お礼参り/12
主人を喜ばすために罠にわざとはまるような涼介だ。やはりタフなのだった。主人と執事は主従関係が成り立つが、自分と同じようにガタイのいい男とは、ただの同居人だ。遠慮はいらない。
「お礼参りだ」
敏腕刑事は黄昏た感じで言った。五歳児のパパとして平和に生きている涼介は、意味がふたつあるとは知らず、
「何だ、それ? 祈願したことが叶って、神社とかにお礼にいく、あれのことだろ?」
表向きのほうを思い浮かべた。
「やあさんがやり返すほうの意味だ」
「何に対してだ?」
主人は外でも罠を仕掛けていたのかと――涼介は訝しんだ。
彰彦の視線は寂しげに玄関の床へと落ちて、「オレが惚れてんのに、振りやがったからよ」
涼介は思いっきり聞き返した。
「はぁ? 彰彦が崇剛を好き――」
「オレはゲイだからよ」彰彦は強烈なパンチを昼間にくらって、少しは吹っ切れていた。今日から自分の家となるここでなら、カミングアウトしてもいいと思った。
涼介は険しい顔をして、誰にも聞こえない小さな声でぶつぶつと言う。
「絶対ここ、おかしい……。バイセクシャルにスピコン……BL……」
「あの悪戯坊主はどこだ?」
「悪戯坊主……?」涼介は彰彦の腕の中にいる主人をじっと見つめたが、話が合わないとすぐに気づいて、「誰のことだ?」
彰彦は今度、天井にあるシャンデリアを見上げ、考えながら、
「あぁ〜、何つったか? 名前と髪長えやついんだろ? オレは崇剛じゃねえから、一回で覚えられっか」
主人よりも巧妙な罠を仕掛けてくる魔導師を、涼介は思い出した。
「もしかして……彰彦もダルレシアンに罠を仕掛けられたのか?」
彼も確かに漆黒の長い髪をして、主人に負けず劣らず、クールなイメージ。それなのに、春風にみたいにふんわりと微笑むものだから、普通に会話をしていると思ったら大間違いで、気づいた時には取り返しがつかない。ある意味もっとも恐ろしい人物だ。
「オレとライバルだって言いやがった」
外国語だったが、あれは告白であり、宣言だった。
涼介は何とも言えない顔になり、再びぶつぶつとひとりごちた。
「この三角関係がこれから毎日、屋敷で繰り広げられるのか。やっぱりおかしい……」
執事が知らぬ間に、男ばかりの人間関係は複雑化していた。
彰彦のブルーグレーの瞳はあちこちを見ていた。噂の人物がさっきから現れないものだから。
「野郎、どこにいやがる?」
「寝てる。疲れてるんだろう。半年も同じ部屋に入れられたままだったんだからな」
「だな」
彰彦が同意すると、ふたりとも黙り込んでしまった。
シュトライツ王国は崩壊して、行方を探されている、あの男は誰よりも大胆な作戦を、冷静に着実にやってのける。しかも、自身の身柄を引き換えに、多くの人を解放したのだ。平気なふりをしているだけで、本当は違っているのかもしれなかった。
だが、やはりタフなのだ、ダルレシアンも――。
ガス灯の燃えるゴウゴウという音が何度か風で揺れたあと、彰彦が口の端をニヤリとさせ、沈黙を破った。
「涼介、崇剛とオレの三人ですっか?」
感覚的な執事は今頃、情報をひとつ忘れていることに気づいた。少し鼻にかかる声が玄関ホールにこだまする。
「待った! 彰彦も酔っ払ってるだろ。そこで、意味のわからない組み合わせにするな」
「バーは酔っ払いに行くとこだ」
彰彦も酔っているのだ。ジンのショットを二杯飲んだ上に、グリーン アラスカまで飲み干したのだから。
「さっきから、話し方がおかしいと思ったら……」
アラフォー間近の男からからかいが、二十八歳の執事にお見舞いされる。
「襲ってやっか、今からよ、崇剛を」
「冗談にならないからやめろ!」瞬発力よく、涼介はさっと右手を出して、主人の身を案じた。
十歳の人生の差とはこうも出るものかと、彰彦は思って口の端でニヤリとした。
「分別はあるっつうの。オレの罠にまで簡単にはまんなよ」
さっきから黙って聞いていた、崇剛は心の中で優雅に降参のポーズを取った。
(おかしな人ですね、あなたたちは。私の意思はどちらへ行ったのでしょう?)
自分の腕の中で、少しだけ揺れた瑠璃色の貴族服を感じながら、彰彦のウェスタンブーツは涼介の横を通り過ぎ始める。
「崇剛の部屋どこだ?」
昨日行ったはずだが、慌てていたわ、いろいろあったわ、酔っ払ってるわで、もう覚えてはいない。




