お礼参り/10
一匹狼で、挑発的、情熱という原動力で、次々に迫りくる事件や、時には立ちはだかる壁を、拳で打ち砕き生きてきた兄貴。そんな男が、髪が長い女性的に見える男に、やられたと言う。バーテンダーは不思議そうな顔をする。
「何すか? それ」
国の犯罪を取り締まる機関――治安省の花形――罪科寮で、敏腕刑事だった彰彦は彼らしい言い回しをした。
「お礼参り――ってか」
やられっぱなしじゃよ、フェアじゃねえだろ。
らよ、オレもやってやって、同じ立場ってか。
一緒に住むんだからよ。
がよ――
何を言っても、今日の兄貴は止められない。そう思って、バーテンダーはガックリと肩を落とした。
「裏貸せよ」
魔除けのローズマリーの香りが立ち上って、スパイシーな刺激が彰彦の臭覚を刺激する。
酔わせたのは、オレの責任だからよ。
面倒みてやんねえとな。
崇剛を支えたまま、兄貴肌の彰彦は葉巻を灰皿の上で離した。
「っ」ジーパンの長い足は高い丸椅子からスルッと斜め後ろへ出る。ウェスタンブーツのスパーが床に触れた衝撃で、カチャっと鳴った。男らしい腕は崇剛の線の細い体を軽々とお姫様抱っこをした。
ビューラーで巻いたみたいな綺麗なまつ毛と、中性的な少し柔らかな唇を間近で見つめ、彰彦は鼻でふっと笑った。
「オレの前で、無防備に酔っ払いやがって……」
カウンター席を横へ、重力に逆らえずに落ちている紺の髪がゆらゆらと運ばれてゆく。黒い暖簾のようなものが下げられている従業員オンリーの領域へ入り込んだ。
酸化した油の匂いが染み込む狭いキッチンの隅っこ。両腕がふさがっている彰彦は、足で丸椅子をいくつか並べ、その上に崇剛をそっと下ろした。
そうして今ようやく気づいた。罠にはまったのは、崇剛ではなく、自分だったのだと――。
鋭いブルーグレーの瞳はいつもよりも増して、刺し殺しそうなほど鋭くなり、優雅に気を失っている男に向けられた。
わざと酔いやがったフリしてんだろ、てめえ。
可能性でオール図ってる野郎が得体のしれねえモン、簡単に口に入れるわけねえ。
によ、一気に飲まねえだろ。
何飲んでも酔わねえんだな、てめえ。
まだ巻きついている筋肉質な腕の感触を背中で感じながら、崇剛は目を閉じ続ける。
わざとあなたのほうへ倒れましたよ。
私が瑠璃を愛した時、彼女に触れたいと思いました。
ですから、あなたも私に触れたいと願っている可能性が96.56%――
リングに何度沈めても、冷静な頭脳を使って必ず立ち上がってくる。頑丈さやはいつくばり、しがみつくという努力とは無縁に見える崇剛。だが、この男もタフなのだ。優雅で貴族的な物腰なのに。彰彦は手応えのある男を前にして、ふっと笑った。
お前さんなりの気遣いってか。
らよ、そそられんだよ。
彰彦は近くにあった椅子に座り、介抱しようと崇剛から手を離そうとした。
「ん……」寝返りを打ったふりをして、崇剛はそのまま彰彦の手を自分の体の下敷きにするように引っ張った。
冷静に判断している私は、理性が常に働いているので酔わないのです。
ショートカクテルのような強いお酒を飲んでも。
しかしながら、酔うという可能性が少しでもある以上、神父の私は飲みません。
「っ……」崇剛の急接近に驚いて、彰彦のカウボーイハットは床に落ちた。ブルーグレーの瞳は床と瑠璃色の貴族服の間で彷徨う。
神父さんも懺悔ってか?
背を向けて、紺の髪に隠れてしまった崇剛の表情は見えなかったが、この男のことを知っているからこそ、今何を考えているのかよくわかった。瞳を閉じたままの崇剛のこめかみに、涙がひとつこぼれ落ちる。
私はあなたを傷つけた。
そちらの罪を償っていかなくてはいけません。
ですから、私を彰彦に運んでいただくことにしましたよ。




