お礼参り/8
レコードに針が落とされ、ブツブツという雑音が響くと、ピアノの音が滑らかに低音から高音へ向かって滑り、エレキギターのシンプルなルート音が伸び、黒人女性の力強く歪みのある声が歌い出した。
クラシックばかり聴いてきた崇剛にとっては、R&Bは未知の音楽で、歌詞を追い続ける。その間、ふたりは何も言わず、彰彦は青白い煙を上げていた。
曲が終わると、崇剛がふと口を開いた。
「男性に振られ、再び彼が戻ってきましたが、彼女は部屋から出て行ってと言い、振る歌なのですね」
強がりも少々入っているのかもしれないが、女は意を決して恋を終わりにしたのだった。
バーテンダーが気を利かせて、もう一度最初から曲が流れ出した。彰彦はいつもの挑戦的で意志の強いブルーグレーの瞳だったが、涙で視界が揺れる。
「この歌詞の意味を知った時よ、女郎ってのは野郎よりもずいぶんストロングな生き物だって思ったぜ」
野郎ってのは弱えな。
実際、今日なってみてよ。
オレはこんな風にファイナルにできねえ……。
崇剛は直視はしなかったが、視界の端でタフなふりをしている男を見ながら、「そうですか」いつものように、ただ相づちを打ったが、ひどい後悔の念に襲われた。
私は情報を得たいばかりに、あなたを傷つけたのかもしれない――。
自分を愛している男に、昼間した断り方が間違っていたのだと、今頃気づいた。
ふたりには見えないように、三人の天使が店のテーブル席についていた。
足をきちんとそろえ斜めに構えるラジュは女性的。カミエは大きな岩のように絶対不動。ゴスパンクのロングブーツを華麗に組んでいるシズキ。彼らはそれぞれの酒を傾けながら、静かにことの成り行きを見守っていた。
選択肢はいくつもある。崇剛が選ぶもので未来は変わる。ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンはあご近くで止まっていて、
(そうですね……?)
持ち主のデジタルな頭脳の中で、天文学的な数字の膨大なデータが、滝のように流れ出し、必要な物を導き出し、
(こうしましょう――)
ひとつの未来が選び取られた。ラジュ、カミエ、シズキはあきれた顔をする。優しさという悪戯――罠が展開するからだ。崇剛は結局、悪戯という快楽から逃れられない、ある意味弱さを持っていた。
彰彦が店に入ってきた頃、バーテンダーとやり取りをして、チェイサーを断っていたことを、崇剛は当然覚えていた。優雅な笑みで策を隠し、一緒に暮らすこととなった男に初めての罠を仕掛ける。
「他には何を飲むのですか?」
心霊探偵と心霊刑事の間に、仕事上という制限が取り除かれ、自由という新しい盤上でスタートする。
彰彦は紺の後れ毛を鋭いブルーグレーの眼光で捉え、
「あぁ、オレか?」
「えぇ」情報漏洩をさけようと、崇剛は最低限の言葉で返した。
罠か――この男がまともに話してくるとは思えないが、
「だな……」彰彦は青白い煙を吐きながら、昼間言われた言葉を鮮明に思い返した。
『性別に関係なく、人を愛することは非常に尊いものであり、素敵なことです』
『残念ながら、今のところは、私はあなたの気持ちに応えられません』
ボッコボコに殴られたような気分だ――。心理戦に長けた心霊刑事は、対等な立場を手に入れるため、カウンターパンチを放った。
「グリーン アラスカだ」
崇剛、オレの罠に引っかかりやがれ――。
四十二度のジンをショットで飲む男の酔いたい日の酒など、アルコール度数がかなり高いのは明白だ。過剰な飲酒を控えている神父の崇剛。だが、今日はさけられない。
「それでは、私もそちらをいただきますよ」
こちらは私のあなたへの懺悔です――。
顔には出さなかったが、彰彦は心の中で、口の端をにやりとさせた。
「いいぜ」
崇剛、ノックアウトされんぜ――。




