Before the battle/9
神ははるか未来を見ている。百年前のあの日から、この大きな歯車に、自身を組み入れていたのだろう。
だから、成仏するというルールから逸脱させ、崇剛の守護霊となるよう命令を下したのだろう。
これで、人間ふたりと霊ひとりの了承は得た。
ラジュは天界へと瞬間移動でさっと戻り、今ここにいる軍勢に向かって呼びかけた。
「それでは、よろしいですか? みなさん」
ニコニコの笑みは消え、真剣な眼差しになった。まぶたから解放されたサファイアブルーの瞳に、はるか彼方までいる霊と天使たちを映して、スパイしか知り得ない情報を、ラジュはもたらした。
「敵の大将は四天王の内――火の属性を持つリダルカ シュティッツです。従って、火属性の攻撃がやってきます〜」
神の領域が戦いを難しくする。
「私たちは囮です。ですから、心にそちらのことを思い浮かべてはいけません。必死に戦ってください。神はリダルカ シュティッツを抑えることに集中する振りをしています。ですから、私たちには手を貸せません。死ぬ気で戦ってください」
味方の神は参戦しない。どうやっても不利な戦況だった。
邪神界側の軍勢が横並びに整列しているのを、崇剛は冷静な瞳に映しながら、もう会うことが叶わないかもしれない男を思い出す。
鋭く意志の強いブルーグレーの眼光。
かちゃかちゃと鳴るウェスタンブーツのスパーの音。
トレードマークのカウボーイハット。
芳醇で辛いミニシガリロの香り。
自身が大爆笑するように、わざと横文字を使ってくる心霊刑事。
そうして、自分を愛しているかもしれない男――
国立のデータの全てが、崇剛の冷静な頭脳の中で浅い部分に引き上げられた。可能性の数値が大きく変わる。
四月二十九日、金曜日。十三時十四分十七秒以降――。
彼が受けた直感――天啓――
邪神界の大魔王と四天王の話は合っていたみたいです。
彼の直観ははずれないという可能性が32.89%――
ラジュの注意がまだ続いているのが、思案している崇剛の耳に入り込んでいた。
「瑠璃、あなたは嘘をつくことが出来ません。ですから、己自身に結界を張って、情報漏洩を避けてください。それから、お札は用意しましたか?」
守護霊には守護霊なりの戦い方があった。
漆黒の髪を慣れた感じで、小さな手でさらっと払いのける。
「一万枚ほどの。半年ほど前にカミエに聞いとったからの、今日のことは。抜かりはあらぬ」
「そうですか」ラジュはニコニコしながら、ここにいる男どもとは唯一違うことを、聖女に注意し始めた。
「ですが、あなたは武器を持っていません。危険だと思った時は崇剛とダルレシアンの後方へ下がってください」
八歳の少女に武器を持たせるような、神ではなかった。
「ベルダージュ荘へは決して行ってはいけません。なぜなら、乙葉親子をはじめとする屋敷の人間の守護霊と守護天使は今、こちらへ全員集まっています。彼らを守るものは結界しかありません。逃げ込むことによって、彼らが危険に晒されます。犠牲になるのは私たちだけです。彼らは今回の計画には入っていません」
逃げ場はどこにもなく、生き抜くか、消滅のふたつしか選択肢がない。
それでも、瑠璃の若草色の瞳には焦りなどというものは浮かばず、慎重にうなずいた。
「相わかった」
聖女の声が旧聖堂に厳粛に響き渡った。
今回の戦いの主役ふたりへ、ラジュはどんな戦いであるのか簡潔に伝えようとするが、おどけた感じがどうにも否めなかった。
「崇剛とダルレシアンが真っ先に狙われます〜。メシア保有者同士のあなた方が地上で出会うという作戦が囮ですからね。私たち天使が助けに入り、何らかの対処はしますが、今回で消滅しまっても構いませんよ〜、うふふふっ」
さっそうと殺そうとしている無慈悲天使。
崇剛がくすりと笑うと、紺の後れ毛がしなやかに揺れ動いた。
「おかしな天使ですね、ラジュ天使は。助けるのではないのですか?」
「ふふっ」ダルレシアンは春風のようにふんわりと笑って、この短い間で、凛とした澄んだ女性的な声色の持ち主がどんな人物なのか十分に理解した。
「ラジュは負けることが好きで、嘘が上手なのかも?」




