魔導師と迎える朝/10
「ボクの意識下でこの携帯はつながってる。だから、ボクが出たいと思わない限り、つながらないし、探すこともできない。あの国とは一切関わり合いはないんだ。出る必要もない」
王政はクーデターによって廃止されて、世界中を賑わしている最中に、行方不明となったミズリー教の長。いまだに見つからないと、新聞記事には載っている。
残してきた信者のためにも、姿を現すつもりもない。ダルレシアンの気持ちを考えると、涼介と崇剛は複雑な心境にならざるを得なかった。
「そうか……」
「そうですか」
昨夜の青白い明かりの正体を突き止めた崇剛は、
「昨夜言っていた『携帯のライト』とは、携帯電話についていたライトを使っていたのですか?」
「そう」ダルレシアンはそう言って、意識下でつながっている電話を操作することなく、電気がついた。朝の光に負けて、威力はなかったが、ベルダージュ荘の人間――ろうそくとガス灯の暮らしをしている人々にとっては、画期的なものだった。
そんな出来事が、まるで手品のように思えて、瞬は目を輝かせた。
「おにいちゃん、ピアノひける?」
知らないものを持っている。それだけで、可能性は無限大に広がっていて、期待に胸躍らせた。
「パイプオルガンなら習ったけど……」ダルレシアンはポケットに携帯電話をしまいながら、少し鈍い返事をした。
「パイプ……?」小さな首をかしげると、ひまわり色のウェーブ髪は、瞬の柔らかい頬から離れた。
「教会にある大きな楽器ですよ」
と、崇剛が手を差し伸べると、瞬は表情を明るくさせた。
「あぁっ! おにいちゃん、あれひけるんだ。すごいね」
大きな音で響く、綺麗な旋律は、小さな芸術家に存分な幸福を与えていた。
「瞬はピアノを弾くのが好きなの?」
「うん! だいすき。だから、おしえて?」可愛いおねだりだった。
「少し弾き方は違うけど、鍵盤楽器だから、教えられるところがあるかも?」
子供の澄んだ心の前で、嘘はつきたくない。ピアニストのような技術があれば、自信を持って答えられるが、経典の教えの延長上で、四苦八苦しながら学んだ技術では、小さな芸術家を満足させられるかわからない。だから、不確定になるのだ。
「ありがとう」瞬はとびきりの笑顔を見せ、椅子の下でパタパタしていた足は速度を増した。
瞬の当面のピアノ講師は、どうやらダルレシアンになったようだった。
「それではいただきましょうか?」ひと段落した食卓に、主人の優雅な声が舞った。
給仕係が崇剛とダルレシアンのグラスに水を注ぎ始めた。ふたりは両肘をテーブルについて、そっと目を閉じる。
(主よ、こちらの食事を祝福してください。体の糧が心の糧となりますように。今日、食べ物に事欠く人にも必要な助けを与えてください)
涼介は食事に手をつけず、ふたりをそっとうかがう。主人に仕掛けられてきたBL罠は、執事の心を禍々《まがまが》しく侵食していた。
(どうして、あんなことになってたんだ?)
ダルレシアンは夢の中に出てきて、あの衝撃的なベッドに押し倒されるという事件で、男色家であるのは否めない。主人は悪戯をするくらいだから、同性愛者ではないのかもしれないが、今朝の様子からすると、昨夜で変わったのではないか(涼介だけの勝手な見解)。
主人の神経質な手はグラスを一度かたむけただけで、その後まったく動いていなかった。熱があるように額に手を当て、珍しくため息をつき、「はぁ……」ひとり自問自答する。
(あのようなことになるとは思いませんでしたよ)
らしくない主人。ため息をつくようなことは今までなかった。悪戯はするが、慈悲深い主人のことだ。心配していると悟られては、かえって気を遣わせる。涼介はグラスに手を伸ばし水を飲もうとした。
「崇剛、どうしたんだ? 体調がよくないみたいだが……」
「朝方までほとんど眠れなかったのです」
涼介は飲んでいた水でのどをつまらせた。
「うっ! ゴホッ、ゴホッ!」
眠れなかったとは、朝まで何か――大人の情事を楽しんでいたのか。よからぬ想像をさせる、BL罠を仕掛けてくる主人。今日こそは、やられるてなるものかと、ヒリヒリするのどを感じながら咳き込む執事。
「パパ、だいじょうぶ?」パンをかじっていた瞬は手を止めて、純真無垢な心で心配した。
「こほっ! 大丈夫……だ」涼介は何とか平常へと戻ってきた。
「よかった」
ナプキンで濡れたテーブルを拭きながら、「どうしてだ?」と執事が問いかけると、主人の冷静な水色の瞳がこっちへ向いた。
「昨夜、ダルレシアンとベッドをともにしたのですが……」




