そうな顔をこっちへ見せた。
「なに?」
「オレと一緒に風呂入っか?」
「うん、はいるはいる! ふふ〜ん♪」瞬はピアノを弾くように指を動かしてご機嫌になった。
この男の優しさなのか――。涼介はそう思ったが、執事は情にもろい性格だった。
「お前、仕事で疲れてるんだろう?」
「大人がこんだけいんだからよ、少しは甘えてやりてえことやれや」
彰彦は手の甲で、涼介の腕を軽くトントンと叩いた。この男はまだ二十八だ――。やり直しはいつだってできるが、早いことに越したことはない。
「そうだな。サンキュな」
涼介はありがたみが身にしみて、そう言うのがやっとだった。ビールが今日はやけにおいしい。
しかし、感動できたのはそこまでだった――。
手についていたパンのカスを落としていた、瞬がパッと表情を明るくさせた。
「あ、そうだ! せんせいとダルレシアンおにいちゃんもいっしょにはいろう。みんなでなかよし〜♪」
子供の無邪気な発言だったが、彰彦の脳裏に浮かんだ――男四人が一緒に風呂に入っているところが――
「そいつはやばいぜ」
ぼそっと彰彦の独り言が食卓に舞うと、
「え……?」瞬はぽかんと口を開けた。
いつの間にか額に手を当てて、顔が青ざめていた涼介が、
「それは大人になってからがいいな」
ボケてんのか――。執事の妄想が暴走していたとは知らない彰彦は、ショットグラスを少し乱暴にテーブルへ置いた。涼介に喝を入れるように。
「大人になってからのほうが、もっとやべえだろ」
向かいの席で展開されている話についていけず、瞬は丸い目をパチパチと瞬かせていた。
ビールを飲んだグラスの縁を、指先で拭いながら、ダルレシアンは大人の話から小さな子供を救出する。
「毎日変わりばんこに入ろうか? 瞬」
純真無垢なベビーブルーの瞳はみるみる輝いていった。
「うん! せんせいは?」
ずっと一緒に暮らしていて、いろいろなことを教えてくれる先生。どんな理由があるのかは知らないが、超えられない壁がある――瞬は子供ながら感じ取っていた。
懐中時計に冷静な水色の瞳を落とすと、いつもよりも食事の時間が伸びていた。こんな賑やかな食卓は、故ラハイアット夫妻が亡くなって以来、今までなかった。
心が温かい――。そうしてくれたひとりは、自分の返事を待っている小さな人であることは紛れもない。
瞬は私が気づかないことを教えてくれる――。氷河期のようなクールさではなく、崇剛の優雅な微笑みは、今はどこまでも暖かな陽だまりのようだった。
「一緒に入ることができる時は入りますよ」
「やったあ!」瞬は両手で万歳した。
食事も少しずつ減ってゆき、プリンに手をつけ始めるまで、涼介と彰彦は時々話の波に乗れずにいた。テーブルの上でまったく手がつけられていない料理を、涼介はため息まじりに見つめる。
「瑠璃さまの言葉が抜けてるから、話がわからない。いつもの夕食だ」
ひとりだけ、ポツンとはぐれてしまう。しかし、今日からは違うのだ。




