探偵は刑事を誘う/5
長々と優雅に話している主人の声が、執事にはBGMのように聞こえていた。焦点の合わない目で、涼介はぶつぶつと独り言を言う。
「何かあったのか? さっきみたいなことしてるって。魔法の呪文で、崇剛がダルレシアンを襲った――」
その間に、遊線が螺旋を描く優雅な声は消え去り、石畳をロングブーツのかかとがカツカツと鳴らしながら近づいていた。
「――涼介、どうかしましたか?」
涼介の意識が現実へ戻ると、崇剛がすぐ正面に立っていた。
細い茶色のロングブーツに白い細身のパンツ。瑠璃色の八の字を描く貴族服の裾は、不意に吹いてきた風にはためき、腰元から聖なるダガーの柄がシルバー色で顔を出した。少しカーブのついた紺の髪を縛るターコイズブルーのリボン。
それらを順番に見つけた涼介は、ベルダージュ荘の玄関前に立っていることを思い出し、主人の神経質な顔を見つめ、戸惑い気味に返事をした。
「あ、あぁ、崇剛……気をつけて――」
「話を聞いていなかったのですか?」
途中で話をさえぎった崇剛の瞳は氷の刃のように鋭く、猛吹雪を感じさせるような声色だった。
「え……?」亮介はすっかり妄想から目が覚めたが、
「私が話しかけた内容の返事ではありませんよ、そちらは」主人の怒りは瞬間凍結させるような威力を持っていた。
「話?」
正直な執事は聞き返したが、それは主人にとっては情報漏洩をもたらした。
「困った人ですね、あなたは。やはり聞いていなかったのですね?」
懺悔していただきましょうか――?
感覚的な執事のお陰で、ルールはルール、順番は順番の几帳面な主人には、0.01%のズレが生じて、こうやっていつも罠へとたどり着いてしまうのだった。
「す、すまない」
亮介はうなだれながら、恐怖で震え上がった。
また叱れる――!
時間のロス――そう思いながら、崇剛はもう一度同じことを告げた。
「客室をひとつ整えていただけませんか?」
(こちらが必要になるという可能性は37.56%――)
勘の鋭い涼介は何を意味しているかすぐに気づいた。
「ん? 誰かまたくるってことか?」
「そうかもしれませんね」
曖昧な言い方をしたが、崇剛は今は嘘はついていなかった。低い可能性でしかないのだから。
「あぁ、わかった」
主人からの言いつけでは守るしかない涼介は、素直に受け入れた。屋敷の者全員に、崇剛は優雅な笑みを向ける。
「それでは、行ってきます」
崇剛の後ろから、ダルレシアンが片手を上げて横に軽く揺らす。
「瞬、バイバイ!」
大人だらけの屋敷で、子供の居場所は自然と狭くなるが、気にかけてもらえたことが、瞬にはとても嬉しくて、
「おにいちゃん、バイバイ!」小さな人は大きく手を振った。
崇剛がリムジンのそばまで歩いてくると、運転手が慣れた感じでドアを開け、深々を頭を下げた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ありがとう」
崇剛が優雅に言って乗り込むと、先進国家の教祖であったダルレシアンは何の躊躇いもなしにあとに続いた。
車のドアが閉められ、運転手が乗り込む。石畳からリムジンはすうっと遠ざかり始め、門を抜け坂道を斜めに降り出した。
テールランプが見えなくなると、見送りに出ていた召使や使用人は仕事に戻るために、それぞれの持ち場へと戻ってゆく。
執事とその子供だけが玄関前に居残り、涼介は霞の海の下に広がる花冠国の中心街を眺めながら、
「ダルレシアン……どうしてついて行ったんだ?」
国立のところへ仕事で行く主人。それなのに、昨日きたばかりの魔導師を連れてゆくとは、どんな事情があるのだろうか――。難しい顔をしていたが、涼介はすぐにやめた。
「まあ、考えてもしょうがないか。とにかく客室を掃除しないとな」
ホワイトジーンズが瞬の小さな手で引っ張られ、
「ピアノ〜、ピアノ〜♪」
ご機嫌な歌で、涼介は完全に現実へと戻って、息子の頭を軽くなでた。




