お礼参り/3
彰彦が何度も通った細い路地。個人経営の店が立ち並び、くすんだ小さな窓から明かりが見え、中で酒を飲みながら話をし、時折りドッと笑い声が起こる裏通り。
中心街を見下ろすような小高い丘で、召使や使用人たちとの食事ばかり。そんな崇剛にとっては新鮮な場所で、冷静な水色の瞳は何ひとつ情報をもらさないように、あちこちに向けられ、精巧な頭脳に記憶してゆく。
入り口から何軒目の右側にある店の名前や外観。誰とすれ違ったか。刺激という電流が走り、次々に脳裏に記録する。
前を歩いていた、スパーのかちゃかちゃという音がふと止み、彰彦は振り返った。
「ここだ」
シルバーリングのついたゴツい手が洒落た赤いドアに当てられ、そこにかけられていた木の表札を崇剛は見つけた。
「Bar peacock……バー孔雀。お酒を飲むところですね」
彰彦の手でドアが開けられ、先に入ったウェスタンブーツが店の床を一歩踏みしめるやいなや、
「よう」
「いらっしゃいっす、兄貴!」
「今日は連れもいんぜ」
「いらっしゃいっす」
「お邪魔します」
平日の開店間もないバー。気さくで粗野なイメージだったが、崇剛が入ると、まるで高級ホテルのラウンジのような優雅な雰囲気に変わってしまった。
他に客もおらず、彰彦はいつもの席へ慣れた感じで、後ろから背の高い椅子をまたいで座った。
ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンを、ガス灯の穏やかな光の下で揺らめかせながら、崇剛は神経質な手で椅子を引き、スマートに腰掛けた。
一枚板の立派なカウンター。綺麗に間隔を取って置かれて椅子。隣り合わせの席で座る、崇剛と彰彦。あのキス未遂事件以外、相手が隣にいるなんてことは今までなかった。お互いの香りが店内の匂いと混じりながら、体の内に入り込んでくる。薄暗い空間で、入ってきたばかりの客には、ふたりがカップルに見えるようだった。
共通の話題が心霊事件以外に見つからない。触れてはいけないこともある。それでも、一緒に暮らす以上、さらには最大の目標――悪霊退治。それを着実に遂行するにも、今までよりも距離を縮めて、ともに生きていかなければいけない。
今こうしている間にも、誰かの命が邪神界の者に奪われている。こんな小さなところでつまずいている暇はないが、微妙な距離感のまま会話が交わされては、途切れてを繰り返し始める。
丸刈りの粋のいいバーテンダーがおしぼりとコースターをふたりの前へ置いた。
「何にしますか?」
相手の酒の好みも知らない。冷静な水色の瞳はカウンターの奥に置かれた色とりどりの酒瓶についているラベルひとつひとつを、千里眼を使って片っ端から記憶しながら、思考時のポーズを取った。悩みに悩む。
「そうですね……? マッガラン。アプソルート……」
情報がほしい――すなわち飲んでみたい策略家。過剰な飲酒をさけている神父である崇剛。飲めるものは自然と決まってくる。
おしぼりで手を拭き、乱暴にテーブルへ投げ置いた彰彦は、
「崇剛、お前さんはいつも何飲んでんだ?」
探り合い。心霊探偵と心霊刑事の立場では、酒の話などしたことがなかった。冷静な水色の瞳が鋭いブルーグレーのそれを少し下から見返す。
「サングリアです」
執事が作ってくれた、ルビー色に輝くワイン。あれを夕食に飲むのが、崇剛のルールだったが、
「そんなごちゃごちゃしたモンは、バーにはねぇな」
彰彦は思う。手間暇のかかる酒を好むとは、崇剛らしいチョイスだと。同時に、バー初心者だと、勘の鋭い刑事はにらんだ。
さっきから酒の銘柄をデジタルに脳にしまっている崇剛の代わりに、彰彦が聞く。店内に流れているジャズに、ガサツな声が横入りした。
「おう、サングリアってあんのか?」
丸氷をカツカツと包丁で作っていたバーテンダーは手を止め、少し苦笑いをした。
「兄貴、さすがにそれはないっす」
「それでは、赤ワインをお願いします」
優雅に応えた崇剛の隣で、彰彦はバーの何たるかをわかってないと思った。酒がすんなり提供されるかと思いきや、バーテンダーは近づいてきて、
「どんなのがいいですか?」




