お礼参り/11
崇剛には意識がきちんとある。手をつかまれている。戸惑いと迷いが、彰彦の心の中で混沌のように渦巻く。相手は何とも想っていない。力を入れることができない。だからと言って、振り払うこともできない。このまま引き寄せることもできない。
チェックメイト――完全に心霊探偵にエレガントに、ノックアウトされた。手を離すという選択肢が選べなくなってしまったのだ。
九時まで、このままふたりきりってか。
微妙な距離感のまま、崇剛と彰彦は迎えのリムジンがくるまで、懺悔と恋心というふたつの感情の狭間で揺れながら、時間だけが静かに流れていった。
*
帰りの遅い主人を心配して、玄関に何度も様子を見にきていた執事――亮介の前に、気を失っている主人を運び込んできた彰彦が現れた。事件発生である。
「っていうか、崇剛、どうしたんだ?」
メシアの影響でよく倒れる主人を、執事はとても心配した。
崇剛から運転手へと伝言されたこと――タメ口で話せが、きちんと行き届いていたことを確認すると、彰彦は口の端でふっと笑い、
「酔い潰れやがった」
フリしてるだけだ――がつく。と、彰彦は心の中で声を大にして言った。
主人が酔っ払って倒れるなど、あのダーツをした日以来だ。
「どこに行ってきたんだ?」
嫌な予感がする――涼介は胸騒ぎを覚えた。
「バーだ」と答えながら、彰彦は心の中で盛大に文句を言う。腕の中にいる策士に向かって。
崇剛の野郎、未だに続くような罠仕掛けやがって――
リムジンまで運ぶという暗黙の了解だと思っていたが、屋敷へ到着して何度も起こそうとしたが、本当に眠ってしまったのか起きる気配がまったくなかった。仕方なしに、今もお姫様抱っこをしているというわけだ。
気つけ薬として、ブランデーを飲ませただけで、BL罠を発動される執事は違和感を抱いた。
「ん? 崇剛が自分で飲むはずがない。彰彦、お前、何飲ませたんだ?」
執事と客という立場が崩れて、同居人となってゆく。彰彦は自分と同じで、涼介は感がいいと思った。
「当ててみやがれ」
ベルダージュ荘のコックでもある涼介は、カクテルの名前を上げ始める。
「マルゲリータとか? 確か昔少し調べた時、そんな名前を見たことがある……」
テキーラベースのライムジュースが入ったカクテル――
「ジュースが入ってるやつなんか飲ませるかよ」
(崇剛、酔わせるのに手加減なんかすっか)
男と男の策とパンチの交わし合い。それでなくとも、今こうして罠によって両腕が苦痛に襲われているというのに。
正直で素直なベビーブルーの瞳の持ち主は、人の名前を上げた。
「アレキサンダーとか? 生クリームが入ってて、ケーキみたいな味がするとか書いてあった気がする……」
ブランデーベースの甘いカクテル――
「マニアックなとこついてくんな」
そういう彰彦が、さっきバーで頼んだものは、さらに上をゆくほど、ほとんど名前が知られていないものだった。
涼介は面倒臭くなり、正直に聞いた。
「何だよ?」
「グリーン アラスカだ」
優雅な玄関ホールに、彰彦のしゃがれた声が響き渡った。
「それは初めて聞いた。何が入ってるんだ?」
涼介は気になった。料理を作る身として、単純に気になった。
「オレの好きなエキュベルのジン四十二度と、グリーン シャリュトリュースっつうリキュール五十五度を、シェイカーでただ振っただけのカクテルだ」
彰彦がノックアウトされたい時に飲む酒のレシピだった。
炭酸水やジュースといった割る物がない酒。涼介は顔をしかめる。
「強烈過ぎだろ、それ。お前、絶対あとで崇剛に叱られるぞ」
執事は知らない。主人が酔ったふりをしているとは。
刑事として屋敷を訪れている間に、主人が執事を叱るような場面に出会したことがなかったが、勘のいい彰彦は崇剛の意図がよくわかった。
「お前さん、何年、崇剛の執事やってんだ? 叱ってんじゃなくて、罠仕掛けて遊んでんだろ。そろそろ気づきやがれ」
指摘してやったのに、涼介は驚くこともせず、
「それは知ってる。それより、話をもとに戻せ」新しい同居人に指図した。
主人も主人なら、執事も執事だ――と、彰彦は声には出さなかったが、珍しく笑った。




